その告白を耳にしたタカナミは、口を僅かに開けたのみだった。その隙間から声らしきものは漏れて来ない。
 唇を動かしたのだから、何か言葉を発しようとしたはずだった。しかし、今の彼女にはその動作が出来なかった。そもそも何を発言しようとしたのかさえ、自身にも判らない。端的に評すれば、無様にも驚きの声でも上げようとしたのだろうか?――そんな感想すら己に抱く。
 先程の議場の件とは異なり、「どの記憶なのか」とタカナミは問おうとはしなかった。ある特定の1日の記憶の一部としか波留は明示していないのだから、そこに具体的な内容は示唆されていないはずなのに。
 しかし、タカナミには充分に示唆された気がしていた。彼が口に出した台詞そのものだけが、情報ではない。これまでの話の流れや醸し出す雰囲気、そして何よりこの男が拘るであろう事柄を鑑みれば、あの記憶に他ならないと、彼女は直感したのだ。
「その記憶では、あなたが、執務室か何処かで、ジェニー・円さんを、アバターで呼び出してました。その会話を、僕はあなたの記憶を通して、一部始終拝見しました」
 そんな書記長の眼前を、波留の淡々とした声が擦り抜けてゆく。俎上の記憶について明確に述べていた。
 そしてそれは、タカナミの予想した通りの記憶だった。
 やはり彼は、あの光景を見てしまったのだ――彼女はそう悟る。
 それは、決してあってはならない事だったのに。だから、私はずっと口を噤んで来たと言うのに。
 今、この人工島評議会書記長の心中に去来するのは、痛恨の衝撃だった。この数ヶ月間の努力が灰塵に帰した心地がした。
 告白する男の声は冷静沈着で、乱れらしきものは何もない。強いて言えば、文節毎に若干の切れ目をもって発言している位だった。それも、酷く強調された風には聴こえない。彼がメタル内で見たままを語っているに過ぎないようだった。
 沈黙するタカナミを前に、波留は一層目を細めた。その目許には笑みの印象が強い。それに呼応するように、口角が吊り上がる。胸に右手を当て、畏まった姿勢のまま、彼は声を発した。
「あれ………――どういう事ですか?」
 笑みを含んだ瞳が、自分を真っ直ぐに見つめてきている。タカナミはそれに直面し、思わず気圧されていた。口の中にざらついた感触がする。この雰囲気に緊張してきている自覚を持った。
「僕は、あれを、どういう事だと解釈すれば――いいと、お思いですか?」
 また波留は微笑みながら問いかけてきた。文節毎に言葉を区切ったその台詞は、まるで念を押してきているかのようだった。しかし彼のその意図とは裏腹に、問われた側は答えを寄越せない。未だ口篭もっていた。
 黙ったままのタカナミを見やる波留の瞳には、笑みと共にぼんやりとした昏い光が宿っている。その光がタカナミの眼鏡のレンズ越しには、やけに鮮明に見えた。
「あなたは、どうお考えなのですか?」
 またしても、笑ったまま波留は問いかけて来る。少しずつ言葉を変えつつも、タカナミから答えを引き出そうとしているかのようだった。
 垣間見た記憶の告白が、彼のこの訪問の目的ではなかったのだ。それはあくまでも方便に過ぎなかったのだ。得た接点から会話を成立させて巧妙に侵入し、記憶の真相を探ろうとしているのだ。
 それが波留の真の目的だと、最早この記憶の主も悟っていた。それを招き入れてしまっていた事にも気付いていた。
「僕は――」
 そこで波留は、言い掛けたまま沈黙した。今までのように文節毎に区切ろうとしている訳ではないようだった。本当に言葉に迷っている様子である。
 一瞬、彼の口許から笑みが消えたような気が、タカナミにはした。
 だが、それは目の錯覚だったのかもしれない。ちらりと見直したタカナミのレンズ越しの視界では、波留の唇が吊り上がり、微笑んでいた。
 そして彼は、ベッドのタカナミを見つめる。深まった印象の笑みを向け、問いかけた。
「…一体、どう考えるべきなんですかね?」
 一貫して胸に当てられた波留の右手に力が込められている。まるでネクタイを無視してシャツを掴むように、胸元に指が立てられていた。
 それでも彼の顔には笑みが貼り付いている。何処かアンバランスな印象を与えて来る様である。
 ――彼は、笑っているのではない。
 最早笑う事しか出来ないように、感情が磨滅してしまっているのだ。彼にとって酷い事実を知って尚、笑って取り繕おうとした挙句、その表情が固着してしまっているのだ。常々、笑顔に好感を覚える人物だったのだろうから――。
 その事実に、タカナミはようやく気付いた。
 眼前の男が浮かべている凍り付いた仮面じみた微笑に、この人工島の女傑は不覚にも戦慄を覚えた。
 
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