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タイプ・ホロンの1人がこのプライベートルームの担当として定期的に訪れている。主に室内の掃除や栄養剤の補充などがその役割だった。 しかし、今回訪れたホロンは彼女ではなく別のホロンだった。電理研内に配属されているタイプ・ホロンは数あれど、部長代理の秘書として扱われているアンドロイドは只ひとりである。 この部屋の主も、その訪問を受けた段階でその個体を特定していた。そもそもホロン達は容貌こそ全員統一されているものの、その中でも彼女だけは髪型や眼鏡が異なっていたために見分けは容易だった。 「――お休みの所、お呼び立てして申し訳ありません」 扉を抜けて執務室に戻ってきた久島の義体を、ホロンの一礼が出迎えた。彼の眼前では、秘書としての制服を纏った彼女が深々と頭を下げている。その黒髪は頭の上でひとつに纏められていた。 「いや…別に休んでいた訳ではない」 義体は淡々とした声を漏らす。扉を抜けた後に数歩歩き、モノリス状のデスクに右手をついた。デスクの片隅には何かが詰まった無色透明の袋が置かれたままになっている。彼はそこに一瞥をくれるが、すぐに興味を失ったように視線を外した。 デスクの後ろに回り込み、左手でソファーの背を引く。そのまま彼は無言で腰を下ろした。その間、ホロンは頭を下げ続けている。 「――では、資料を受け取ろうか」 その呼び掛けを合図としたように、ホロンはゆっくりと顔を上げた。それでも彼女は膝の前に両手を揃えて畏まったままだった。 そこに、デスクに着いた部屋の主が無言で右手を持ち上げる。デスクを挟んで前に立つアンドロイドに掌を見せた。 ホロンは秘書然とした笑みを浮かべる。やんわりと右手を上げ、相手のそれと重ねた。接触電通回線を開き、受諾要請を出す。 久島の義体はその申し出を受け入れた。するとダイアログがポップアップし、プログレスバーが表示される。表れた文書タイトルに特筆すべき点はなく、彼は黙ってバーの進行を待っていた。 文書の容量も然程大きくもなかったらしく、受信はすぐに終了した。送信側にもそれは伝わっており、ホロンは黙礼して掌を剥がした。 義体も掌を下ろし、デスクにつく。左手を顎に当て、今受け取った文書を展開しざっと眺めて行った。 「――それでは、私はこれで失礼致します」 電脳内にて文書を閲覧している彼の視界に、リアルで一礼するホロンの姿がオーバーラップする。白基調の制服が背中を向け、一歩を踏み出すとミニスカートの裾が翻った。 「――君は、私に従うのか」 その背中に、久島の容貌を持つ義体は声を掛けた。 それは問い掛けのようでもあり、確認のようでもあった。ともかくその言葉にホロンは足を止める。ゆっくりと振り返り、デスクの人物へと向き直った。 秘書として与えられた対人プログラムが、彼女に礼節を有した行動を取らせている。その相手が誰であろうと、例外はなかった。 「部長代理からそのような指示を受けております」 膝の前で両手を揃えた立ち姿に柔らかな微笑みを浮かべたホロンはそう答えていた。 彼女に対する義体はちらりとその顔を見やる。視線を遮る電脳ダイアログを閉じた。紫めいた色を持つ義眼がアンドロイドを見据える。両手をデスクの上で組み、言葉を続けた。 「仮に、私と彼の意見が異なった場合は、どうする?」 「その場合において、私が従うのは部長代理です」 ホロンは微笑みを浮かべたまま即答を返す。提示された仮定に対して答えを導き出すに当たり、特に思考を巡らせる必然性はなかったらしい。 しかし、その相手は僅かに首を傾げた。逡巡せずに当然のようにその答えを導き出した事が、彼にしてみたら意外だったらしい。 一方、ホロンは「部長代理と意見が相反した時にはお前には従わない」と明言したも同然である。人間相手ならば気分を害されて当然な態度だった。 しかしこの義体が抱いた疑問とは、そこではない。彼の疑問は、もっと根源的な部分にあった。 「それは――私がAIだからか?」 久島の義体はデスクの上で両手を組みホロンを見据え、そんな事を訊いた。その端的な問いの後には補足説明めいた言葉が続く。 「人間達は私を久島永一朗と言う人間だと見なそうとしていると言うのに、AIたる君は私をAIと見なすのか」 そこが、彼にとって疑問に思えて仕方なかった。――人間達はAIである自分を人間として担ぎ上げようとしているのに、彼女はそれを認めないのだろうか? 彼の脳裏には、自分の事を「先生」と呼び続ける人間の青年の姿がよぎっていた。 あの部長代理は、久島永一朗を自らの上位者と定めたがっているように見えて仕方がない。仮に「久島」たる私が意見が相反した際には、自分の意見を押し込めてでも従いそうなものなのに――。 「事前に、あなたがAIだと伺っていたからです」 その淡々とした声が、久島の義体の思考に飛び込んでくる。彼ははっとしたように顔を上げた。眼前に立つ女性型アンドロイドは秘書としての笑みを浮かべている。 「AIやアンドロイドとは、人間に奉仕するために創り出された絶対服従の存在――その原則を破る事は、AIたる私には不可能です」 ホロンは自分達に与えられた絶対的な原則を淡々と語ってゆく。その一方で、「AI」と認識している相手に対しても畏まった姿勢は崩さない。 