ミナモが心中にてその名を挙げた波留真理は、この一件に対しては当事者を名乗ってもいい立場の人物である。ミナモがひとりごちた通り、彼がメタルダイバーとして依頼を受け調査を進めてきたからである。
 そんな当事者たる波留だったが、現在の状況を把握したのはミナモよりも遅れていた。
 先日「アイリス」のアトリエメタルに辿り着き、その報告書を電理研統括部長代理へと提出した後は、彼はメタルへの接続を自粛していた。共感覚を利用し視覚を維持する――ある意味とても無茶なメタルダイブを強行したせいか、脳に酷い疲れを覚えていたからである。
 メタルダイバーとは、そもそも脳を酷使する職業である。無理を自覚した時点で休息を取り入れるべきだった。メタルを統括する電理研は一定時間毎の休息を推奨し、メタルダイバー自身も自己管理に余念がない。自らの意識――引いては生命そのものが掛かっているのだから、当然の話だった。
 具体的に表現するならば、報告書の提出以来、波留は丸1日以上メタルに接続していない。
 彼はメタルダイブはおろか、単なるメールチェックすら行っていなかった。無茶なダイブにより脳に負担を掛けた自覚がある以上、脳の休息を徹底したのである。
 間に挟んだ日曜がダイビングのインストラクターをこなす日だったのも、彼には幸いしている。
 現状こそメタルダイバーである波留だが、ドリーム・ブラザーズの非常勤インストラクターを始めた頃には未電脳化者だった。そのため、当初はメタルに接続せずにインストラクター業を行う他なかった。
 再度電脳化した後には、他の殆どのインストラクター同様にメタルに接続しつつダイビングを可能としている。
 だが、時折は今回のようにメタルを一切利用せずにインストラクターを行う事もある。今回のようにメタルダイブ直後のインストラクター業務において、必要がなければメタルに繋がない日もあった。
 メタルを用いない50年前のスタイルも50年間眠っていた彼にとっては充分に現役の技術だったのも、理由のひとつである。単独でダイビングを楽しむ際にはむしろ邪魔になる気がして、メタルに一切繋がないようにはしている。
 しかし客相手のインストラクター時に敢えてメタルに接続しない理由となると、やはり脳への負荷の軽減と言えた。潜りつつメタルに常時接続すると、どうしても脳には僅かながらも負担が掛かり続ける。それを出来る限り避けたい日もあった。
 無論、現在の人工島の暮らしにおいて、メタルは必要不可欠な技術である。ダイビングにおいてメタルを用いないと言う事は、インストラクターと直接通信が出来ないと言う意味でもある。安心を求めるダイビング初心者にとって、それは躊躇すべき事でもあった。だから波留も求められたならばメタルに繋ぎ、通信を確保するつもりはあった。
 しかし昨日の3人組の女性客は、彼が未電脳化者だった頃からの常連である。メタルなしでのダイブは初めてではない。今回はその縁を頼り、メタルを用いずにダイビングをする旨依頼し、快諾して貰っていた。
 彼は仕事でメタルに接続する事もなければ、メールチェックも一切行っていない。メタル上で流れるニュースの類も1日程度見なかった所で大して困る事もないだろうと踏んでいた。そもそも必要最小限のニュースは、TVから流れる報道組と言うフィルターを通してチェックが可能である。世の中から置いて行かれる恐れは全く抱いていなかった。
 或いは、ある程度は世の中から距離を置いておきたい心境も、波留は確実に持ち合わせていた。土曜に執り行われた電理研の会見をTVで見てしまって以来、彼はそんな気分に囚われてしまっている。
 ――ブレインダウン症例に陥っていたはずの久島部長が復活した。
 そして、波留真理とは久島部長の親友であり、専属のメタルダイバーだった。それが、現在の世間に流れる通説である。
 久島が「復活した」今、自分のメールボックスが喧しい事態に陥っていてもおかしくはない。それを思うと、波留は色々な意味でメールチェックすらやりたくない気分だった。
 幸いにも彼の自宅住所は、電理研委託ダイバーのデータベースに登録しないままだった。先の失踪にて割り出されてはいるが、それに乗じて住所を登録したとはホロンからは訊いていない。そして帰郷後には電理研とは疎遠になった以上、波留から登録情報を更新する筋合いもなかった。
