学生の実習生とは、正規職員と較べて有する義務と権限が著しく異なる存在だが、外来患者とも明らかに違う。そのため彼らの入場口はエントランスではない。職員同様に裏口からの入場パスを与えられている立場である。
 現在実習に入っているミナモも同様に、毎朝裏口から入ってきている。ペーパーインターフェイスを扉備え付けのコンソールにかざせば認証が通り、彼女と判って扉が開く。通用口から職員用区画を歩き、出勤してきた職員や夜勤明けの職員に元気良く挨拶を寄越すのが、ここ数日の彼女の日常だった。
 中学生の実習生にも与えられたロッカーは存在するが、持ち歩く道具は然程多くはない。実習生は職員のようにメディカルセンターの制服に着替えずに、中学校の制服に腕章を装着して区別する。患者への応対に使用する器具は毎日貸与され、ロッカーに保管しておく事もない。
 以上の事情から、ミナモのロッカーは手荷物で占められている。しかしそれもベージュの肩提げ鞄に収まる範囲内であり、ロッカーを占領する程多くはなかった。
 ロッカーには、それ以外の荷物は存在しない。このメディカルセンターでは個人が管理して持ち歩く備品は殆どないからである。患者へ応対する様々な機材や装備は、毎朝センター側から支給され、終業時に返却する決まりとなっていた。
 また、中学生の実習生には、メディカルセンター職員の制服は貸与されない。実習生を示す腕章を渡され、それを中学校の制服を着た状態で腕に通す事で、実習生の証としている。そのため彼らは制服姿で通勤し、そのまま着替える必要もなかった。
 そもそも、人工島の住民の殆どは電脳化施術を受けていた。彼らの電脳には電通やメール以外にも手帳や音楽プレイヤーなど様々な機能が付加出来る。そのため、持ち歩かなければならないものは著しく少ない。下手をすると手ぶらで通勤通学する人間がそう珍しくないのも、人工島の風物詩だった。無論、化粧品その他身嗜みの品々などどうしても電子化出来ない道具も多く、ある程度の荷物を持ち歩く人間は相変わらず多数派でもあった。
 ミナモは未電脳化者であり、メタルを利用するためにはペーパーインターフェイスの携帯が必要不可欠である。しかしそれも掌サイズの小型携帯であり、ポケットに収める事も出来た。しかしポケットよりも鞄に入れていた方が機能的ではあるため、こうやって鞄にて持ち歩いていた。
 ともかく彼女は、肩からその鞄を提げて通路を歩いている。肩紐を片手で掴んで支えつつ、元気良い足取りで闊歩していた。最中、生脳では今日の実習に向けて復習している。担当している患者の機能までの様子を思い返し、今日の措置を考えていた。
 そんな通路にて、彼女に声を掛ける存在があった。
「――ミナモさん」
 呼び止める声に、少女は足を止める。前に立っている存在を見た。
 その声は人工島住民ならば時折耳にする機会がある。公的アンドロイドの声はタイプ別に統一されているのが原則だからである。
 しかしミナモには何となく聞き分ける事が出来ていた。声質やイントネーションはプログラムされた通りに同一であるはずなのに、この少女には「電理研エントランスのお姉さん」や「オペレーターのお姉さん」だのと認識出来ていたのである。そこでアンドロイドではなく「お姉さん」と呼ぶ辺りに彼女の知られざる秘密が隠されているのかもしれない。
 そして今朝呼び掛けてきた声は、ミナモにとって最も聞き覚えのある声だった。
「ホロンさん!」
