その宣告に、ミナモの笑顔が凍り付いた。何かの地雷を踏んでしまったのかと思った。そしてそれはすぐに思いつく。
 一応は、彼女もそれを危惧はしていた。ならば、その誤解を解こうと思う。そのために、少女は言葉を費やそうとした。
「――…あの。AIさん、味が判らないんですよね?」
「まあ…そうだが」
 久島からは淡々とした声が返ってきた。そこに突き放すような印象はない。それにミナモは縋る。彼の気持ちを懸命に捕まえようとした。
「私もそれは判ってますけど、紅茶以外にも何か他の物食べてみてもいいかなーって思ったんです。それって訓練になるんじゃないかなって。もしそれがお気に触ったんなら…ごめんなさい」
 そんな風に一気にまくし立てた最後に、ミナモは頭を下げていた。その少女の頭を義体は見下ろしている。何処かきょとんとした空気を醸し出していた。なかなか顔を上げてこない少女を前に、彼は言葉を投げかける。
「…何だ?味覚を持たない私にクッキーを勧めたから、立腹されたとでも思ったのか。君は」
「違うんですか?」
 意外そうな響きを持つ義体の言葉に、今度はミナモの方がきょとんとしていた。思わず謝罪の態度を解き、顔を上げる。戸惑った印象がある久島の顔がそこにあった。
「だからもう私には会いたくないんじゃあ」
「違う。もっと根本的な問題だ」
 ぼそぼそと呟くように言い募るミナモに、久島はそう断じてくる。その言葉に、ミナモは首を傾げた。いつもと違ってリボンを掲げていないその頭頂部には、不可視のクエスチョンマークを浮かび上がらせている。
 そんな彼女を見据え、久島はまた溜息をつく。両手を自らのティーセットに伸ばした。立ち上る湯気を顔に当てつつ、カップを傾けた。紅い液体を少量啜り、口の中に含む。味わうように液体を口の中で転がすのだが、ミナモに指摘され彼も認めたように、そこに感じるべき味を彼は全く実感出来ていない。
 ともかく彼は口の中の液体を飲み込んだ。カップを顔の前から下ろす。目を細めて眉間に皺を寄せた。
 湯気の向こうに垣間見えるその顔を、ミナモは真面目腐っていると感じた。思わず膝の上に両手を置く。ソファーの上で姿勢を正した。
「――私は最早、久島永一朗だ。人々の前でそう名乗ってしまった。君もあの会見は見ただろう」
「…はい」
 ゆっくりと諭すような久島の言葉に、ミナモは静かに頷いた。そのまま視点を自らの膝の上に固定する。顔を挙げられない。
 確かにミナモはその会見を、アンティーク・ガルにて見ていた。それを見たからこそ、彼女はこうして今、この部屋を訪れたのだ。
 あの会見を、ミナモは重要視した。勿論人工島や世界中にとっても重要な出来事なのは理解している。しかし、彼女自身にとってはまた別の意味で重要だと認識していた。
 だからこそミナモは、昨日の夕方の会見直後に彼にメールを送信しアポイントを取り、その1日後に約束を取り付けたのだ。そのタイムラグは半日足らずである。
 しかも彼女はその間にクッキーも焼いて携えてきている。今回やるべき事を全てこなしてきた格好だった。
 そしてミナモは自らの服装も普段とは違えて来ている。いつもはこのプライベートルームを、彼女は制服姿で訪れるものだった。それが人工島中学校に通う少女の正装なのだから。言ってしまえば、中学生とはどんな正式な場においても、制服姿ならば許されるのだ。
 しかしあの会見を見るに、これまでとは状況が激変してしまった事を、彼女なりに悟っていた。ならば、中学校の制服姿でこの電理研の深層まで向かっては、電理研内外の人々に目立ってしまうと判断した。
 だから今回のミナモは、このパンツスーツ姿を選択した。
 これは彼女にとって初めての服装ではない。先日、久島の電理研付属メディカルセンターからの退院への付き添いの際にもこのスーツを着用している。当時に「目立たないように普通の服装で来て欲しい」との電理研からリクエストされたからである。そして今回の件で、ミナモにはそのリクエストを連想していた。
 ――今後も「彼」と付き合いを続けるつもりならば、こうやって服装を違えなければならないのかもしれない。その覚悟の元に、ミナモは今回訪問している。
 その一方で、また別の覚悟は持っていた。しかし、彼女はその結末には至りたくはなかった。そこから眼を逸らしていたかった。
「しかし、君は私の素性を偽れる程、器用な人間ではあるまい。これまでの付き合いを鑑みれば、私はそう結論付けざるを得ない」
 だが、相手側はその観点を真っ直ぐに見据え、ミナモに提示してくる。それに少女はぐっと息を詰まらせた。俯いたまま、顔を上げられない。
「ならば、君はもう私と会う機会を持つべきではない。それが互いのためだと、私は考える」
 淡々と続く男性の低い声が、ミナモの耳を通り抜けてゆく。俯いた少女は膝の上に拳を作り、握り締めていた。相変わらず紅茶の香りが部屋の空気の流れに乗っていて、彼女の感覚を刺激する。
「君にとっては酷な話だろうが、私は君に直に会って告げ、筋を通したかった。こちらの事情に拠る一方的な断りをメールで済ませては、あまりに不義理過ぎるからな」
 久島の義体の口調は、一貫して淡々としている。その声色は平坦で、一応は相手を気遣っているかのような台詞の内容とはあまりにもかけ離れていた。
 
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