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「アイリスは有能なメタルアーティストなのでしょう。それは波留さんの報告書から把握済みです。しかし、今となっては、島の重要人物を狙ったテロリストとして対処せざるを得ません」 ソウタの声は滑らかに続いてくる。彼は言い分を述べていった。そしてその言い分とは、彼のみならず電理研を代表したものに違いない。 その言葉を耳に入れつつ、波留は瞼を伏せる。内心の考えを整理しようとした。その上で、自分はどう立ち振る舞うべきなのか、どうやればその申し入れを回避出来るのか――それを考えようとする。 「幸い、書記長は今回の事件を表沙汰にする気がないそうです。今なら彼女の協力を元に、内密に処理出来ます」 その言葉に、波留はちらりとソウタの隣の人物に視線を送る。そこに腰掛ける人物は相変わらず正面を向いたままで、波留から微妙に視線をずらしていた。 その無表情な横顔を、波留は見やった。そしてタカナミの判断に思いを寄せた。 書記長がテロに倒れた。すぐに回復したにせよ、一旦ブレインダウン症例に至ったのは事実である。 それを公表した場合を鑑みると、書記長には不利益が生じる。健康不安説が浮上するのである。 折しも、彼女は書記長選を控えた身分である。そこに健康不安説を突き付けられては、戦うに厳しくなるだろう。多忙な書記長の身分をこなせるだけの基盤が心身共に備わっていない人間が当選していいものかと、反対派がそう掲げ攻めてくる事は容易に予想出来た。 テロに遭い生還したとの事実は、一種の同情票を獲得するきっかけにもなり得る。しかし、前述のように生じる不利益もまた大きい。そんな際どい賭けをしなければならない状況ではないはずだった。 一方でその看板は、おそらくは書記長側こそが掲げる方針だったろう。 立候補受付期間には入っていないし明言はされていないにせよ、久島永一朗の出馬はほぼ折り込み済みである。しかし彼もまたテロに倒れ、ブレインダウン症例を引き起こして眠りに就いていた。そこから奇跡の生還を果たしたのは、つい最近である。 そんな人間にもまた健康不安説は付き纏うものだろう。対立陣営がそこを攻めない理由は、何処にもない。 しかし、タカナミがテロに倒れた今、健康面における懸念と言うふたりの条件は同一となった。事情はいささか複雑だが、単純化して並べてみれば同じ扱いとなる。 もっと勘繰るならば――このふたりの間に裏取引が成された可能性すら考えられる。互いに論点として「健康不安説」を取り上げないように、申し合わせたのだ。 ――波留はそう、書記長の裏を考える。 もっとも、単純に「アイリスを犯罪者にしたくはない」――そんな想いも書記長の中にはあるのかもしれない。彼女が芸術家としてのアイリスに惹かれているのが事実だったなら、こんな事で才能を潰したくはないだろうから。 しかし、その想いが本当に存在するにせよ、そればかりではないだろう。同情はともかくとしてもっと打算的に動かなければ、その高い地位は維持出来ないはずである。 どちらにせよ、書記長の助力は期待出来ない。彼女はこの件に対し、不介入を貫くだろう。余計な藪を突付いて裏取引を反故にされてはたまらないだろうから――波留はそれを悟った。 そうなると、彼の心は決まる。その想いを胸に、黒髪の青年は姿勢を正した。ソウタに向き直り、真剣な視線を送る。 「――アイリス自身に書記長を攻撃する明確な意志はなかったはずです。思い詰めた挙句、特殊な能力が発動した。そう追い込んだのは、我々です」 ――故意ではない。追い詰められた末の予想外の事態だ。だから、アイリスに罪はない。波留はそう主張してゆくつもりだった。 「しかし、現実がこうなってしまった以上、過失にせよ対処は必要です。それがアイリス自身のためでもあると、我々は考えます」 一方、ソウタも一歩も引く様子を見せない。根拠を提示し、波留の言い分を交わそうとする。 ――メタルに対して特殊なアクセスを発揮出来る人間を放置してはおけない。そう言う意味でも、アイリスは電理研の管理下へ置くべきである。そうやって自分の能力をコントロールする術を見出させるのが、誰にとっても良いはずだ。 何も、アイリスを犯罪者として罰しようとしているのではない。 そう言い張られると、波留としても反駁する根拠を失ってしまう。 波留は首を横に振る。頭を冷やし、論拠を纏め直した。結果、あまり用いたくない論理展開が彼の頭に閃く。しかし、手段を選んでいる暇はなさそうだった。 「――アイリスは無作為に書記長を攻撃した訳ではありません。彼女のアドレスを知り、彼女へと怒りを覚えた末の行為です。その能力は限定されている。あまり大袈裟に対処すべきではないと、僕は考えます」 右手を翻し、波留は主張し始める。言いながら、それはアイリスの能力への過小評価ではないだろうかとの疑問は彼の中にすら存在する。しかし、現在の彼にとってはそこが主眼ではない。内心の矛盾を押し込め、矢継ぎ早に彼は主張を続ける。 「アイリスをそう導いたのは、僕なんです。ならば僕にも責任はあります」 言いつつ、波留は胸に右手を当てる。瞼を伏せ、俯く。まるで反省するかのような素振りだった。 対面の青年が何かを言いかけたのを、波留は視界の隅に見る。しかし、彼はそれを無視した。脳内に湧き上がっていた論旨をそのまま口端に上げる。 「それに…――そもそも何故、アイリスの存在が、メタル内に知れ渡ってたんでしょうか?その名は僕が電理研に提出した報告書類のみにしか、記されていなかったはずですが?」 波留がそう発言した瞬間、明らかにソウタの表情が変化する。波留はそれを目の当たりにした。おそらくソウタ自身も、自らの変化に気付いていた。 見計らったように、波留は胸から右手を勢い良く引き剥がす。そのままの勢いでその手を振り、厳しい視線を前へと向けた。 「それが、今回の騒動の始まりだと思いますが?あの事実が出回らなければ、アイリスの心中もこれまで通りに平穏だったはずだ。その責任の所在は、一体何処にあると言うのでしょうね?」 畳み掛けるように、波留はソウタに告げた。 彼はここが攻め所だと認識していた。アイリスの情報がどうやって漏洩したのか、彼には未だ良く判っていない。そもそも波留の報告書に閲覧許可を与えていたなら、それ以降どう扱われようが電理研の責任ではない。 しかし、アイリスは結果的にこの事態を引き起こしている。事実が出回ったプレッシャーがその一因ならば、報告書の閲覧許可の判断に誤りがあったのではないか?電理研は浅慮に過ぎたと指摘されるべきだった。 或いは、本当に情報が漏洩した末の出来事ならば――本当に電理研の責任は追及されるべきだろう。 何にせよ、ソウタの表情の変化からして、彼はそれを何らかの落ち度と認識しているようだ。波留はそう判断し、そこに付け込み攻め込んだ。 ――もしアイリスの確保を強行すると言うのなら、電理研の文書の管理体制を世に問うても構わない。 それに、自分は重大な情報をいくつも握っている。書記長が倒れた件もそうだし、何より「久島」の現状をこの上なく知っている人間だ。暴露合戦に陥るなら、その辺りについても覚悟して貰いたい――。 言外に、それらの可能性をも示したつもりである。 波留にとっては、心底、あまり使いたくない論理だった。しかし、あちらがそのつもりならば、仕方がない――波留は開き直った。 |