ミナモの心中をよそに、ペーパーインターフェイス上では犬のアニメーションが元気良く駆け回っている。単純な動きは何時まで眺めていても代わり映えしない。そしてその待ち受けに何かが着信する事もなかった。
 流石にミナモは、その不毛さに疲れを覚えてきた。休憩時間もそうは長くはない。端末の画面から視線を外した。
 ミナモはそのまま顔を上げる。周辺をぐるりと見回した。近くの携帯端末から周囲へと視界を移したため、焦点はすぐには合わない。それでも人体の基本機能は高性能アンドロイドに匹敵するレベルであり、補正は一瞬で行われた。
 視界の補正には、何かに視点を合わせる行為が助けになる。ミナモはそれを特に意識せずに行っていた。代わり映えのしない待合室の風景の中、多少は目を惹く存在があったからである。それを彼女の眼球が受け止め補正する。
 固定されたミナモの視界には、病院服を着た少年の姿があった。自分よりは年上のようだったが、それでも年若い患者は病院には珍しい。病院服姿なのだから外来ではなく入院患者と考えられ、尚更である。
 とは言え、初対面の人間をじろじろ見続ける行為は、礼儀に反するものである。そもそも対面すらしていない、見ず知らずの相手だった。
 ミナモにも自重が働き、すぐに彼から視線を外す。装うように手元へと視線を落とした。――銀髪の人って、この島では珍しいなあ。そんな、ある意味充分に無礼な感想を心中に零した後、少女の中でこの1件は終了した。
 何気なく見下ろした端末の画面では、相変わらずダップーと言う犬が走り回っている。こちらはこちらで、一向に代わり映えがしない。
 ――AIさん、メールのやり取りもしたくなかったかな。
 寂しげな表情を浮かべ、ミナモはそんな事を思い始める。
 もしそうなら確かに寂しいものだが、「彼」――久島永一朗の知識と記憶を受け継いだあのAIの現状を鑑みると、その対応が適当ではあるのだ。ミナモとしても、今考えてみたらそう結論付けざるを得ない。
 あのAIが「会うべきではない」と言い放った理由として「君は私の事を偽れないからだ」と挙げている。つまり「久島永一朗」当人になる事を選んだ「彼」を、この少女は何時までも「AIさん」だと認識し続けるだろうと考えていた。
 そして、言い放たれた側としても、それは否定出来ない。むしろ肯定する勢いだった。彼女にとって、AIさんはAIさんであり、久島当人ではない。知識と記憶が一致しようが、パーソナリティは違うと信じ込んでいた。
 ――周囲の人々は、AIにパーソナリティなど存在しないと思っているだろう。それが世間の常識らしい。
 でも、私の中では違う。AIさんはAIさんだし、ホロンさんはホロンさんなのだから――。
 自分の中の常識と世間の常識とを、ミナモはどうしても擦り合わせる事が出来ていない。それをあのAIも見抜き、接触を断つ事を選んでしまった。
 会わなければ、余計な接点を持たずに済む。今なら蒼井ミナモと言う少女が久島永一朗と度々会っており、介助担当者でもあった――そんな過去を知られる機会も潰せるだろう。そこを見込んでの措置であるはずだった。
 それならば、直接会う以外の関係も絶つ方が確実だろう。つまり、メールのやり取りすら厳禁としてしまえばいい。
 ――AIさんは、バレるきっかけを全て潰しておきたいんじゃないのかな?だって、あの時も、バレてしまってとんでもない目に遭ったりもしたんだから――。
 ミナモの脳裏に、あの厭な想い出がよぎる。あの流星群の夜、隔離病棟の屋上に車椅子の彼を連れ出したのを、テロリストに目撃されてしまっていたとの出来事を。
 「AIさんに流星群を見せてあげたい」――そんな心境からの、良かれと思ってやった行為のはずだった。しかし、確かにこれは考えが足りない行動だった。その結果、あの占拠事件を引き起こしてしまったのだから。
 高い代償を払った経験を、今後生かさない訳もない。特に、AIさんはとても頭が良いのだから――世間的には「AIの学習能力」と評される事柄を、ミナモはそんな風に認識していた。
 ――あんな事があったんだから、私も色々と我慢しなきゃいけないのかな?
 しかしあの時、流星を見ていた「AIさん」が喜んでいたのは、ミナモの中で否定しようがない事実だった。その横顔を見られただけでも、あの行動に意味があったはずだった。
 そして何より、流星群の中、ミナモはあの人物に再会している。
 その奇跡と呼ぶしかない経験も、あの無茶がなければ成し得なかったはずだった。彼女はそう信じたかった。
 しかし、あの出来事については、ミナモはあのAI以外の誰にも告白していない。
 久島の意識の復活を図っていた電理研の技術者達にも伏せていた。そのメンバーの中に含まれていた実の父にも告げていない。或いは、実の兄たる統括部長代理にも、名代に任命して貰っている久島の姉にも――あの親友にすら話していない。
 一番最後に挙げた人物にこそ、降臨の事実を告げるべきだったのかもしれない。どんなに喜ぶ事だろうかと、少女は思う。
 しかしその一方でミナモは、その軽々しい行動がまたしても想定外の事態を引き起こす事を恐れていた。
 「久島」の存在は、その黒髪の青年の中であまりに大き過ぎるのだ。あまりの言動を見せつけられたミナモが困惑した事もある。むしろ恐れすら覚えた。
 ――波留さんは、AIさんの事を認めていない。
 もうこれは紛れもない事実だと、ミナモは判断していた。そんな彼に「久島さんが義体に戻ってきた晩があった」と伝えてしまった瞬間、「AIさん」に対して更に辛い扱いに至る気がしてならない。
 ミナモは、そんな光景は最早見たくはなかった。それは、波留に対しても、あのAIに対しても――である。自分は、どちらも好きなのだから。
 この話題の思惟に浸っていると、どうしても暗い気分に沈んでしまう。ミナモは胸のもやもやを吐き出すべく、三度溜息をついた。
 拍子に少女の頭部が僅かに動き、視界がぶれる。その向こうで端末の画面を走る犬の姿が一瞬ぼやけた。
 ――…じゃあ。
 瞬間、ミナモの脳裏で新たな考えが弾けた。
 ゆっくりと顔を上げる。視界を手元の携帯端末から外し、徐々に上向かせてゆく。
 横切ってゆく待合室の風景は特に変化はない。暇を持て余しているらしき入院患者達が数名居るだけだった。その最中にも、ミナモの心中に考えの続きが沸き上がってゆく。
 ――AIさんは自分が久島さんじゃないって事を、知られたくはないんだ。
 じゃあ、それを知ってる人達を、どうするつもりだろう?
 電理研の人とか、頼めば黙ってくれる人達は、特にどうするつもりはないと思う。持て余してそうな私だって、こうして連絡を絶ってるだけなんだから。
 ――…じゃあ…絶対に、黙ってくれなさそうな人は――?
 ミナモの脳裏に黒髪の青年の姿がちらつく。あの日、冷たく無表情に自らを見据えてきた姿が再生されていた。あの表情を見せた理由と、今までの彼の言動を鑑みると――。
 次の瞬間、とても厭な感覚が背筋に走った。
 それは少女の直感だった。そして酷い事に、その手の直感の的中率は高い。その自覚が、彼女自身にあった。
 待合室の天井からは淡くも充分な光量の照明が掲げられてる。それもまた代わり映えのない光景の一部だった。
 少女の手の中の端末では、隅のデジタル時計が休憩時間の終了を告げている。
 
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