メタルダイブして海を漂う波留の眼前には、光輝くゲート状の存在がある。それこそがエリカ・パトリシア・タカナミの自意識が固定された状態だった。
 このゲートが彼女のメタルに繋がっている。波留はそこから拡散しつつあった彼女の自意識を全て回収し、再びその中へと押し込めていた。
 一旦拡散した意識は、安定のために暫くこうして落ち着かせていなければならない。リアルの状態で表現するなら、タカナミにはしばし安静にして眠っていて貰っているはずだった。彼女には安定剤などを投与し、夢すら見せない措置に至っているだろう。とにかく自意識が安定するまでは、その意識に不用意に動きを与えてはならないのだから。
 逆に言えば、今のタカナミの意識は固定され変動が一切ない。これまでの状況を探るには丁度いい状態だった。
 波留はゲートの前に右手をかざす。瞼を伏せ、アクセスしていった。
 これは一個人の意識を無断で探る行為である。プライバシーの侵害との批判から、言い逃れ出来ない。
 治療名目ならまだ容認される余地はあるかもしれないが、波留への依頼には原因解明までは含まれていない。その意味では、波留はこのログを電理研に提出したくはない。
 無論、下世話な好奇心から、彼女の意識を覗こうとしている訳ではない。あくまでも表層を浚うのみで、彼女がメタル内で一体何に触れた事でブレインダウンに陥ったのか、それを割り出す事に終始するつもりだった。
 波留は瞼を伏せた。作業に意識を集中する。タカナミと言う人物の記憶をゆっくりと遡る。ブレインダウンする直前に、一体何があったのか――?
 やがて、波留は瞼を開く。彼は眉を寄せていた。得た情報が、若干予想と異なっていたからである。
 書記長は当時、特に深くメタルを利用していた訳ではなかった。
 アバター通信のように、メタルに潜らずともメタルに依存する形式での利用はない。更に依存度が薄まる通常電通すらも用いていなかった。
 おそらくは書記長としての日常業務と思われるメールチェックを行っていた時点で、唐突に彼女の意識が掻き消えている。つまり、そこで彼女の自意識が脳に確保出来なくなり、メタルへの流出を開始した。ブレインダウン発症の表れである。
 そのメールが何らかの契機となったのは明白だった。原因を見出したと思った波留は、それを更に深く探ろうとする。今までは記憶の表層のみを手繰っていたが、メール付近をピンポイントに掘り下げてゆく。
 ブレインダウンの衝撃からか、メール付近の意識は鮮明ではない。データと言う面では削り取られ、復元しようにも断片すら探り得ない。それでもメールの送信プロパティやヘッダに何らかの痕跡が残っていれば、調査には充分な手助けになるはずだった。
 そんな事を考えつつ、波留は文字化けしたメールヘッダを解析してゆく。部分的にでも、送信元の手掛かりを割り出そうと試みた。
 しかし、どうにも進捗は芳しくない。これは言わば空メールのような状態で、本文自体に記載がない。通常のメールとは異なり、如何にも怪しくはある。本当に鮫からのアクセスとも、それこそハッカーやクラッカーからの攻撃を含めた接触とも受け取れた。
 だが、単なるクラッキングなどは、高い地位にある人間には日常茶飯事だろう。常に危機に晒される以上、防壁も人間に実装するものとしては世界トップクラスを利用しているはずだった。
 それを打ち破ってここまでの被害をもたらすとすれば、余程能力があるクラッカーが放ったプログラムが――。
 そこまで考えた波留は、はっと顔を上げた。そのメールに残されたタイムスタンプを確認する。
 データ面では相当が崩壊していたメールではあったが、送信時間は把握可能だった――少なくとも、故意偶然を問わず改変されていなければ。しかしそこまで疑っていては話が進まないと波留は思った。
 ともかく、残ったタイムスタンプから逆算すると、タカナミ書記長がブレインダウンしたとおぼしき時間帯と一致する。電理研が通報を受けた時刻と照らし合わせれば一目瞭然だった。
 それを確認した波留は溜息をつく。そして、自らの電脳にアクセスする。タカナミではなく、自分の接続ログを手繰り始めた。
 それは、今のこのダイブログではない。それ以前に行っていたメタルダイブである。灰色ぶち猫に餌をやり中座した格好の、以前の「アトリエ」メタルへのダイブログをタイムスタンプを表示したまま遡ってゆく。
 果たして、タカナミ書記長にあのメールが届いた時間帯、自分は何をしていたのか?――何をしてしまっていたのか?
