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医療施設には、カウンセリングのための部屋が存在するものである。 今回、その一室を借り上げたらしい。本来の目的とは違う使用方法なのかもしれないが、電理研直属の施設がその最高幹部からの要請を断れる訳もない。部屋が既に予定で埋まっていなければ、尚更である。 波留が訪れた部屋の壁はアイボリーの壁紙で、適度な広さだった。圧迫感を与える狭さもなければ、孤独感を与える広さもない。不安を抱える患者と対話するための部屋らしく、居心地良いように設計されているのだろう。 応接テーブルの対面には既に相手が着席している。波留がやってきても彼らは席を立たない。手前側に腰を下ろしていた黒髪の青年が会釈し、手で波留側の席を指し示したのみである。彼は電理研の制服の上に白衣を纏ったスタイルだった。どうやら自らの立場を電理研外部でも隠そうとはしていないらしい。 その奥に居る人物はテーブルの上で手を組んでいる。波留に対しては横顔を晒しているのみだった。一瞥すら寄越さない。こちらはいつものスーツ姿だった。あの会見とは違い、制服を着用してはいない。 呼び出しておいて友好的に出迎える様子をまるで見せていない。席を立てない事情がある青年はともかくとして、もう一方はこちらを見ようともしないのはどう言う意趣なのか――波留はそんな印象を抱いたが、それを口には出さない。無言で頷き、示された席に静かについた。 「――書記長を救って頂いた波留さんの尽力には感謝しています」 開口一番、蒼井ソウタはそんな事を言う。着席したばかりの波留に向かって頭を下げた。 そんな彼に波留は面食らう。まさか第一声が感謝の言葉とは思ってもみなかった。そんな事を言うために、呼び出した訳もあるまいに――。 ふと、ソウタが波留から視線を反らす。眉を寄せ、テーブルに両手を乗せた。両手を組み、そこに視線を落とす。まるで隣の人物と同じような仕草を見せた。 「しかし、それとこれとは別の問題だと思って頂きたいのです」 その言葉に波留は首を傾げる。妙な前置きだと感じた。そしてあまり芳しくない対応だとも思う。先に述べた感謝の言葉は保険か何かのつもりなのだろうか? 不意にすっとソウタは視線を上げた。波留が向けていた視線と中空にてかち合う。 ソウタは厳しい表情をしている。その厳しさは他者に向けられているのか、それとも自分に対してのものなのか。波留には判らなかった。 一拍の間を置く。そして、ソウタは冷たい声で発言した。 「アイリスを、我々電理研に引き渡して下さい」 電理研統括部長代理からの申し入れに、波留は息を飲んだ。それは彼の想定外の言葉だったからだ。普段は冷静なはずの彼の心中に空白が生じる。 そんな波留に対し、ソウタの言葉は続いた。彼は眼前の人間を見据え、厳しい印象を湛えている。 「正確には、アイリスのアトリエメタルに被せたマスクを解いて下さい。波留さんのマスクは強力なので、誰も解除出来ないんです。このままでは波留さん以外の誰も、彼女とコンタクトを取れない」 「――…ちょっと待って下さい。話の流れが見えません」 具体的な要請内容を前に、波留は慌てた風に右手を挙げてそう告げた。ソウタを制止するような仕草を見せる。或いは、そうアピールして見せた。自分にはまるで理解出来ない理論展開だと、波留は主張している。 「アイリスには世に名乗り出るつもりはないと、僕は報告書に添付した意見書にて言及したはずですが?」 波留は右手を下ろし、熱弁するような仕草を伴って発言してゆく。そうやって彼は、内心を覆い隠した。あくまでも「知らない」立場を保とうとした。 「そうですね。俺もそれは拝見しています」 ソウタは頷く。一旦、波留から視線を外した。彼とは対照的に、波留は若干身を乗り出した。強く主張しに掛かる。 「ならば、彼女にそれを無理強いする謂われはありません」 波留としては、部長代理の言葉尻を捕まえたつもりだった。 アイリスは電理研からの依頼で存在を確認したメタルアーティストだが、彼女に世に出るつもりはなかった。依頼人がどう言い張ろうが、無理強いは出来ない。それ故にマスクを掛けているのだから、それを解除するつもりはない――波留は、その態度で押し切ろうとした。 自分はその時点での理解で止まっていると、彼は言外に示した。電理研が一体、彼女に何を想定しているのかは知らないが――そんな風に、はぐらかそうとしていた。 それは姑息な腹芸ではあるし、準備期間もなかった。この場で唐突にでっち上げた設定である。それに付き合ってくれるような相手かは自信が持てない。しかし、自分にはそれ以外の選択肢はなかった。 俯くソウタは瞼を伏せ、深い溜息をついた。静かな室内に呼気が響く。そして、顔を上げる。再び波留を見据えた。その上で、首を軽く横に数度振った後、口を開く。 「それとこれとは、話が違うんです」 ソウタはゆっくりとそう言い放つ。言い含めるような言葉で、波留の言い分を交わした格好になった。そして波留を見据えたまま、彼は続けた。 「――今回、書記長を攻撃したのは、アイリスでしょう?」 部長代理は、その結論を波留に突き付けてきた。それに、波留は僅かに顔を歪めた。ぶつかる視線を目の当たりにする。 彼は然程の動揺は見せていない。「初めて知った」のならば、もっとあからさまに動揺すべきだったのかもしれない。しかし、これはこれで彼の胆力を表しているとも解釈されるのかもしれなかった。 「…どんな根拠から、そう判断するのですか」 それでも波留は反駁めいた言葉を口にする。ソウタに静かに尋ねていた。 「初めて知った」にせよそうでないにせよ、電理研がその事実を認定するに至った根拠は知りたい。対話相手が掴んでいる情報を彼は欲していた。話の流れからして、これからはあまり友好的な会話にはなりそうにない。ならば、少しでも不利益は潰しておきたい。彼はそう考えた。 「あの時間帯、書記長に着信した空メールを解析した結果です」 果たしてソウタは単純明快に情報を開示した。両手を解き、その右手を見せて主張した。そして彼は対話相手をじっと見つめる。発言や手振りだけではなく、視線ですら主張しようとするかのように。 「波留さんも…それを御存知のはずですよね?」 疑問系を取ってはいるが、その実状は違う。反語表現で確認して来ているのだろう。 そんなソウタの発言に、波留は眉を寄せる。内心舌打ちしたい心境だった。最早言い逃れは出来ないだろうと痛感する。 予想はしていた事ではある。電理研所属の技術者達は世界的にも優秀であり、メールの送信元の解析など容易い事だろうと思っていた。 しかし実際にそれを成されたとなると、非常にまずい事態だと思わざるを得ない。彼にとっても、そして当のアイリスにとっても――だった。 |