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タカナミ書記長は長い溜息をついた。伏し目がちな表情には厳しさが垣間見える。今ここでAIの人格権を云々する意味はない。不毛な論議を深めるために、彼女はこの会談を申し入れたつもりはなかった。 前置きはそこそこに、本題に入るつもりだった。眼鏡の縁を光らせつつ、彼女は静かに問いかける。 「――…あなた…電理研の上層部に、今回の行動を命令されているの?」 「否定はしない。AIは人間に奉仕するための存在だ。人間にそうあれと望まれるならば、私はその職責を果たすまでだ」 久島のアバターは淡々と答えていた。人間からの問いには素直に応じるAIとしての態度が、そこにある。 AIとしての自分に自由意志など存在しない。あるのは人間の指示への絶対遵守のみである。彼に与えられた知識と地位がどんなものであろうとも、AIである以上人間へ従う――今の彼の行動原理は他者から与えられたものであるらしい。 少なくとも彼は今、タカナミの前でそう表明した。特に隠すつもりもなかったらしい。隠すよう指示はされていなかったのか、それにしては電理研側は迂闊過ぎはしないだろうか――彼女はそう思わないでもないが、自分が「このAI」の存在を知っている事は既に相手側にも明らかだった。ならば敢えて隠蔽しなかったとも受け取れる。 書記長は、自らに相対しているアバターを見据える。彼の向こう側に居るべき真の相手を見透かそうとした。――彼はAIであり、人間達の傀儡に過ぎないのだから。少なくとも、この書記長はそう見做した。 「――で、あなたは来年の書記長選に立候補するつもりなの?」 だから、タカナミは更に踏み込んで質問した。実の所、電理研内部での政治闘争がどうなろうと、彼女自身に直接は関係しない。誰が実権を握ろうとも上手くやってゆくだけの自信が今の彼女にはあった。 しかし、その政治闘争が電理研に留まらず自分にも降り懸かるとすれば、全くの別問題である。むしろ、この彼と全面的に対決する可能性も考えられた。彼女はそこを問い質そうとしていた。 タカナミは問い掛けた後にしばし間を置いてみるが、相手側から答えは返ってこない。窺うようにちらりと見やると、久島は口を結んだまま黙り込んでいた。円卓の上に両手を組み、俯いている。その表情には何ら感情は認められなかった。 タカナミは軽く首を傾げた。首筋にかかる髪を一房摘み上げ、指先で弄ぶ。 「元々、久島さんにも擁立の噂があったものね。それから状況は変わったけれど、今のあなたが電理研を勇退して本格的に政治の道を志しても、不自然でも何でもないわ」 妙齢の女性の声は淡々としているが、響きからは厳しさは抜けてこない。状況を整理しつつも、眼前の相手が自らの敵に回る可能性を考慮し牽制を加えてゆく。 自分が圧倒的支持の元に盤石の体制を築いている――エリカ・パトリシア・タカナミという政治家は、そのような幻想は一切抱いていなかった。逆に、利害関係の一致と言う脆弱な基盤の上に自らの地位は成り立っていると理解していた。その基盤を突き崩すだけの一撃を加える勢力と機会が今までなかっただけである。 合法的かつ絶対的な政権交代の手段である来年初頭の書記長選に向け、今年に入った頃には既に各勢力が動き出していた事も知っていた。そして反対勢力が担ぎ上げるであろう御輿が誰になるかも、充分に推察していた。 しかしそれは、どうしようもない事情から頓挫したはずだった。そして、「彼」に代わる御輿を準備する時間も反タカナミ派にはなかったはずだった。 そのため、今度の書記長選は無風状態でタカナミが再選される運びになる公算が高かった。少なくとも昨日までの時点では、人工島の内外を問わず、誰もがそう思っていたはずだった。 しかし、情勢はあの会見以降、一変した。 「――書記長とは評議員の中から選出されるポストだ。そこを目指すならば、久島永一朗はまず評議員選挙に臨まなければならなかっただろう」 沈黙を破って久島のアバターはそんな台詞を口にしていた。それはとても杓子定規で常識的な反応だった。タカナミはそれにAIらしさを感じる。 その一方で、久島当人もやはりこのような受け答えをするのだろうかと何処か思った。しかしそれは百戦錬磨の彼ならでわの腹芸の一種であり、AIの馬鹿正直さとは一線を画するものであるはずだった。 タカナミは眉を寄せた。何かを振り払うように、ゆっくりと首を横に振った。 「そんな建前、久島さんがお持ちだった実績の御威光の前には、いくらでも消し飛ぶわよ」 彼女は馬鹿馬鹿しいと言いたげな態度を取った。語るまでもなく判るはずの話だった。久島永一朗とは、人工島にとってそれほどまでに大きな存在なのだから。彼の存在自体が最早評議員の任をこなしていたと判断されてもおかしな話ではない。 「人工島は民主主義を標榜している。その法は遵守されるべきではないのか」 「法には必ず例外事項が存在するものなの」 「…そういうものなのか」 久島のアバターは、何処か意外そうな声を漏らす。あくまでも馬鹿正直なAIの弁に、タカナミは鼻白んだ。駆け引きではなく本当に判っていなかったのかと思った。何故この自分が政治学の講義めいた会話を、AI相手に行わなければならないのだろう。 ――本当に、世の中がそんな馬鹿正直だったらどんなに良いのだろう?建前を盾に久島の立候補を突っぱねる事が可能ならば、私はこんなにも気を回す必要はないのだ。 しかし人間とは曖昧な思考を有する存在であるが故に、それは無理な相談だった。「人工島への今までの多大な貢献」を評価して、彼の政界進出を認める人間が大多数となるに決まっていた。それは、当の政治家達もだろう。 タカナミの視線は鋭くなってゆく。「彼」は明言しては来ないが、電理研退職後の道は示されたも同然だった。そして彼のその歩みは、少なくともタカナミにとってはあまり好ましい方向性とは言えなかった。 人工島にとってはどうなのだろうか。その判断は、今の彼女には下しかねた。その判断を下すには、自分はあまりにも利害に絡み過ぎている。その自重が彼女の思考に働いた。 「――そうやって、電理研は評議会をも支配するつもり?」 「それを決めるのは、書記長選での投票だろう?」 タカナミからの問いに、久島のアバターはそう問い返す。その声に思わず彼女は顔を上げた。まるで突き放すような言い方だと感じたからだ。 「人間がAIを信認するのならば、それはそれでいいのではないのか?」 彼の台詞は続く。表情はなく、口調も若干の棒読みである。普段の彼そのままだった。円卓上には彼の両手が組まれている。その左手首の袖口から、黒いベルトが覗いているのにタカナミは気付いた。 「私は人間からの指示に従って動くまでだ。現書記長」 その身体の上に乗っている顔の唇からは、そんな台詞が紡ぎ出されてきた。 義体特有の紫がかった双眸がタカナミを見据えている。その瞳は真摯と評するには、あまりに無感動に過ぎていた。 |