独り残されたミナモは無言で右手を小さく挙げ、朝からやってきた友人2人に応えている。目を細めて笑ってはいるが、表情からは若干の疲れが残ったままだった。
 彼女の周辺の光景はいつもの朝の教室だった。今のチャイムは予鈴である。これが鳴り響いた5分後に本鈴が続き、担任の教師が扉を開けて姿を現すのが日常だった。
 それを出迎えるべく、女子生徒達は席に戻る。人工島中学校の生徒達の大半は電脳化しているため、自分達の電脳を介して授業は行われるため、前時代のように授業のために机を片付けたりする必要はない。強いて言えば自らの電脳内を整理する程度だった。
 ミナモのような未電脳化者にはまた別の事情がある。フルフェイスの接続バイザーを用いなければならない。そして今のように携帯端末を手にしているならば、それを待機状態にして鞄の中へと戻すのが常だった。
 未電脳化者のミナモにとって、このピンクの携帯端末こそがメタルへの接続端末である。電脳化している同級生達程ではないが、メタルは身近な存在だった。少なくとも、この携帯端末の扱いは手慣れていた。彼女は起動していた各種ブラウザを落としてマナーモードに切り替えてゆく。
 ――違ったんだ。
 そんな作業の中、ミナモの心中にはそんな言葉が去来していた。
 ――イリスじゃ…――エイミじゃなかったんだ。今回のアートの人。
 慣れた作業故に、別の事を考えつつも手順にミスはない。むしろ思惟に浸る方を優先しつつあった。
 ――…って言うか――それ、波留さんが調べてた事じゃなかったっけ?
 端末上に表示したキーを叩きつつ、ミナモはそんな事を考えている。
 実は彼女にとって、先程サヤカが教えてくれた話題は初めて知る内容ではなかった。
 別の方向から、ミナモなりに知っていた。むしろ自分の方が理解が深いのではないだろうか――そうも思っていた。だから、口を挟まなかった。変に口を挟んで、相手が知らないかもしれない事を知られる事態を避けようと思ったのだ。
 結果、ミナモ自身が知っているのにサヤカは知らない事実は、先の会話の中には確実に存在していた。そして、逆もまた然りだった。それを把握すると、ミナモの中にはまた別の疑問が浮上してくる。
 ――何で、今回のメタルアートがイリス作品じゃないって、サヤカが知ってるの?波留さん、あんなに手がかりを欲しがってたのに。
 しかも――サヤカは特別に頑張って調べて知った訳でもないっぽいし。メタルでちょっと探せば出てくる噂って事だよねこれ。
 何がどうなっているのだろう――ミナモはそう思う。しかし、彼女は波留とは常々連絡を取り合っている訳ではない。彼と会うために事務所を訪問してから数日は経過している。
 その間に色々と動きがあったのかもしれない。それを自分は知らないだけなのだろう――。
 結局、ミナモはそうやって自分を納得させる事にした。しかしそれは力尽くで考えを捻じ伏せるかのような行為だった。何処かで、その考えを肯定出来てはいなかった。
 その一方で、では何がおかしいのか。それを明確に言い当てる事もまた、この少女には不可能だった。
 再びチャイムが鳴り響くと同時に、元気な声が教室の前方から飛び込んでくる。賑やかな印象を与える声だったが、確実に少女のそれではない。その前方の壇上には年若い女性教師の姿があった。元気溌剌に朝の挨拶を行い、生徒達もそれに応える。
 現状のミナモの視線の向こうでは、女性担任がある種の脳天気な口調で朝の挨拶を行っている。それは年の瀬の学校の光景としては実に有り触れている代物であるはずだった。
 壇上に教師の姿を認めつつも、ミナモの手の中には未だに携帯端末が存在している。その端末は液晶に一条の光を残し、単なるピンク色の長方形の板と化していた。
 その微かな光を瞳に認めたミナモは、僅かに視線を落とす。手持ち無沙汰にその板を軽く傾けた。壁の一角はガラス状になっていて、朝日が存分に射し込んでくる。その陽光の一端を端末が浴び、軽く光を反射した。
 担任の女性教師は相変わらず調子の良い口調で喋り続けている。今は朝のホームルーム時間に過ぎずまだ授業が始まっている訳ではないためか、教師も生徒も若干弛緩めいた態度を見せていた。
 そしてミナモもまた、机の上では端末を手にしたままで、鞄にしまおうともしていなかった。
 
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