「――その人の事、私は知らなかったけど…このログの人達の反応だと、凄い人だったの?」
「そうみたい。ま、私も知らなかったんだけどね」
 ミナモをよそに、ユキノとサヤカは会話を重ねてゆく。どうやらユキノはミナモより一足先にログを読み耽っているらしい。先んじて話の流れを理解し、サヤカに訊いている。
 電脳化している人間は、自らの電脳へと直接に様々な情報を流し込まれる。脳へとダイレクトに情報を送られているのだから、直感的に理解を深める事も可能である。
 対して視覚や聴覚のようにワンクッションを必要とする未電脳化者は、どうしても彼らよりも情報処理速度が遅くなるものだった。見たり聴いたりして感じたものを脳内で処理し理解しなければならないからだ。
 ミナモは受信完了したペーパーインターフェイスの画面を眺めている。そこに表示された文章を頑張って読み取っているのだが、気持ちはむしろ友人ふたりが進めている会話に向けられていた。視線は画面ではなく、ちらちらと上を見上げつつある。
「――私は、メタルアートにはあまり興味がないかな」
「私もそうなんだけど、この人のアートは芸術ってよりも体感ゲームとかそういう類みたいでさ。どっちかって言うとそっちの方求めてファンやってる人が多いっぽい」
「じゃあ、うちの学校にもファンは居るのかな」
「どうだろう――ってニャモ、どうしたの」
 ふたりはそんな風に会話を交わしていたが、この時点でサヤカは自分達を見上げてくる存在に気付く。そしてそのミナモに声を掛けた。
 当初、サヤカはミナモが話題に割り込みたいのだろうかと考えた。渡したログを読了し、先に進んでいた会話に耳を傾けているのかと思った。だから、その意を汲んで話を振ってみる。
 しかし、ミナモは何も言い出さない。只視線を上向かせ、サヤカを見ているばかりだった。
 その真っ直ぐな視線を受けるサヤカの笑みは次第に曖昧なものとなってゆく。沈黙を続けるミナモに、自分の推測はどうやら外れていたらしいと認識した。
「…あんたにはメタルアートの体験は無理だろうから、あんまり判んない話かもしれないけどさ」
「うん…まあそうなんだけど…」
 誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべつつ言うサヤカに、ようやくミナモは言葉で反応する。しかしその口調はあまり芳しい様子ではない。いつもの快活さは露も見せなかった。
 サヤカは無言のまま、ミナモを怪訝そうな瞳で見やる。一方、傍らのユキノは口元に右手を当て、リボンの少女を窺うように見ていた。どうやらふたりとも、ミナモの現在の心境を掴み切れていないらしい。
 そんな中、ミナモが目を細めた。口許に笑みを浮かべ、唐突に柔らかい印象を醸し出す。
「それで――イリスさんがどうしたの?」
 微笑んだミナモはそんな事を言い出した。サヤカを見上げ、話を振る。その話題とは、自分達が今まで会話してきた内容だった。そしてミナモにも乗って欲しかった話題でもある。
 それがミナモの口からなされたため、思わず笑みが零れる。その気分のまま、明るい声で答えるに至った。
「ああ、それそれ。ずっと正体不明で通してたんだよ、その人」
「うん」
「性別も年齢も国籍も一切不明のメタルアーティストって触れ込み。実力は確かなんだけど、この何ヶ月かは作品発表してなかったって」
 ミナモは頷き相槌を打つ。それにサヤカは乗った。自分が興味を持って調べ、知識として取り入れた内容を、そのまま語り始めていた。
「で、最近になって発表されたメタルアートに、イリスっぽい奴があったの。でも無記名発表だからイリスの作品なのかって確証は全くなかった――って、ログ読んだんなら判ってるか」
 台詞の最後の方で、サヤカはそう言って苦笑気味に笑う。そこまで熱く語る事でもないと思い至った。
 自分が調べたログをそのままミナモに送信したのだ。未電脳化者であるミナモはそれを読解するのに時間を要しただろうが、実際に理解したからこそ興味を持ったはずだった。今まで語った台詞は、そのログの概要だった。これでは二度手間になってしまっているとサヤカは悟り、ばつが悪くなった。
