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それは、人工島では早朝の時間帯だった。 確かに秘書業務を受け持っているホロンは、タカナミからの要請を完璧に認識していたらしい。申し入れられた通り、可能な限り早期の会談をセッティングしてきた。タカナミもそれを受けた。彼女の過密スケジュールを管理する自らの秘書用ホロンに予定を開けさせ、その時間を確保するに至っていた。 本来ならば、久島を彼女の執務室に呼びつけても良かった。或いは、会談の方式に則って、評議会内の別室に迎え入れる事も可能だった。 しかし、彼女はそうしなかった。会談の方式はアバター通信を選択して申し入れ、久島側もそれを了承した。 ――久島部長を現時点で出歩かせるのは、待ち構えるジャーナリスト達の餌食にするようなものですから。私もそれは本意ではありません。 タカナミはそう述べて理解を示していた。少なくとも、表向きの態度はそれだった。 暗号化を用いてのホットライン経由のアバター通信ならば、並大抵のハッカーやクラッカーから通信の安全は確保出来る。互いの会見内容が外部に漏れる事はあり得なかった。 指定された時間通りに、互いがログインしてくる。そこは、普段から会談で用いられるアバター空間としてのルームだった。 室内には円卓と3脚の椅子が存在し、そのうちの2脚をそれぞれで埋める。もう1脚は空席のままである。この部屋はそもそも評議会書記長、電理研統括部長、そして諮問委員長が極秘に会談するための部屋である。しかし今回は先のふたりのみがログインしていた。 或いは、別の人間が3脚目を埋める事もない。統括部長代理の同席の要請は、書記長と部長の両サイドから一切なかった。 「――久島部長、この度は御快復まことにおめでとうございます。電理研の医療技術には、常々感服致す所です」 開口一声、タカナミ書記長は久島に対してそう告げた。彼女は口元に笑みを浮かべ、着席したまま深く頭を下げる。 円卓を3分割するように置かれた椅子の位置は、出席者が2名であっても変えられていない。そのため、彼らは対面状態からは微妙にずれた位置関係にあった。 久島は電理研の制服めいた白衣ではなく、いつものスーツ姿でログインしていた。彼は両手を組み肘をテーブルの上に立て、一礼してくる書記長を一瞥する。僅かに黙礼し、唇を開く。何かを言おうとした。 そこに、タカナミの声が響いた。 「――と…そんな社交辞令は、一切無しにしましょう」 その声に、久島は思わず顔を上げた。そのままの視線をタカナミに向け、まじまじと見つめる。 彼の前にいる妙齢の女性も顔を上げていた。眼鏡の奥にある瞳には笑みの印象がない。その瞳のまま、彼に視線を返していた。 「――それは、私としても非常にありがたい話ですが…」 久島は僅かに俯く。タカナミから視線を外し、探るような声を漏らした。用いられた「社交辞令」の真意を確かめようとする。 そんな彼に対し、タカナミは大きく溜息をついた。見せつけるように肩を揺らし、右手をひらりと向ける。 「あなたも気を遣ってくれなくて結構よ。この通信なら誰にも傍受は出来ないはずだから。どんな風に振る舞っても、外部には漏れはしないわ」 そう言い放った後、タカナミは目を細めた。鋭い視線を久島へと向ける。僅かに口元を歪め、続けた。 「あなた、一体どういうつもり?久島さんが意識を回復したのではなく、"あなた"のままなのでしょう?」 タカナミは自らが持つ疑問をそのままに、明確に問いかけてきた。それを認識した「彼」は、瞼を伏せる。ゆっくりと溜息をついた。 その息が途切れた頃、彼は瞼を開く。すっと顔を持ち上げ、相対する女性アバターを見据えた。 「私は久島永一朗の記憶と知識とを引き継いでいる。そして彼の脳核に存在を依存しているが故に、その脳核の生命維持を引き受けている存在でもある」 久島そのものの声色が淡々とアバター空間に響き渡る。しかしその台詞の内容は、彼自身は「久島当人ではない」と示唆していた。タカナミからの問いの一部には回答した格好になる。 「――では、ここに顕現している意識は"誰"だ?」 彼は一層声を低め、そんな質問を漏らした。眉を寄せ、鋭い視線を投げかける。 「誰って…」 その問いそのものと彼の態度に、タカナミは戸惑いを見せた。彼は――このAIは、一体何を言っているのだろう。彼女はそう思う。そもそも以前言葉を交わした際、こんなに饒舌だったろうか? 「以前から私を知る君はともかくとして、先の会見を見た世間ではどう解釈される?」 そんな書記長をよそに、久島のアバターからの問いは続いた。そしてその突きつけられた問いこそが、彼女にとって痛い所だった。 ――どう解釈するのか。その解釈は分かれている。久島当人なのか、そうでないのか――解釈はどちらにも統合されない。一般人には全く決め手がないからだ。 そして、その「決め手」とは果たして何なのか?このAIが仮定として言い切ったように、記憶も知識も久島永一朗当人と同一ならば、一体どう判断しろと言うのか? 「大衆とは神にパーソナリティなど求めない。しかし私は久島永一朗のパーソナリティたる記憶すら継承した。ならば、私は久島永一朗として認められ得る存在ではないのか?」 彼の論法は明快で一貫している。それを覆すのは、魂の連続性とか、そういうスピリチュアルな方向でしかないだろう。 しかしそれは、科学技術がこのまま進んで行った結果として見出されるであろう「人間の記憶をAIに乗せ換えて半永久的に生き延びる」――この手法の否定に他ならないだろう。むしろ、そうやって「不死の存在」となったのが、久島としての彼なのではないだろうか? 久島としての連続性は、容貌の維持においても保たれている。そして久島当人の脳核は生存し、義体としての彼の頭部に保持されたままだ。全てを引き継いだ彼の存在を「久島ではない」と今更覆す事など、不可能ではないだろうか? ――少なくとも、彼自身に覆す気がないのならば。 |