「――私にはあなたを止める権利はありません。法を犯さない限り、あなたの行動には何ら制限を掛けられません。それがこの島が標榜する民主主義の原則です」
 ひとまず書記長は、きっぱりとした口調で正論を述べた。島の一住民に対し、大いなる建前を提示する。
 無論、民主主義政体が奉じる法には抜け道が存在する。それは、古今東西変わらない社会の原則だった。
 メタルダイバーはその職制からしてグレーな行為に至っている事が多い。普段ならば見過ごされるであろうその行為で微罪逮捕なりして拘束する事は、権力者の側からすれば可能ではあった。或いは現時点では罪を犯していなくとも、要注意人物として然るべき機関にマークさせる事も可能だった。
 それらすらも「民主主義の原則」だと、タカナミとしては言外に示唆したつもりではある。その暗黙の了解を読み取れない人物ではないだろうと、眼前の青年の能力を解釈した。
 建前で安心感を与えつつも、言外では警告を与えている。しかし、彼女にとってそれらは、ここでは単なる枝葉に過ぎなかった。本音と本命とは、もっと別の所にあった。書記長はそれを実行しようとする。
「ですが――もし、この一件を告発するおつもりなら――それを止めて頂きたいと、思っています」
 そう述べたタカナミは瞼を伏せ、頭を下げていた。彼女はベッドの上の人のために、取れる動作は幾分限られてしまっている。が、平身低頭と言った面持ちだった。
 相手は世界レベルのメタルダイバーである。メタルダイバーと言う職種は、情報を武器に世界を立ち回る一面を持っている。
 そんな優れた技術者達が情報公開しようとする行動を止める手だては、普通の人間には殆ど持ち得ないだろう。
 それこそ、情に訴えてでも相手の心変わりを願う他考えられない。こちらで防御出来る可能性が低い以上、単純な感情に働きかけて攻撃の意志を挫くのが有効な手段だろう。
 恥も外聞もなく頭を下げ、必要とあらば土下座してでも阻止するだけの価値は、この情報にはあるはずだった。島の安寧に必要ならば、単に頭を下げる程度の行為などプライドが傷付く訳もない。
 しばしの沈黙の後、深い溜息の音をタカナミは聴覚に感じた。
 頭を下げたままの彼女の視界には、波留の様子は映らない。しかし溜息をつかれた事には間違いはないようだった。彼女にとっての問題は、果たしてどんな顔で溜息をついたのだろうと言う点だった。
 それを確認すべく、書記長はゆっくりと顔を上げる。土下座めいた一礼は、もう解除しても良い頃合いだった。
 眼前に佇む黒髪の青年が漂わせる雰囲気は、爽やかそのものだった。
「――どうやら書記長は、何か勘違いしておられるようですね」
 そう語る波留の顔には微笑が戻っていた。しかし今までとは違い、その笑みに感情と剥離した印象はない。どういう意図かは置いておいて、彼の感情のままに沸き上がってきた表情であるらしかった。
 ともあれ、彼の言葉に思わず対面の女性は首を傾げる。男が見せたのは、彼女にとって想定外の態度だった。発した台詞は勿論、やけに爽やかな雰囲気もまた今までとは異なっている。
「え?」
 タカナミはきょとんとする。その顔を見やる波留の微笑が深まった。右手を胸の前にかざし、唇を開いた。
「僕は何も、あなたを責めている訳ではありません。僕はそこまで愚かではない。何度でも申し上げますが、僕はあなたの立場を重々承知しているつもりです」
 ――そんな言葉を連呼する事自体、実際にはそれを信じていない表れではないだろうか?波留の台詞を聴いたタカナミはふと、そんな風に勘繰っていた。或いは、穿ち過ぎかもしれない。
 聞き手の思いはよそに、波留は穏やかな雰囲気を湛えたままそこに佇んでいた。掲げる右手に窓から射し込む朝陽が当たり、彼の足元に影を落とす。
「あなたは常々、この島を楽園だと仰っている。だから、こんな下らない権力闘争で、島の評判を傷つける事は出来ない――そうでしょう?」
 この一件を「下らない権力闘争」と切り捨てたのは、波留にとっては本意ではないはずだ。そこに巻き込まれたのは唯一無二の親友であり、彼は最早リアルに戻ってこないのだから。