 苦笑したまま口を噤んだサヤカを、ミナモは窺うように見上げている。手元のペーパーインターフェイスに軽く視線を落とすが、すぐにサヤカへと戻した。
「――で、正体が判ったの?」
「え?」
 その問いを耳にしたサヤカは、怪訝そうな声を上げた。思わずミナモをまじまじと見る。ピンクのリボンが自己主張する頭頂部を経て、自分へと注がれる視線を合わせた。
「何、ニャモ。あんた最後まで読んでないの?」
 サヤカはそう問い返していた。彼女にとってとても不思議な事態だったため、友人の現状を再確認しようと試みた。
 果たしてミナモは無言で頷く。サヤカからの問いを肯定した。
 その様子に、思わずサヤカは僅かに仰け反った。予想外の展開だったからである。まさかログを読了しないまま、この話題に乗ってくるとは思ってもみなかった。
 しかしその一方で、ミナモのその態度を理解出来ない訳でもない。この親友は長文での説明を嫌う傾向にある。無理に押し付けると理解を拒み投げ出す事もあった。
 そもそも、今回のような冗長なログは未電脳化者であるミナモに渡すのは不適切だったかもしれない。データとしてすぐに理解可能な電脳化者とは異なり、ミナモは文章を読み込み知識として噛み砕いて生脳に落とし込まないといけないのだから。
 ――だから、ミナモは途中で挫折したのだろう。読んだ途中まではついて来れたが、最終的な結果まで辿り着けていないのだろう。サヤカはそう理解した。
 もうちょっと省略して渡してあげれば良かったかな――サヤカは若干の反省の念を覚える。人工島においては未電脳化者は間違いなく少数派ではあるが、ミナモのように1クラスに1人程度の確率では所属している、ある程度のレベルには有り触れてはいる存在とも表現出来る。そこに配慮が足りなかった感があった。
 そこまで考えを巡らせ、サヤカは腕を組む。そして大きく頷いた。結論を簡潔に述べてしまおうと決心し、それを実行した。
「判ったって言うか…――別人でした」
 サヤカは言い掛けた後に数秒の溜めを作り、にやりと答えを言い放つ。その台詞こそが彼女がこの話題を振って以来、言いたくてたまらなかった結末である。紆余曲折こそあったが、ようやくそこに辿り着いていた。
「――…え?」
 妙に勝ち誇ったような顔をしているサヤカを見上げ、ミナモはきょとんとしていた。彼女にとって、この流れはどうやら予想外の話の展開だったらしい。
 確かにここまで話を振っておいて「ここで唐突に別人が出て来ます」とは、あんまりな話かもしれない。しかしそれが事実なのだから、サヤカにはどうしようもない。この「面白い話」を持ち込んだこの友人とて、当事者ではないのだ。
 ――その微妙な感じもまた、面白いのではないのだろうか。サヤカは彼女なりにそう考えていた。完全なる第三者としての無責任な楽しみ方ではあった。
「今度の無記名アートを作ったのはアイリスってハンドルの人で…ま、イリスの影響受けてるのは間違いないよねーって感じみたい」
 そうやってサヤカは、今回の話のオチを説明した。ある種の「笑いのネタ」を言葉を費やさないと理解して貰えないのはどうだろうかと思わないでもない。しかしミナモの食いつき方が芳しくない以上、自力でどうにかして盛り上げようと努力しなければならなかった。
「…ふーん」
 一方のミナモは何処か気のない相槌を打ってくる。手元のペーパーインターフェイスの画面を気怠るそうに眺めた。
 同級生のその様子から、サヤカは自分との温度差を感じ取った。――気晴らしにして貰うつもりだったのに、滑ったかな?彼女はそんな危惧を覚えてしまう。やはりメタルアートを体験出来ない身では、この話には親近感が湧かなかったのかも知れない――。
 そんな中、スピーカーからチャイムが鳴り響いた。教室の一角に存在するデジタル表示の時刻は、その時間を示している。
 途端、周辺の生徒達は賑やかなまま、自分達の席へと戻ってゆく。彼女らの傍らでも、ユキノが困惑気味に笑って挨拶を寄越して席へと向かう。
 ユキノの挨拶を受け、ちらりと見渡して周辺の状況を把握したサヤカもそれに倣う。ミナモに軽く手を挙げて笑い掛けた後、小走りに自らの席へと向かっていった。
 
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