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メタルダイバーに依頼される作業には様々なものがある。「ブレインダウン症例を引き起こした患者の意識の救出」は、そんな彼らにとってメジャーな仕事のひとつだった。 ブレインダウン症例自体には今もって謎が多い以上、救出作業の内容は千差万別となる。そんな中でも絶対的な指針となり得るのは「発症してからの経過時間」だった。 発症から時間を費やす程、メタルに流出した意識の救出は困難となってゆく。制御を失った自意識は徐々にメタルの海へと解け、その流れは患者自身には最早止められないからである。その明確なリミットとして8時間が設定されている程だった。 ブレインダウンの発症が確認され次第、出来る限り早く作業に取り掛かるに越した事はない。逆に言えば、初動が早ければ早い程、メタルダイバーの作業はどんどん楽になるのが通例だった。 今回のタカナミ書記長のブレインダウン案件に対し波留真理に提示された条件は、プラス材料ばかりだった。 第1に、初動が迅速だった事である。 発症から10分程度で彼の元に依頼が寄越されている。そして彼の現在所在地には救助のための充分な施設が存在していた。例えば、電理研や評議会の施設を使用しに向かうだけのタイムロスが省ける格好になっていた。 第2に、既に波留はタカナミの個人アドレスを所有していた事が挙げられる。 彼女がブレインダウンした際には個人専用アドレスを起点として意識が流出し始めているはずである。そのアドレスの詳細を知っていた波留は、意識の流出地点とその回収目標を割り出すだけのロスを要さずに済むはずだった。 第3に、タカナミ書記長は特殊な環境でブレインダウンした訳ではなかった事もある。 第2の事情と被るが、充分な安全性が保証されないイレギュラーなメタルの使い方をしていたなら、その分危険性が高まる。その場合、想定外のトラブルが発生してのブレインダウン発症の可能性もあった。救出側の手に余る状況に陥っている可能性すら存在し得ただろう。 しかしタカナミはメタルにおいては品行方正だったようで、通常の利用状況だった。そうなると、流出した意識の拡散状況も予測の範囲内に収まっていた。 第4に、波留真理と言うメタルダイバーは、世界的に見ても秀でた技術の持ち主であった。ここまで好条件が重なった案件など、彼にとっては容易いものだった。 以上の理由から、波留は大した手間も要さず、タカナミの自意識をメタルに固定し保全完了している。依頼主からフリーハンドを与えられた立場だったが、特に危ない橋を渡る必要はなかった。 ――作業は無事完了した。となると、どうしたものか。 波留はメタルの海に漂いつつ、そんな事を思っていた。 タカナミ書記長の自意識は全て固定した。後は医師に全てを引き渡せば良い。「救出作業」との仕事はこれで終わっていた。 しかし、波留には気に掛かる点がある。 状況を見る限り、タカナミ書記長は危ない行動はしていなかった。だと言うのに突然ブレインダウンしてしまったのだ。彼女に落ち度らしきものが見当たらない以上、原因はメタルそのものにあるような気がしてならない。 例えば――あの鮫型思考複合体の存在が、波留の脳裏をよぎる。 あの思考複合体は一旦は封じ込めたが、いずれはその封印を破って再来すると波留は睨んでいた。それが、今だったのだろうか。たまたまそこに、タカナミ書記長が巻き込まれたのだろうか? あの鮫は、一般メタル領域しか利用しない一般人を「喰らった」事はなかった。少なくとも、その記録はない。 これまでは作業のためにダイブしていたメタルダイバーを襲っただけで、その回遊範囲も限定されていた。しかし、あの鮫は進化してゆく節が見受けられる。あれからまた復活した場合には、更に別の特性を獲得している可能性も否定は出来ないだろう。 ――あの鮫絡みならば、それは僕のやり残した仕事だ。 波留にはその認識がある。電理研と距離を置いてからもこの事務所を不法占拠してまでメタルを監視し続けていたのは、あの鮫型思考複合体の復活の予兆を見逃さないためだったのだから。 しかも、その予兆を見逃した挙句、こうして島の支配者のひとりを危険に晒したとなっては、彼にとっては不覚以外の何物でもない。 勿論、あの鮫が本当に今回のブレインダウンに絡んでいる確証は、波留の中にすら未だ存在しない。それを今から探ろうとしている段階に過ぎない。 ログの提出は必要ないとの言質は得ている。ならば、自意識救出以外の作業を行っても、発覚はしないだろう。波留はそう考えた。 しかしあれは口約束に過ぎないし、所詮は「彼」が口走った事だった。後から「人間」側からログ提出を求められる可能性はあるのかもしれない。 ――だが…まあ、その時はその時だ。波留の心中にはある種の開き直りが沸き上がる。結局は、タカナミ書記長がブレインダウンした原因が何も判らないまま放置する事が、彼の中では気持ち悪いだけなのかもしれなかった。 |