 敢えてその表現を用いたのは、彼がこの件について客観的かつ建前として語っているからだ。感じているであろう本音は何処かに押し込めてしまっているのだろう――タカナミはそう考えた。
「そもそもその気がおありなら、あなたは何処かの時点で彼を告発していたはずです。政敵に大ダメージを与える事が出来たのに、あなたは敢えてそれをなさらなかった。それは、どうしても出来ない事情がおありだったからでしょう」
 滑らかに続く波留の弁は、穏やかな態度に反してかなり辛辣な内容だった。タカナミの立場に理解を示しつつも、それを認めているとは言い難い響きがあった。明確に否定されるより、対応としては重いものがある。
 そして実際にその内容を、タカナミは否定出来ない。彼女の心情を見事に言い当てていた。更には、ここまで来ればその「出来ない事情」とやらも充分に類推されているのだろうと、書記長は踏んだ。
 この島を守るためならば、真実の追求などどうでも良い。
 真実が明かされた事でこの楽園の平穏が揺らぐならば、そんな真相など必要ない。闇に葬ってしまって構わない。
 ――つまりは、そう言う話である。それを受け容れて貰えるかは、別問題として。
「――…僕、中国大陸で、彼に会ったんですよ」
 その波留の台詞に、タカナミは首を傾げた。またしても話が別の方向へと飛んでゆき、一瞬付いていけなかった。
 波留が述べた台詞の内容を、タカナミは心中で咀嚼する。
 ――そもそも「中国大陸で会った」とは、一体どう言う事なのだろう。彼に人工島から離れた時期が、今までに存在したのだろうか?言われてみれば、波留真理と言うメタルダイバーが一時期人工島に居なかったとの噂もあったような気がする――事前に評議会書記長が掴んでいた情報は、その程度のものだった。
 ともかく、波留真理と言う人物が中国大陸に渡り、ジェニー・円と会見を持った。それを今、当人から告白された。一体どう言う事情からなのかは語られていないが、少なくとも「例の一件」絡みではないらしい。それが絡んでいたならば、タカナミの記憶以前に何かに勘付いているべきなのだから。
 まるで思い出話を語ろうとでもしているかのように、波留は目を細める。穏やかな微笑を浮かべ、続けた。
「彼はお元気そうでした。相変わらずのお方でしたが、僕は嫌いではなかった。結局、嫌いになれなかった」
 波留はその台詞に全てを内包した、再会時の出来事を事細かにタカナミには告げていない。
 そもそも彼には告げる気もない。人工島から去った「彼」の去就を人工島の支配者に告げ口する意味を感じないからだ。告発して追い討ちを掛けなかったタカナミ同様に、それはとても甘い判断かもしれなかった。
 その実、大陸にて「彼」に殺され掛けておいて言う台詞ではないだろうが、先の述懐は波留の本心そのままだった。「彼」には守るべき研究があり、それを邪魔する人間は誰であろうと排除する――その根幹は変わっていなかった。
 「彼」は、あれだけの騒動を引き起こしておいて何ら変化してはいない。当人に言わせれば「これでも充分軟化はしている」のだろうが、客観視すればまだまだと言わざるを得なかった。
 が、ここまで来ると、それはそれで「彼らしい」と苦笑交じりに認めてしまいたくはなった。確かに彼の研究を突き詰める事が出来たなら、それはメタルに匹敵する人類の宝となり得るのだから。
 だから、波留にとって、「彼」の問題は別の所にあった。
 波留以外の人間を、以前には本当に「殺して」いた事だ。
 それを波留は、今更知った。それも、彼が自身で気付いたのではない。他者の記憶を眼前に垂れ流された結果だった。
 それまで、全く気付けなかったのだ。
 殺されたのが、親友だったと言うのに。その後も「彼」と、若干は付き合う機会は得ていたと言うのに――。
「――会っておいて、見抜けなかったんですよ。僕は」
 掲げた右手がゆっくりと拳を作ってゆく。窓から射し込む角度が変わってきた朝陽を、彼は背中から受けていた。光を背負う彼の右手はぎりぎりと音を立て始めていた。
「僕は一体、久島の何を見てきたのでしょう――」
 波留の目元に前髪が影を落とす。その奥に隠れた瞳には、再び昏い光が灯りつつあった。
 
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