 その名もまたアンドロイドとして汎用的なものである。タイプ名であり、真に「彼女個人」を表すものではない。しかしミナモにとってはそう呼ぶ以外考えられなかった。そもそもミナモばかりではなく、周辺の人々も一貫して「彼女」の事をそう呼んできているのだから。
「久し振り、おはよう!」
「おはようございます」
 数歩駆け寄り距離を詰め、ミナモは元気にそう挨拶する。それにホロンも笑みを浮かべ応対した。
「…あ、でも、ホロンさん何でここに?ここ、電理研じゃないのに」
 笑顔のミナモはふとそんな事を訊いた。浮かんだ疑問がそのまま顔にも現れ、怪訝そうな表情になっている。
 電理研所属のホロンがこんな所で何をしているのだろう。
 確かにここは「電理研付属」メディカルセンターではあるのだから、全く関係ない部署ではないのだろう。彼女は統括部長代理と言う偉そうな立場の人間に仕える秘書なのだから、尚更だった。
 でも――と、ミナモの疑問は解消されない。いちいち悩まずに当人に訊くのが一番だった。
「ミナモさんはこちらで実習中と伺っております」
 ホロンは笑顔のまま、そんな事を答えた。
 それは婉曲的な回答だった。それでもミナモはホロンの意図を知り、軽く首を傾げる。新たに疑問が沸き上がってきた。
 誰に訊いたのか――そこはミナモにとって大した問題ではない。学校に問い合わせたのかもしれないし、案外あの馬鹿兄からなのかもしれない。
 ミナモ自身は電理研に篭もりきりの兄に対して日々の予定などを特には伝えてはいないのだが、あの兄ならすぐに調べてしまうだろうから――多少自分の兄に偏見を持っている自覚はあるが、それを改めるつもりはこの妹には全くない。
「じゃあ、ホロンさんは私に用事があるの?」
「はい」
 不思議そうに問うミナモに、ホロンは笑みを深めて頷いた。その笑みをちらりと見たミナモは、眼前の秘書型アンドロイドが何かを持っている事に気が付いた。膝の前から両手で持って提げているその白い紙袋に視線が行き、そのまま凝視するに至る。
 ホロンは僅かに視線を落とした。彼女もその紙袋を見やる。そして、唇に笑みを零し、ゆっくりとその手を持ち上げた。
「こちらをお預かりしておりました」
 自らへ差し出された紙袋に、ミナモはきょとんとした。訳が判らないと言わんばかりの表情のまま、白い袋とホロンの顔とを交互に見比べる。
「え、誰から?うちの兄?」
 先程とは違い、今度は「誰か」と言う観点がミナモの気に掛かった。紙袋の中身は二の次である。
 ホロンに何かを預ける事が出来る人間は、かなり限られてくるはずではある。まず口を付いて出てきたその存在が第一候補だった。或いは、立場は違うが電理研職員には違いない父親からだろうか?
 そうでなければ、電理研所属ではないけれども、ホロンが今も尚仕えているはずのマスターとか――。
「いえ…」
 ホロンは笑みを浮かべたまま、短く答えた。まずミナモが挙げた第一候補の可能性を否定する。そのまま笑みを深めた後、唇が動いた。
「――AIさんからです」
 その言葉に、ミナモはきょとんとした。全く、想定外の名前だった。
 ホロンは無言のまま、紙袋をミナモに差し出して来る。それに釣られるように少女は思わず手を伸ばし、紙の持ち手を掴んだ。入れ替わるように持ち替える。
 紙袋は外から見るに若干膨らんでいるのだが、ミナモが思っていた以上に軽かった。一体何で嵩上げされているのだろうと疑問に思う。一方で、渡されてもその動きが安定していたのは、底に何か重石になるものが入っているのだろうか?
