早朝に予想外の来客を迎えて以降の夕方、波留はメタルダイブに勤しんでいた。
 託体ベッドや柱を模した端末と言った専用設備を用い、アドレスを直接指定してメタルの海へとログインする。パスが通った瞬間、彼の横たわっていた身体は浮遊感に包まれ、次いで浮力と水圧とを感じ取った。全ての感覚がリアルの身体から受けていたものから、メタルのアバターが感じ取ったものへと置換される。
 メタルダイバーの波留には慣れた感覚だった。その感覚の大半はリアルの海へのダイブとも同等である。
 全身を覆う青基調のメタルダイブスーツを装備し、バイザー越しに深海の光景を見通す。彼がダイブした海域には何も存在していないようで、ダイブ時に彼が巻き起こした流れと泡も徐々に海に吸収されていった。静寂を取り戻すに長い時間を要さない。
 透明なバイザーの奥で、波留は瞼を伏せる。右手をゆっくりと突き出し、掌を広げた。何もない深海を指し示し、瞼を開いた。その先を見据える。
 が、彼はすぐにその手を下ろした。バイザー内では様々なダイアログが展開されているのだが、それは彼のみが見ている光景である。
 本来ならば、この何もない海域にはメタルコミュニティへのゲートが存在している。その存在を、先日波留はマスクしていた。誰にもこじ開けられないよう、セキュリティは万全だった。
 そして彼自身も、マスクを掛けて以降、そのゲートへとアクセスしていない。
 万が一と言う事もある。アクセスを図った自分に、何者かが枝を付けでもしていては?そのアクセスを辿られ、この隠蔽に気付かれる可能性を排除出来ない。周辺を回遊しているフリーのメタルダイバーや彼らが放つ探索型思考複合体に余計な情報は与えたくはなかった。
 もっとも、アクセスしてゲートを通ろうにも、設定上無理があった。
 その「アトリエ」メタルへのログイン権限は、「盲目者」のみに与えられている。その条件を満たすメタルダイバーは、極稀だろう。
 前回ログインを果たした際、波留は偶然盲目状態に陥っていた。不便極まりないステータスのはずが功を奏した格好になっている。
 しかし、今は違う。リアルもメタルも、彼は健康そのものだった。そのため、このゲートの先へとログインは出来ない。
 自分はメタルダイバーであり、ハッキング能力を有している。ゲートのアドレスとその先のコミュニティの構造とを知っているアドバンテージも持ち合わせていた。ならば、その認証条件をハッキングで解除する事も可能かもしれない。
 しかし、波留はその手法を選ばなかった。相手あっての事である。そんな強引な方法でログインした所で、心証を害するばかりだった。折角構築した信頼関係を自分からぶち壊しにしてどうするのかと思う。その考えに基き、自らのステータスにマスクを掛けて「盲目」と偽る手法も却下していた。
 ――となると、多少は身体を張らないと相手に認めて貰えないと考えるべきだった。
 いっそ、あの「蒼い石」を再び構築するかと、波留はちらりと考える。あのダイブにおいて「盲目」に陥った要因が、あの「蒼い石」と思われる。それが放った激しい光に目が焼かれたイメージだったのだから。
 あの現象を再現出来たなら、僕はまた盲目になれるだろう。彼はそう判断する。
 しかし首尾良く盲目になれたとして、その先の現象も再現可能かは、また別の問題だと思われた。上手く共感覚を利用して視覚を補えるか、その保証はない。そして何より、前回同様にログアウト後には視覚が復活するかどうかすら、確約出来ないのだ。
 現実に視力を喪失するリスクを冒す事を、自分は出来るのだろうか?そうなる可能性をも視野に入れ、あの現象を再現出来るのだろうか?
 ――視力を失えば、僕はまた海を失うだろう。
 盲目者が海に向かうなど危険極まりない。同伴者が居ればレジャーダイビング程度は可能だろうが、現状のように気ままに深海を目指す事など無理だろう。
 しかし、そこまで賭けなければ、あの人物の信頼を勝ち得る事など出来る訳もない――。
 そんな思考に波留は浸っている。メタルアバターとしての彼は瞼を伏せ、メタルの海に立ち泳ぎで漂っていた。
 不意に、電脳に短い電子音が鳴り響く。彼はそれに気付き、ゆっくりと瞼を開いた。思考を生脳の思惟から電脳内のダイアログメッセージに向ける。
 そこには簡潔な一文が記されていた。
 ――入室が許可されました。
 プロパティを参照するに、それはメタルコミュニティからの自動送信メッセージらしい。ある特定のコミュニティへのログイン履歴を持つ者へとそのコミュニティのホストが送信権限を有する、メタル内では有り触れた告知用システムだった。
 波留はそのメッセージを黙ったまま見据える。勿論、彼にはその送信者が誰なのか、理解出来ていた。
 しかし真意は判らない。判らないが、とにかく入れては貰えるらしい――。
 波留は再び瞼を伏せる。そのメッセージに従い、保持していうアドレスに直接ログインを試みた。
 その瞬間、彼の姿はこの海域から消滅する。彼の痕跡は何も残らない。唯一残したものと言えば、僅かな海水の揺らめきのみであり、それもすぐに海へと飲み込まれていった。
 
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