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情報のやり取りを終えた後も、席を立ったまま黒髪の青年は項垂れている。彼は顔を上げず、黙り込んでいた。 その彼と対面している側は、椅子に腰掛けたままやはり沈黙している。黒髪の若者は年上の友人を見つめているが、沈痛そうな表情を浮かべていた。一方、隣に着座している人物の顔には表情らしきものは浮かんでいない。壮年の顔を只、対面の青年に晒していた。 「――宜しい、波留真理」 不意に、その唇が動く。彼はその名を呼んだ。発せられた低い声には感情らしきものは込められていない。 「電理研を代表し、君の助力に感謝する」 続き、彼はそんな事を言った。台詞の最後には、ゆっくりと頭が下げた。 彼は席に座ったままだが、褐色の頭が対面のメタルダイバーに対して下げられている。言葉上と態度で、彼は感謝の意を表明した事になる。だが、その声色には何ら感情が見えてこない。想いを押し隠しているのではなく、本当に何も感じていないのだろうと思わせる態度だった。 俯いたままその場に立ち尽くしている黒髪の青年の顔は、伸びた髪が掛かり影も落ち、他者には隠れている。その奥で、彼は唇に歯を立てていた。義体の態度に何らかの反応を見せている。そして今の彼が覚えている感情は、普段の彼が有する要素とは懸け離れていた。 「――それでは私は、君に対して確約した分け前を与えなければならないな」 あくまでも淡々とした声を、その義体は漏らした。眼前の青年が何を意図していようが、全く意に介していない。類推しようともしていないらしい。 或いは、彼は自らに反発してきたメタルダイバーを屈服させた立場である。だと言うのに、彼からは喜びも安堵も何も感じられなかった。所謂人間らしい態度が何も見えてこない。 自らの発言の後、義体はゆっくりと瞼を伏せた。そのまま沈黙する。 その様子にも周囲のふたりは関与しない。お互いに黙り込んだまま、次の反応を待っている様子だった。自分達からアクションを起こそうとはしない。 義体の沈黙は数分間続いた。その間、瞼は伏せられたままである。その動作からして、彼の意識はリアルにはない。メタルに接続し、何らかの作業を行っていると客観的にも判断出来た。 やがて、義体は瞼を開く。その時点でもまだ、眼前には黒髪の青年が立ち尽くしていたままだった。 そんな彼に、久島の義体は一瞥をくれる。そして何事もなかったかのような声を出した。 「――ジャック・シルバーは現在、電理研調査部の監視下にある」 その第一声に、項垂れていた波留は顔を上げた。反射的に、眼前の久島を見る。彼にとって予想外の発言のようだった。 ――何故そこで彼の名が出てくるのだろう。そんな疑問が彼の中に去来する。が、先に行った会話を思い出す。 ――ジャック・シルバーの現況と引き替えにしてもいい。この義体は当初、そう持ち掛けたのだ。そして紆余曲折した挙句、波留はこの義体の要請を承諾した。そうせざるを得ないように追い込まれた。 しかし、最終的に波留はそんな事を当初持ち掛けられていた事をすっかり忘れていた。それを代償に「久島」に屈服したつもりはさらさらなかった。 だが、どうやらこの義体はその取引を果たそうとしているらしい。一方的に了承させたつもりではなく、ギブアンドテイクの契約行為と認識しているようだった。 或いは、そう思わせておいた方が、この義体にとっても都合がいいのかもしれない。波留はそうも推測する。一方的な通告ではなく波留の要求を飲んでの対等な交渉の結果としておいた方が、将来問題は起こらないだろうから。波留は一方的な被害者ではなく、互いに負い目を持つ事になるのだから。 とても狡猾なやり方だと、波留は思う。 だが、それはそれとして、別の意味でも波留は驚いている。 その件について、彼は以前ソウタにも尋ねていた。だからこそこの義体にもその話が漏れていて、この「取引」に繋がっている。 