 波留の中では、それが気に掛かる。そしてそこに真実を見出した気がしていた。
 自らのダイブログは鮮明に残されている。だから、その答えはすぐに判明する。
 ――タカナミ書記長がブレインダウンした頃合いに、波留もメタルへの接続を維持出来なくなり切断されていた。
 その秒数まで、一致した訳ではない。しかし、分単位でのずれはないと思われる。ミリ秒単位で争うスポーツの類ではないのだから、そこまで一致していたなら「同時」と考えて良いのではないか?波留はそう結論付けた。
 あの時、自分は何故、接続が切れたのか?
 ――あの時点で、僕は「アイリス」と会話していて――。
 波留は、ゆっくりと瞼を伏せた。顔を俯かせ、深い溜息をつく。その呼気に僅かに曇るバイザー越しには、海水がたゆたっていた。
 曖昧ではあるが、状況証拠は揃いつつあった。ここまで提示されては、どう言い逃れすべきか迷い始める代物だろう。
 そんな考えを抱き、波留は自らの中で結論を導き出す。
 ――あの時、「意識の力」そのもので、アイリスは僕を攻撃した。
 おそらく「彼女」は怒りのあまりに攻撃的な感情を抱いただけで、本気で僕をメタルから落とそうとか――そんなクラッキングめいた事をした自覚はない。
 メタルダイバーの嗜みとして、僕は防御プログラムを常時展開しているが、彼女の力はそれを突破した。「意識の力」があまりに強かったからだろう。同じメタルコミュニティに接続し、そこでは彼女がホストで僕が利用者と言う上下関係が成立していた事も要因かもしれない。
 そして――あの直前、僕達は何を話していた?俎上にあったのは、僕や彼女の話題ばかりではなかったはずだ。
 何より、僕は彼女に、ある人物のアドレスを渡している。それは当人の許可を得ていたのだから、横流しとも言えないはずだった。
 しかし、結果的にアイリスは、そのアドレスを握っていた。そしてあの時の怒りは話を持ち掛けた僕ばかりではなく、自分に干渉しようとしていたその人物へと向かったはずだ――。
 タカナミ書記長をブレインダウンに追い込んだのは、例の鮫型思考複合体ではなさそうだった。当初の波留の予想とは異なる結論である。しかし、その別の結論は、彼にとって重いものだった。
 あの「アイリス」と言うハンドルネームのアーティストが、援助を申し出てきた書記長を不快に思った事がきっかけなのだろう。そのアイリスがタカナミの個人アドレスを得ていたのが、不幸な偶然だった。
 しかし、あのアドレスを渡したのは、波留だった。更には、タカナミからの援助の話を振ったのも彼である。アイリスにタカナミとの接点を与えたのは、彼自身なのだ。
 あの話は、自分の所で握り潰しておくべきだったのだろうか。波留はそう思う。タカナミ書記長から話を持ち掛けられた時点では、そうするつもりだったはずなのに。
 しかし、アイリスの現状を垣間見てしまった段階で――僕は明らかに日和ってしまったのだ。
 既に「アイリス」の情報は拡散し、アイリスは危機に晒されている。そんな状態から何処まで守り切れるのか?視点を変えたなら、もっといい方法があるのでは――?そんな風に良いように考えてしまったのだ。
 波留はそのように、自らを断じてしまっている。
 客観的に見れば、彼の行為自体は別に責めを負うようなものではない。タカナミが持ち掛けた話を当事者たるアイリスに伝えなければ、それはそれで問題があるはずなのだから。
 只、今回は全てが悪い方へと巡っただけである。それでも彼は、自身の責任を感じている。タカナミを危機に晒したのは事実であるし、アイリスに誰かを人格的に「殺す」ような能力を発動する羽目に陥らせたのもまた、自分なのだから――。
 アバターの波留は唇を噛み締めている。その彼の眼前では、タカナミの自意識を固定したゲートが鈍く輝いていた。
 
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