「――それでは私はこれで失礼させて頂きます」
 ホロンのその声を聞き、ミナモは思惟から戻ってくる。眼前で深く頭を下げているアンドロイドの姿がそこにはあった。
 職員通路とは言え、朝の出勤と夜勤の退勤が重なる時間帯のために人通りは割と多い。そこに公的アンドロイドが恭順する女子中学生が立っているのだから、流石に通りすがる人の目を惹いていた。声こそ掛けないものの、通り抜け様にちらりと無遠慮な視線を向ける人間は多い。
 ミナモもその往来の人々の姿に気付いている。ホロンに顔を向け、若干困ったような声を出した。
「…あ、うん。わざわざありがとう」
 礼の言葉を受けてか、ホロンはゆっくりと頭を上げた。そしてミナモの前から礼儀正しく立ち去っていった。
 ミナモはその後ろ姿をしばし見送っていたが、不意に紙袋が揺れた事で我を取り戻す。
 まるで存在を主張してきたような紙袋に視線を落とした後、周辺を見渡した。周りでは足を止めていた人々が何事もなかったかのように動き出している。ミナモもそこに紛れるように、一歩を踏み出した。
 そこからロッカーの位置は遠くない。実習生とは言えあまり時間を潰している暇もなく、早急に鞄を預けて準備をしようと思う。
 勿論、増えたこの荷物もロッカーに収めないといけない。幸いにも肩提げ鞄をしまっても尚ロッカーには余裕がある。紙袋毎どうにか収まりそうだった。
 ロッカーに収める間際、ミナモはその紙袋の口を開いた。一体中身は何なのか、それだけは確かめておこうとした。
 紙袋の口から覗くものは、いくつもの紙の断片だった。
 それらは形を成している。折り重なり合って紙袋を緩衝材のように埋めていた。良く見るとその紙は何かの形に折られている。
 ひとつを摘み上げてみると、それは鶴だった。
 折り紙できちんと折り順に基づいて形を成しているらしいのだが、それ以前にも折ったような跡がいくつも付いていて紙に線が走りいびつな形を示していた。あまり美しい鶴とはお世辞にも言えない状態である。
 紙袋の中にある他の断片も拾い上げてみるが、やはり何処かいびつな鶴である。折り紙の色は様々だが、ひとつとして綺麗に一発で折れたものは存在しないようだった。
 ――AIさんが、私にこれをくれたんだ。
 ミナモの心中にそんな想いが去来する。そしてあのAIの行動原理が一体何なのか、彼女に思い当たらなくはなかった。
 何故なら、自分がそれを持ち掛けたのだから――。
 紙袋の中に手を突っ込み漁り、鶴を摘んで確認していくミナモの顔に笑みが浮かんで行く。いびつな鶴達だが、乱暴に扱うつもりはない。掻き回したりはせずにひとつひとつ丁寧に拾い上げては戻していった。
 ふと、何か堅い感触が彼女の指先に伝わる。
 手を奥まで突っ込んでいた。あまり深くはない紙袋の底面付近に至っていたはずだった。だから底敷きかと思ったが、紙やプラスティック製のそれらよりも更に堅い感触だった。言うなれば金属製のような冷たい堅さだった。
 何だろうと思い、ミナモはその付近を手で探る。左手も突っ込み、鶴達を注意深く避けつつもその底面にあるものを見つけようとした。
 然程労力は要さない。鶴ではない異物はそんなに小さいものではなかったからだ。当たった右手を広げてその辺りを撫で回すと、小さめの缶らしきものを掴んでいた。その上部には何か丸い蓋のようなものがはまりこんでいる。
 ミナモは右手でそれを掴み、持ち上げる。左手を添えて落とさないように心掛ける。
 紙袋の中から少女の眼前に現れたのは、紫色の四角い缶だった。その表面にはラベル状の印刷が成されている。装飾されたアルファベットのロゴは一見して上手く読めなかった。そもそも英語の綴りではないために、ミナモには馴染みがない。
 それでも、その羅列を彼女は「カルチェラタン」と読み取った。
 缶を持ち上げ傾けると、内部からさらりと音が響く。それと共に、内部に詰まったものが揺すられ、擦れ合ったような感触が冷たい缶から伝わってきた。
 ミナモの表情は不思議そうなものになっている。折り鶴の存在に気付いた時とはまた別の顔へと変化していた。
 折り鶴を渡された事については、彼女の想定していた事だった。しかしこの缶を一緒に渡してくるとは全く思ってもみなかった。
 この缶の存在自体は、ミナモも見知っていた。その上でこれを渡してくる意味が、良く判らない。
 一体どういう事なのだろう。
 AIさんは、一体私に何をしたいのだろう?
 ――私に一体、何を求めているのだろう?
 そんな風にミナモは疑問を羅列してゆく。しかし今は答えを導き出せそうになかった。
 
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