何時しか、波留はタカナミの記憶からログアウトしていた。
 彼はメタルの海に漂うメタルダイバーとしての立場に戻っていた。眼前にはゲートが存在し、光の粒子をぼんやりと振り撒いている。
 彼は俯いている。両手は震え、ヘルメットのバイザーを覆うように当てていた。震える指には力が込められている。
 喰い縛った歯の間から、押さえきれない呼気が漏れる。それがバイザーに当たり、その箇所を白く曇らせたがすぐに消えた。
 歯が軋みを上げる音が微かに聞こえた。その音に紛れるように、ぴしりとひび割れるような音もする。
 指を立てたバイザーに細かなひびが入り始めていた。それをものともせず、彼は更に指に力を込める。周辺に僅かな気泡が立ち始めた。
 それから、然程時間は要さなかった。
 鈍い音を立て、彼は自らのバイザーを押し割っていた。
 その音はすぐに海に吸い込まれてゆく。大量のデータを有する海は、多少の変動には動じない。それをすぐに飲み込むだけだった。
 割れたバイザーの奥から気泡が浮かび上がる。海水に晒された顔の奥から、揺らぐ髪が垣間見えた。
 バイザーを押し割った両手は、そのまま彼自らの顔を掴んでいる。グローブ越しに顔を掴み、爪を立てるが如く指に力がこもっていた。露出した肌にもその堅いグローブの地が食い込んでいる。
 指の間から見える口許は歪んでいる。喰い縛った上下の歯の間から気泡が漏れ出ていた。
 そもそも、メタルの海に素肌を晒してはならない。そんな事をしてしまっては、即座に意識がメタルに溶けだしてしまう――それがメタルダイバーの不文律のはずである。
 しかし今の波留は、それを容易く打ち破っていた。まるでここがリアルの海の如く振る舞っている。
 不意に、喰い縛った歯の間から息が吸い込まれる。
 無論、ここはリアルだろうがメタルだろうが「海」には違いない。人間が吸い込んで用を成せる大気など存在しない。あるのは単なる「水」だけだった。
 だが、今ここに居るメタルダイバーには、それすら意識させていない。
 まるで息を吸い込み、大声を叫ぶかのように、口許が大きく動いた。
 声の代わりに大きな気泡が巻き起こる。そして、それに呼応するかのように、メタルに大きな振動が走っていた。





 この瞬間、電理研のメタル常時観測ログには若干の異常が見受けられた。
 メタル内に波動のようなものが走り抜けたが、実害は報告されていない。あったにせよ、それは通常範囲の通信における障害に収まる代物だった。
 一方において、鮫型思考複合体の存在が観測されたのは憂慮すべき事態だったかもしれない。しかしその存在もすぐに観測網から見失うに至っている。
 オペレーターも即座に発生した地点の走査を行ったが、何処にも該当する存在は見いだせていない。最終的には、異常な波動の襲来による誤観測との結論に落ち着いていた。
 
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