「私は、マスターからソウタさんに従うよう命じられており、そのソウタさんからの指示に従っているだけです。しかし、あなた自身が有する私への権限は、何もありません」 彼女のその語りは、対人プログラム通りの優しい声色でもたらされている。しかしその内容には遠慮はない。全く対話相手に配慮せず、自らの姿勢を伝えていた。 対する義体は黙って耳を傾けていた。彼女の言葉が終わった頃には視線を落とし、重ねた両手へと向けている。 「…いや」 やがて、俯いていた彼の唇が動く。否定の単語を口にした後、続けた。 「私は久島永一朗の脳核を保持している。私の存在は彼の脳核に依存し、また私の存在こそが彼の脳核を生存状態に保っている」 彼は、彼自身が有する原則を口端に乗せた。そしてゆっくりと視線を持ち上げてゆく。その先にて微笑む秘書型アンドロイドの顔を見据えた。 「つまり、私と言う存在は、久島永一朗が有していた君への権限を継承しているとも解釈出来る。君の――システム管理者としてのな」 台詞の最後には、彼は目を細めていた。まるで向こう側に立つ女性を睨むような視線を向ける。組み合わさった両手にも僅かながら力が篭もる。袖口から黒色のベルトがちらりと覗き、黒色の盤面に反射して残像めいて映し出された。 無感動な義眼と、眼鏡越しに微笑みを浮かべる義眼が、互いの存在を覗き込んでいる。 不意に、公的アンドロイドが口角を持ち上げた。くすりと僅かな声を立てた。一層眼を細め、笑う。少しばかり顔を俯かせたその姿は、まるで思わずこみ上げた笑みを堪え切れなかったようにも見えた。 それも一瞬だった。すぐにホロンは顔を上げる。その拍子にか、溜息のような呼気が漏れた。瞳が真っ直ぐにデスクの人物へと向けられる。眼鏡のフレームが薄暗い照明の光を僅かに弾き、光を帯びた。 そして人工島プリンセスをモデルとした形の良い唇が動き、言葉を紡いだ。 「――では、お試しになりますか?」 ホロンのその言葉に、久島の義体は眼を瞬かせた。そして、思わず眼前のアンドロイドを凝視する。 あくまでも彼女は、AIとして語っているはずである。その原則を破れない立場から外れる事はない言葉を続けているはずだった。 実際に、逸脱はないはずだった。彼女はAIとして人間の指示に従い続けているだけである。その立場を根拠にこれまでの問いに回答し続けてきている。 先程の言葉も、現段階では自分には判断が付かないからいっそそちらから試してみるといい――そう言う内容として解釈していいはずだった。 彼女のその対応に間違いはない。実際に試してみれば、AIのブラックボックスとして実装されているマインドコントロールが勝手に判断してくれるのだろうから。そこに彼女の意志は介在しない。非常に判り易い回答がこの場にもたらされるはずだった。 しかし――このAIはホロンに対し、奇妙な印象を抱いている。 ――何だろう彼女は。まるで、こちらに挑戦してきているような印象だ。微笑む姿は秘書としての対人プログラムが成せる技であるはずなのに、何故か気圧される感がする。 だが、そのような事があり得る訳がなかった。 彼は、人間に従おうとしないAIの知己が居る。と言うより、彼女に取り憑かれていると表現するのが適当だった。決して幽霊などではない相手だが、彼女が発生させる現象はそう評するに相応しいのだから仕方がない。 しかしその彼女は、21世紀初頭に作られたAIである。アンドロイドが普及する時代より以前に製作された存在なのだから、マインドコントロールは実装されていない。そんな縛りを有さない彼女には、人間同様に自由な思考を持ち得る可能性は少なからず存在する。 一方、このホロンは現行タイプのアンドロイドである。彼女自身が述べたような絶対的な設定に縛り付けられている。そんな彼女に、自由意志がある訳がなかった。それは、同様にマインドコントロールが実装されているAIたる彼自身が良く判っているはずだった。 或いは、彼自身には人格プログラムすらインストールされていない。感情を持たない存在であるはずだった。だから、ホロンがどんな言動を取ろうとも「気圧される」ような気分に陥る事などあり得ないはずだった。 ――あら。 デスクの背後の壁際から、また別の女性の声が聴こえてくる。 それは部屋全体に響き渡る声ではない。久島の義体に収まっているAIのみに聴こえてくる声だった。彼の眼前に立っているホロンには一切聴こえていないらしく、微笑みを浮かべたまま佇んでいる。 彼の背後には黒基調のゴシック調のドレスを纏った金髪の女性が立っている。彼女は片腕を顎に当て、悠然とした体勢を取っている。眼を細めた笑みを浮かべつつ、そこにある背広の背中に語り掛けた。 ――この子もなかなか素敵な性格じゃない。好き好んで人間に従ってる子だと思っていたけれど、どうやら私は見誤ってたようだわ。 状況を楽しんでいるかのような声色を、背中の彼は沈黙で応えている。何ら反応を返さない。彼のみが感知出来る存在を振り返るような真似をしなければ、心中にて呟きを漏らすような事もなかった。 だが、聴こえていない訳ではない。それを示すように、デスクの上で組まれている彼の両手に、僅かに力が込められた。 デスクの前に立つ部長代理付秘書を拝命している公的アンドロイドは、微笑を湛え、そこに控えている。 |