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入手経路に後ろ暗い点がないのならば、波留にとっての問題はその先に存在する。彼はその先へ話を進めようと試みた。 「――…僕がアイリスを知っているとして、だから何でしょう」 静かに問いかける波留に、タカナミは微笑んだ。姿勢を正し、口を開く。 「拝見した報告書に拠れば、素晴らしいメタルアートを生み出した人物との事ですね。オリジナルではなく模倣から入っているようですが」 波留は頷いた。少なくともこの台詞を額面通り受け取るならば、そこに否定すべき言葉は存在しない。 「私もアイリス作のメタルアートを体験しました。確かに素晴らしいと思います」 美しい微笑みを湛えたまま、タカナミはそう続けてゆく。しかしそれを訊いている波留は笑わない。どうも論理展開が厭な方へと向かいつつある気がした。 「ですから、アイリスを正式にアーティストとしてデビューさせたく思いました」 その台詞に、波留はゆっくりと瞼を伏せた。乾いてきている前髪が垂れ、目元に掛かった。 ――ああ、やはりそう言う方向か。彼は自らの予想が的中したと悟った。そしてそれは、全く喜ばしい事態ではない。 青年は俯き、溜息を漏らす。タカナミを見ないまま、口を開いた。 「…僕は、報告書とは別に意見書を添付していたのですが」 「ええ、そちらも拝見しました」 これは、波留としては探りを入れたような問いかけだった。しかしタカナミは普通に答えを寄越す。どうやら「探り」とは気付かれてはいないらしい。或いは、特に隠そうとも思っていないのだろう。 波留は昨日段階で「アイリス」の存在がメタル内に大規模に知れ渡ったと把握した段階で、何処からそれが漏れたのかと考えた。その最中、電理研は果たして自分の意見書をどう扱ったのかと疑問に思った。 彼は、その意見書に「アイリスは世に出る事を望んでいない」と記していた。なのにアイリスの存在が触れ回られているのだから、電理研が意見書を削除して依頼人に回したのかと邪推すらしていた。 しかし、タカナミは彼の意見書を共に閲覧しているらしい。彼女が何処から報告書を入手したのかは謎のままだが、電理研が波留提出のオリジナルソースに手を加えた可能性は格段に下がるだろう。 そうなると「何者か」が波留の意見を敢えて無視した挙句に、アイリスの情報がメタル内に拡散された事になる。それはそれで別の問題が生じている。 だが、現段階では「別の問題」に過ぎない。当面は、このタカナミの申し入れを重要視すべきだと波留は判断した。 決意し、青年は顔を上げる。タカナミを真っ直ぐに見据えた。眼鏡を掛けた妙齢の女性は、透過された瞳に笑みを浮かべたままだった。 「――僕の意見書を御覧になっているのならば、アイリスの態度はお判りでしょう。あのアーティストは、そんな事を望んではいません」 「ええ。そうでしたね」 書記長は波留の言葉に頷いた。彼の意見を肯定する素振りを見せる。その態度に、波留は思わず首を傾げる。それが判っているのならば、どうしてこんな事を言い出すのだろう――。 「しかし、状況は刻一刻と変化しています」 続くその言葉に、波留は怪訝そうな表情を浮かべる。この書記長が言わんとする事が読み取れなかった。 そうやって興味を惹く話術なのかもしれないと思う。しかしそれに気付いた所で彼にはどうする事も出来ない。実際にその先を訊かない事には判断が付かないのだから。 タカナミは右手を胸に当てた。若干上体を乗り出す。まるで熱弁で波留へと語り掛けようとする姿勢を取った。 「アイリスの存在が明らかになった今、他のダイバーが正体を暴いてしまうかもしれません。不測の事態に陥るならば、自分から名乗りを挙げてこの状況をコントロールすべきだと考えます」 対面する書記長が語る言葉を、波留は黙って訊いていた。軽く瞬きを挟んだりもしている。 「私はその手助けをしたいのです。そのためには、アイリスの信頼を得ているあなたの助力が必要となるでしょう」 台詞の最後には、タカナミは左手を持ち上げた。まるで差し伸べるように、その手を波留へと向けた。 その手を波留は一瞥する。しかし無言のまま、腕を組んだ。考え込む仕草を見せた。 理には適っているような話ではある。 だが、結局はこの書記長がアイリスのパトロンに立候補したに過ぎない。言ってしまえば、あの依頼主だった株主の調査結果を横から掠め取り、大きな利を得ようとしている――。 そこまでは勘繰り過ぎかと、波留は思う。だが、この女傑が単なる同情心のみで動くとは思えない。アイリスの存在を本当に守りたいにせよ、その矢面に敢えて立つつもりならば自らが得る利益をも考慮しているはずだった。 波留は、言葉の額面通りに、書記長の誘いを受ける気にはなれない。それは有能な政治家を前にしての、著しい偏見に満ちた過剰な防御反応なのかもしれない。が、用心に越した事はないと考えた。 何せこれは、彼だけの問題ではない。彼はついでに過ぎず、俎上の人物はアイリスなのだから。 「――…いいえ」 果たして波留は、タカナミの左手を眺めたまま、首を横に振る。明確な意思表示を見せた。 「アイリスの存在は、僕が守り抜きます。それが、見出した僕の責任なのです」 メタルダイバーの青年は、きっぱりとそう言い切った。これが彼の決意表明に他ならない。自分のメタルへの不在の間にアイリスを苦境へと追いやっている事は想像に難くない。ならば、それを押し留めるのが自分の義務であるはずだった。 「そうですか…」 波留の言葉を受け、タカナミは頷いた。左手を引っ込め、右手を胸から剥がす。特に反駁しようとはしない。彼女としては、どうやら断られる事も折り込み済みだったらしい。 「ひとまずここは引く事にしましょう。しかし、心変わりなさったら、御連絡下さい」 言いながら、タカナミは右手を持ち上げる。掌を広げ、波留の方へと突き出した。 自らに迫る掌を、波留は怪訝そうに眺める。そこにタカナミは告げた。 「これが、私への直通アドレスです。あなたに、お渡ししておきます」 波留としては、それを受け取らない訳にはいかなかった。 それがこの会見を終わらせるやり取りになるはずであり、逆に言うと受け取らない限りこの書記長は立ち去らないだろうと思ったからである。 ――受け取ってしまえば、またしても厄介事が増えるに違いないと判っていたとしても。人工島の最高権力者を捕まえておいて、彼はそんな事を考えていた。 |