「アトリエ」と位置付けられたコミュニティ内部のログハウス内では、展示されているメタルアートが淡い光を放ち続けている。それぞれに色合いは異なるが、一様に美しさを保っていた。
 その光に、展示室の奥に立つ波留の姿がぼんやりと照らし出されている。彼はその更に奥を見据えて立っているのだが、彼の視線の向こうには闇が埋もれているばかりで先にあるべき壁すら見通せない状態だった。
 ここはリアルではなくメタルコミュニティなのだから、外観設定と矛盾する間取り設定も共存出来る。或いは間取りの設定を完全に終えていない可能性もあった。展示物を並べるに足るスペースさえ確保してしまえば、その他の整合性は気にしない――そう言う思想の元にログハウス内が設計されているのかもしれなかった。
 そんなログハウス内に、淡々とした電通が流れてゆく。コミュニティのホスト権限の参加者全員への電通だが、それを聴くのはここに立つ波留のみであるはずだった。
 ――…何だか良く判らないんだけど…「アイリス」ってのが噂になってる。イリス作と噂されてたメタルアートの実の作者だって。
 アイリスが語るそれは、まるで他人事のような表現だった。自分がその口で言ったように、自分の噂話だと言うのに。あまりの事態に実感が沸かないのか、怖い目に遭い感情が摩滅したのか――その他の事情なのか、聞き手の波留には判らなかった。
 何にせよ、アイリスは今回の騒動について、核心に触れようとしていた。波留にもその話の流れは読み取れている。
 ――あなたのせい…――だったりする?
 果たしてアイリスは、そのような事を波留に訊いてきた。若干躊躇いがちに言葉を濁し途切れさせたが、最終的にはしっかりと尋ねていた。
 その問いに、波留は僅かに顔を俯かせる。アバターである彼の顔に、垂れた前髪が落ちる。目元に細く髪が掛かったが、それを払うような事もしない。
 ――…判りません。
 数秒の沈黙の後、波留は短く答えていた。顔を上げないままで、今までとは違い前を見据えようともしない。
 ――あなた、依頼受けて調査してたって言ってたじゃない。
 アイリスはそんな事を訊いてくる。それはもっともな指摘ではあるのだが、特に弾劾めいた響きではない。波留を非難するつもりはなく、単に疑問を解消したくて尋ねたつもりの様子だった。
 その問いに、波留はゆっくりと顔を上げた。唇は固く結ばれている。電通形式のため、必ずしもアバターの口を開いて会話する必要はない。それでも彼の口許には引き締められた印象があった。
 ――はい。あの後僕は、斡旋先の電理研に調査報告書を提出しました。
 やがて、波留は語り出す。問われた事に対して、自分が成した事を全て明かそうとした。
 ――元々の調査依頼は「イリス探索」だったのは先日申し上げた通りですが、実はイリスの復活はなく「アイリス」と言うアーティストがあの匿名アートを作り上げたのだと…その辺りの真相について、僕は特に隠し立てはしていません。
 青年の静かな電通がログハウス内へと通ってゆく。アバターとしての彼は、直立不動の姿勢を保ち前を見据えている。
 ――しかし、あなたにデビューの意志はないとの意見書も、それとは別に添付しておきました。
 その言葉を、波留はきっぱりと告げた。表情も態度も、今までとは一切変化していない。だが、発言者にとっては、そこは重要だった。
 ――あの依頼主の真の要望は「イリスのパトロン」でしたから。例え発見されたのがイリスではなくアイリスと言う別人であってもパトロンになりたがる可能性はありました。しかしアイリスにはその意志はないと、書面でもって伝えて先手を打ったつもりです。
 報告書が依頼を遂行した末に「仕事」と割り切って書かれたものならば、この意見書は波留の独断の産物である。
 彼はアイリス当人と会話した結果、依頼主の要望は決して果たされないと確信した。そしてそれを判っていながら伏せたままにしておけば、アイリスと依頼主の双方にとって不幸な結果を与えかねないと思った。だから「意見書」との形式で、上申しているのである。
 調査報告はあくまでも客観的な事実しか明記していない。そこに調査人の個人的な意見を付与してはならない。だから別個の文書を作成した。
 或いは、電理研提出時に口頭で述べずに敢えて別文書を添付したのは、明確な証拠を残しておきたかったとの思惑もある。彼としては、後日言った言わないの世界に陥りたくはなかったし、口頭よりも文書の方が「意見」の重みは増してくるものだった。
 その手の政治力は、曲がりなりとも彼の50年前の独立行政法人職員時代に培われている。政治的な文法とは、古今東西大して変化しないものだからだ。
 以上の通り、波留としては今回の案件報告について、出来る限りの事をしたつもりだった。自己弁護のように聴こえてしまうかもしれないが、彼にとっては最善を尽くしたはずだったのだ。
 そこに、黙って訊いていたアイリスが声を上げる。波留の言葉の後を取った。
 ――…でも、こんな感じになっちゃってるよ?
 それは冷や水を浴びせるような言葉だった。自己弁護めいた波留の説明を、真っ向から否定している。事実がそう成り果てているのだから、仕方がない。
 波留が巡らせた様々な思惑は、全て無駄だった。或いは、逆効果だったのかもしれない。それとも今回の事態に全く関係がないのか――ともかく期待された効力を成していないのだ。
 ――…そうですね。
 しばしの沈黙の後、波留は頷いた。現状は、彼としても認めざるを得なかった。今までこうして説明しつつも、何処か嘘臭さを感じてならない程だった。現状と相反する説明に空しさを覚えていた。
 ――あなたに依頼して報告を受けた人が、報告内の情報をばらまいたの?私に断られた腹いせに?
 ――…それも判りません。
 アイリスからの問いは相変わらず淡々としている。波留を責める様子は微塵も存在しない。
 それが、波留を却って苛む。まともな返答を寄越せない現実に冷静に向き合うしかない自分を、否応なく突き付けられる。
 ――判らない事ばっかり?
 ――…そうですね。
 ――様々な事を調査する、メタルダイバーのくせに?
 それは食ってかかるような口調でもない。アイリスの淡々とした語り口は変わらない。しかし、冷静故に辛辣な言葉とも解釈出来た。結局は言葉の意味は、受け取る側の心証によって変化するのだろう。
 
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