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波留の視界に広がったのは、公園めいた風景である。 前回「見た」ものと同じ風景だと彼は思う。もっとも、前回の彼は「視界」としてこの風景を認識した訳ではない。それでも彼は、共感覚で確保した「視覚」と実際の視覚とで「同じもの」を見る事が可能らしいと、図らずも実証出来た気がした。 見覚えがある光景を、彼は以前の記憶に頼って歩いてゆく。獣道めいた遊歩道が森の中を走り、草や土の匂いが漂っていた。 メタルコミュニティにログインした彼の姿は、通常使用しているメタルダイブスーツではない。重装備のそれではなく、アバター空間用のノースリーブ仕様だった。晒した腕や顔に爽やかな風が届いた。靴底には土の感触が伝わってくる。 鬱蒼とした森の奥に足を進めると、1軒のログハウスに辿り着く。それもまた前回ログイン時と同じ風景であり道程だった。 波留はその玄関扉のノブを掴み、回す。容易く開いた扉をくぐって中に入ると、相変わらず美術館めいた展示品の羅列が目に入る。彼はそれらをちらりと眺めつつ、奥へと進んでいった。 ――こんにちわ。 不意に、波留の電脳内に声が響いてくる。 メタルコミュニティのホストは、自分のコミュニティの参加者に対しアドレスを指定せずに電通やメールを送信出来る。一般コミュニティであってもそのようなシステムがデフォルト実装されていた。 その機能に拠り、ホストは相手のアドレスを知らずとも連絡が取れる立場である。そもそもコミュニティへのログイン許可やキック権限など、ホストは参加者に対して大きな権限を有していた。前時代のネットワークコミュニティ管理者と何ら変わらない。 波留は聴こえてきたその声に足を止めた。それは聞き覚えがある声――とは言え前回同様にノイズ混じりの音声のために、人間としての声質とは認識出来ない。もっとも、唐突に生の音声で話しかけられたにせよ、波留にはそれが同一人物かどうか判別出来なかっただろう。 ともかく黒髪の青年は顔に微笑みを浮かべた。胸に右手を当て、奥へ向かい礼儀正しく一礼してみせる。まるでその方向に相手が居るかのような素振りだった。 ――今回は入室許可を下さり、ありがとうございます。 一礼しつつも波留は、電通相手にそんな言葉を返してみる。 コミュニティ参加者である彼は、このコミュニティ全体へと発言する形式を選んだ。このコミュニティの参加認証を受けているのが現在ログインしているこのふたりのみならば、それは必然的に1対1の電通と同様の行為となるからだ。 このふたりは互いのアドレスを知らないまま、一定の秘密を共有しつつあった。しかし、波留は名乗りを上げ一定の身分を明らかにしているため、相手側――「アイリス」とのハンドルネームを名乗るメタルアーティストが検索でもする気になれば多少は彼の事を知る事も出来るだろう。 ――…まあ、あなたには感謝しているから。 アイリスから返される言葉はノイズ混じりの音声ではある。だが、述べた言葉の通りに感謝の念が込められているような印象は、確実に存在する。波留はそれを嗅ぎ取った。 ――何だか良く判らないけど、ゲートが隠れてるのってあなたのおかげなんでしょ? ――ええ。昨日、勝手ながらマスクを掛けさせて頂きました。 相手からの問いに、波留は首肯し更に説明を加えた。すると、電通に溜息めいた音声が乗る。 ――アドレスブックマークしてるから最初は気付かなかったんだけど、寄り道して外からログインしようとしたらホストの自分にも出来ないし、ゲート見えないんだもん。 ノイズ混じりの音声ながら、アイリスは自分の体験をそのまま伝えて来ている。そこに驚きや戸惑いの感情は存在するようだが、愚痴や非難めいたものは感じられなかった。 ――居ない間に乗っ取られたかと思ってびっくりしたけど、ブックマークからなら入れたから…これはあなたの仕業かなって思った。 ――アドレスを直接入力すれば通常通りにログイン可能です。しかし外部からは一切見えないように隠蔽しました。 アイリスの体験談に、波留はそう答えた。 どうやらアイリスは、そこそこのメタルの知識を持ち合わせているらしい。ログイン出来ないとの異常事態に驚きつつも、他の方法を試行しているのだから。それはトラブルシューティングの基本そのものだった。 「彼」もしくは「彼女」は、感性のままにメタルアートを作成しているとは言え、その手法にメタルを選んでいる。盲目故に他の手段ではアートを紡ぐのは難しい事情はあるだろう。それでも一般人よりはメタル慣れしているなら、平均知識を有していても当然な立場なのかもしれなかった。 一方で、メタルダイバーやプログラマーのような専門家の知識には流石に互する事は不可能だろう。だから波留は、多少はメタルを齧っている一般人へ解説する程度の内容に留めていた。 ――早急に隠蔽すべきだと思ったもので…事前に承諾を得ず、申し訳ありませんでした。 そんな説明の最後、波留は謝罪の言葉を付け加えていた。静かに頭を下げる。 何せ彼は、該当メタルコミュニティのホストの断りもなく、勝手に外部からその存在を覆い隠したのである。良かれと思ってやった事だったが、常識に照らし合わせたなら好ましくない行為に他ならなかった。 今回、波留はハッキングなどの手段は用いておらず、コミュニティ自体の構造には一切手を加えていない。しかし実際に、場合によってはホストすらログイン出来ない事態に陥っている。何の通達も受けていないホストにしてみたら面白い話ではなかっただろう――このメタルダイバーはそんな事を思っていた。 ――…いや、助かったよ。 しかしアイリスからはそんな言葉が返ってきた。呟くような小さな声で、特に波留を取りなそうとかそう言う印象は持たない。 ――実際、外、怖かったし。このまま放っといたら、本当に変な奴に乗っ取られてたかもしれないし。 ホスト権限の回線からは述懐するような説明が続く。それに対し、波留は何も答えなかった――答えられなかった。言葉が何も出てこない。 ――つまりは、僕と初対面した後の2日間、そんなに怖い状況だったのだ。そこまで怖がらせるような状況を、僕は放置していたのだ。 その現実を、波留は改めて突き付けられた気がした。危惧していた事が実際に起こっていたのだと、当事者の口から明らかにされたと悟った。 |