ホロンは何も言わず、タカナミの反応を待っている。それはAIが人間の命令を待機している動作だった。周囲にアンドロイドを置いているタカナミは、それに慣れていた。だからとにかく自分からアクションを起こさないと、何も始まらないと知っていた。
 タカナミは唇を結んだ。リアルの彼女は机の上で手を組み替え、微笑んで告げる。
 ――部長代理ではなく、部長――久島さんは?
 その名を出した際も、タカナミから微笑みは消えなかった。
 ――久島部長に付きましても、アポイントなしでのお取り次ぎは出来かねます。
 対するホロンも、滑らかに応対を見せた。相手側からは部長代理ではなく部長当人への通信を求められても、特に戸惑いを見せない。
 そもそもこの回線は電理研統括部長直通であり、本来ならば部長たる久島永一朗に通じていたものだった。しかし7月のテロで久島が倒れ、実質的に部長職を全う出来ない状態に陥ってしまった。
 結果、直後に部長代理に就任した蒼井ソウタがこの回線も引き継いでいる。タカナミは久島相手同様に、その部長代理ともこの回線を用いて通信した事もあった。以前は久島とタカナミ間のホットラインだったが、今ではソウタとタカナミの間なのである。
 なのに今回、タカナミはソウタではなく久島を指名した。
 久島は倒れたものの、今現在に至るまでの5ヶ月間を経ても統括部長職を解任されてはいない。電理研は代理を立てたまま運営を続けており、評議会もそれを咎めようとはしなかった。久島には何の落ち度もなかったと言うのに、仕事が出来ない状態に陥ったからと言って解任手続きを取るのは、人工島のイメージを損なう恐れが高いとの判断がなされたからだ。
 久島が単なる要職の人物だったならば、彼らとて法的措置を粛々と進めていたかもしれない。或いは、以前彼らが企んだように、いっそ久島の死を内外に認めてしまえばスムーズに事は進んだのだろう。
 しかし、彼の姉はそれを拒んだ。唯一現世に遺された血縁者は、法的に弟の生存を望み、電理研や評議会の様々な企みを潰えさせた。
 かくして生き残らざるを得なくなった久島は、そもそも「電理研の皇帝」であり「人工島の神」であり「メタルの創始者」である。その彼を、生存状態にあると言うのに一方的に排除してしまうのは、内外に対して危険に過ぎる処置と言わざるを得なかった。
 人工島とは国家ではなく営利企業体である。不用意な対応をしてしまえば、株式市場は即応する。人工島に出資する株主で構成される評議会や諮問委員会としては、企業である人工島の株価の高値維持が至上命題であり、逆に暴落を招きかねない措置など以ての外だった。
 結果、人工島のシンボルとして名誉職状態の部長職に久島を置き続ける――その現状を、評議会も受け容れていた。
 しかし、その現状は崩れた。電理研は先の会見で久島の「復活」をアピールした。倒れ加療中だったはずの久島自身が姿を見せたのだから、この上ない根拠の提示である。
 部長が復活したならば、代理であるソウタではなく久島に専用回線を用いて通信しても、間違ってはいないはずだった。その一方で、会見の直後にこれを仕掛けたのだから、不意打ちとも言えた。
 だが、ホロンはこのように普通に対応している。対人プログラムを元に融通を利かせているのか、それとも人間の上司からきちんと申し送りがあったのか――タカナミには判らなかった。
 そもそも彼女に命令を出すのは、今となっては「誰」なのだろう?――タカナミはふとそんな事を思った。
 ――後程、こちらから御連絡させて頂きたいのですが、そちらの御都合はいかがでしょうか?
 ――そう…。
 電通ダイアログの向こうのホロンは相変わらず微笑んでいる。それを眺めつつ、タカナミは右手を持ち上げ、顎に手を当てた。
 ――久島さんもあんな会見の後ですから、色々とお忙しいのでしょうしね。無理を言ってごめんなさい。
 ――書記長には御理解頂きまして、恐縮です。
 少し間を置いた後のタカナミの言葉に、ホロンの胸像アバターは深く頭を下げる。謝意を見せた。
 言葉の通り、タカナミはそれを理解している。
 何せ、あんな会見の直後なのである。記者会見の体裁は取ってはいたしある程度の質疑応答はなされたが、そんな短時間と少人数で視聴者が納得出来る訳もない。
 納得出来なかった記者が電理研に取材要請を殺到させている事は、想像に難くない。よもや久島自身が対応する事はないだろうが、コメントの表明位はしなければ収まりがつかないかもしれない。
 煩わしいのは事実だろう。島の内外からどれだけのハイエナが群がってきているのか、想像もつかない。だが、全ての取材要請をシャットアウトするのは、「報道の自由」を盾にしてくるジャーナリスト連中に対して得策ではない。タカナミ自身、そんな経験則を持ち合わせていた。
 久島自身も、メタルの開発者であり人工島建設に長年携わってきた立場である。マスコミの交わし方などお手のものだろうと、彼女は推測する。――問題は「今の久島さん」は果たしてどうなのかという事だが――。
 思惟に浸ってきたタカナミだったが、背筋を正した。口許を引き締め、笑みを消した。電通で伝える声色も真剣味を帯びさせる。
 ――それでは、評議会書記長として、電理研統括部長である久島永一朗氏に、正式に会見を申し入れます。
 タカナミは、しっかりとした思考でその文言を告げた。これは秘書型アンドロイドへの明確な指示となる。互いの肩書きを明らかにし、目的を明示したからである。
 ――承りました。
 果たしてホロンは短い定型文で答えた。その台詞に伴って深くお辞儀をしてくるが、まるでアバターとしてのデフォルトアクションめいていた。
 タカナミは頷いた。リアルではソファーを横に向かせ、デスクに対して平行に座る格好になる。デスクの上に浮かぶ電通ダイアログに対し、彼女は横目で流し見た。若干遠目に見える感があるホロンに言葉を付け加える。
 ――久島部長とは今後の件を打ち合わせたいので、出来るだけ早くお願いするわ。
 ――はい。最優先事項として、久島部長には伝えます。後程、その日程を御提案させて頂きます。
 ――ええ。お願い。
 そのやり取りを最後に、ふたりの通信は終了した。必要最低限な伝達はなされた以上、タカナミ側に通信を維持する必然性は失われたからである。そしてホロンも特に重ねて尋ねる事もなく、人間からの接続終了を受け容れていた。
 
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