 そもそも電理研が何の理由もなく登録ダイバーの情報を提供するとは考え辛い。プライバシーの概念は人工島島民に共通しているからである。
 そうなると、ジャーナリスト連中が彼の自宅を自力で割り出すのは厳しい情勢だろう。しかし、生活用品の通販に利用してきた宅配業者から住所が流れる可能性は少なからず存在する。それを思うと、自宅に帰る気分にもならなかった。
 非常勤とは言え彼が働いているダイビングショップの存在は、多少調べたら判るはずだった。こじんまりとした個人ショップではあるがそれなりに宣伝広告などは出しており、勤務している人員も公表していたからである。
 こちらについては、事前予約をして貰っている客の存在がある以上波留の自己都合で放り出す訳にもいかなかった。多少覚悟してショップに向かった波留だったが、結局はいつものように女性3人組の相手をして業務は終了した。
 職場まで巻き込むまいとのジャーナリストの矜持が働いたのか、それとも彼らが波留に突撃取材出来ない状況に陥っていたのか。確証はないが、おそらくは後者なのだろうと波留は推測している。
 電理研か評議会が取材させないよう、ジャーナリスト達に手を回したのだろう。親友と言えども一個人のプライバシーは尊重されるべき――人工島島民の鉄則を守るべく、取材攻勢を何処かのレベルで阻止してくれているのだろう。
 或いは、また別の事情があるのかも知れない。例えば、個人的な取材に応じた波留が、ジャーナリストの前で余計な事を口走ってそれが報道ベースに乗ってしまったらどうなるのか。例えば、今の「久島部長」が、実は久島当人ではない可能性について、などと言った妄言を――。
 ――そんな考え方は、波留にしてみても非常に厭な論法だった。取材攻勢に晒されずに済んでいて助かっているのは事実なのである。その事実のみを考慮して、単純に安心していればいい。裏の事情など勘案する必要などないはずだった。
 この件に関して、何も公言するつもりはないのだから。
 ――少なくとも、現時点においては。
 そもそも波留は、その「当人」を問い質す事も出来た。彼の電脳には「久島」のメールや電通用のアドレスを有しており、これまでは時折必要に応じてやり取りを行ってきていたからである。アドレス帳にも「久島永一朗」の名でそのアドレスが記載されている。7月末のメタル初期化を経ても、その以前と同じアドレスのままであるはずだった。
 しかし、だからこそ、今の波留はそのアドレス帳を見る事すら避けたかった。
 「彼」と「久島」は違う存在だと言うのに、久島の名で久島のアドレスを使用し続けているその現実を突きつけられるのが、波留の気分を微妙に悪くする。
 そんな自分の心は何処まで狭いのだろう。波留はそんな事を思う。しかし、自分の心を偽る事は出来ない。
 今までは、無意識のうちかそれともある程度は自覚はあったのか。ともかく、どうにか現実から目を反らして折り合いをつけてきたはずだった。
 それが、「彼」との付き合いの秘訣のはずだった。そうやって上手くやってきて、様々な依頼解決の手助けをして貰って来たはずだった。今までにも「現実」を突きつけられる機会が無かった訳でもないのだが、その都度誤魔化してきたはずだった。
 だが、今の波留は完全に自覚してしまった。最早そこから目を反らす事は出来なくなっていた。
 ――「そのAI」と久島は違う存在であり、紛い物に過ぎない。
 そんな存在を、どうして許容出来ようか?どうして僕が、許容しなければならないのか?
 一方で、「許容出来ない」と突っぱねる気分にもなれない。何故なら、拒絶するためには、まずはその存在を真っ向から受け止めなければならないからである。
 今の波留には、そんな事をする気力も湧かない。久島ではない「彼」とは、自分は何ら関係を持つ必要はない。このまま状況を受け流し、何も関わり合いたくない。久島を求める人々が、あのAIを好きに扱えばいいのだ――。
 
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