だが、ソウタに訊いた際と今と、もたらされた答えが著しく異なっていた。一体どう言う事なのだろうと、波留は思った。 そしてその事態に驚いているのは、波留ばかりではない。当のソウタも身体を動かし、隣の久島を見ていた。その想いのまま、尋ねる。 「…私が照会した際には、もう彼は調査部には拘留されていないとの旨でしたが…」 あの時、調査部は彼に対して確かにそう答えたのだ。それを彼は波留に伝えていた。しかし、今回「先生」が引き出してきた答えは、ほぼ真逆である。「拘留されていない」と以前答えておきながら、今回は「監視下にある」なのだから。 ――彼らは俺に嘘を伝えたのか?不意に、そんな苛立ちが、ソウタの中に沸き上がる。 あの時は何の権限も振りかざさず、単に問い合わせただけだった。調査部は様々な極秘の案件を扱い調査する部署であるとは彼も身を持って知っている。だから不用意にその「秘密」を漏らさないだろうとも理解していた。 かと言って――こうあからさまに偽りを伝えられたと知ると、心中穏やかでは居られなかった。 一方で、「先生」からの問い合わせには真実を伝えたのだ。状況を鑑みれば、そういう事になると、彼は思う。「部長代理」には嘘をついておいて、「部長」当人には真実を上奏する。権限自体には差はないはずなのに、こうやって明確に差を付けてきた。それはやはり、人間としての差なのだろう――。 心中に様々な感情を渦巻かせている部長代理の顔を、部長は無言で見た。相変わらず、その表情は存在しない。 「その回答は間違っていない」 義体はさらりと、ソウタにそう告げた。 それに、ソウタは身体を揺らした。またしても想定外の解答だったからだ。――調査部は偽っていた訳ではない。そう言われると、彼の中に渦巻いていた黒い感情が行き場を失う。感じていた苛立ちの根拠が消え去ってしまった。 だが、新たな疑問がソウタの中に沸き上がる。怪訝そうな表情を浮かべ、矛盾を解消すべく彼はそれを問いかけた。 「…では、どういう事なのでしょう?」 調査部とその照会結果を伝えてきた人物双方の真意が掴めていない青年の顔を、その義体は見つめている。僅かに唇を動かした後、義体は言葉を発した。 「電理研調査部は彼の記憶の一部を消去し改竄し、新たな身分と住居を与えた。その上で密かに彼の動向を監視しているとの事だ」 それは、とても淡々とした口調で述べられた。 しかしその内容は普通に会話して許されるような代物ではない。聞き手のソウタが目を見張ったのが、その証左だった。そしてその建前を義体も理解しているらしい。淡々としてはいるが、再び言葉は続く。 「いくら部長代理相手でも、単なる照会ではこのような事実は伝えないだろう。私の部長権限を用い、ようやく彼らからそれを聞き出した」 話を訊いたソウタは眉を寄せた。険しい表情になる。 人間の記憶を意図的に消去し改竄する。それは黒に近いグレーゾーンの行為だった。グレーに留まるにしても、それは治療目的などの名目を必要とする。それでも議論の余地が存在する治療方法だった。 ましてや、今回のジャック・シルバーに対しては、治療目的である訳がない。そんな行為を調査部は行っているのだ。一歩間違えたら――発覚した時点で即、自分達が立件の対象になりかねない捜査方法だろう。 その判断から、部長代理相手とは言え、明確にその立場を用いて来なかった照会には当たり障りなく対応したのだろう。それでも彼らは嘘をついていない。シルバーに新たな住居を与えているのならば、調査部には居ないのだから。「拘留していない」との情報に何ら嘘は含まれていない――意図的に言葉足らずとしただけだった。 おそらくはその判断は、調査部と部長代理の双方を守るためのものである。最早犯罪行為と言っていいその捜査方法を開示してしまっては、知ってしまった部長代理すら巻き込んでしまうのだから。 自分を尊重しての行為だと、ソウタは悟る。調査部に対して一瞬抱いた誤解を恥ずかしく思った。 |