タカナミは、己の居城たる評議会内の書記長執務室に在室していた。流石にメタルのお膝元たる電理研部長オフィスのように巨大なモノリスは存在しないが、デスクがメタル接続端末であるのは同様である。 彼女は重厚な印象を与える木製のデスクに就き、革張りの黒の椅子に腰掛けている。両手の肘をデスクの上に立て、その両手を組んでいた。視線は真っ直ぐに、入り口の方へと向けている。 その視界に映っていた電脳ダイアログが閉じてゆく。そこに投影されていたのは、配信されていた動画だった。今は中継が終了し、自動的にウィンドウも終了処理が進んで行っていた。 タカナミはそれを直視していたが、ウィンドウが閉じた事でその向こうに位置していたリアルの扉を見据える羽目になる。室内には彼女独りしか居ない。無言のまま、唇を結ぶ。掛けた眼鏡の奥で、目を細めた。 眼前に誰も居ないからか、いつものように微笑みを湛える事はない。固いとも表現出来る表情のまま、タカナミは自らの電脳にアクセスする。電通ダイアログを開き、通信相手の選択リストを並べた。リストに並ぶ膨大な人名とそのコードからは、ファースト・プリンセスであり評議員であり、現在では評議会書記長であるタカナミの豊富な人脈の一端を垣間見る事が可能である。 タカナミはそのリストを無造作に捲ってゆく。やがて、ウィンドウの色が変化した。強調されたような画面に暗号化されたコードが1行表示されている。彼女はそれを選択した。即座に通信を開始する。 コール音は数回のうちに、相手側からの電通が許可された。タカナミは両手を組み替え、口元に微笑みを浮かべた。いつもの彼女が見せる、余裕を持った態度である。対話相手に優位性を示すための処世術だった。 とは言え、これはリアルでの対面ではなく電通である。リアルの表情が相手側に伝わる訳ではない。あらかじめ設定されたアバターとしての表情が通信されるだけである。しかし、意識がそのまま伝わりかねないのが電通である。用心して態度を整えておくに越した事はない。彼女は一貫してそう心掛けている。 電通ダイアログが展開される。そこに、相手側のアバター画像が出現した。タカナミは電脳越しにそれを見据える。 その瞬間、彼女の表情は戸惑いを見せた。 ――タカナミ書記長。御連絡ありがとうございます。 電通ダイアログに出現した胸像のアバター画像は、そう伝えてきて深々と頭を下げる。そして再び顔を上げると、そこには20年前のタカナミの面影を残す女性の顔があった。 ――しかしながら、部長代理は現在席を外しております。御用件でしたら、秘書である私が承りまして、後程部長代理から連絡させて頂きます。 柔らかな表情ときめ細かい対応は、秘書と名乗るに相応しい態度である。その胸像をタカナミは見据えていた。 そこに居るのは、電理研の制服を纏った秘書アンドロイドである。その顔立ちには、人間であるタカナミの面影があった。 「タイプ・ホロン」とのシリーズ名を持つ彼女らは、容貌としてのモデルをファースト・プリンセスに由来していた。2055年のリリース以来、彼女らは電理研を始めとした人工島の公共施設に配備され、様々な任務に就いている。 タカナミ自身にしてみたら、自分の20年前の面影を持つ人間型アンドロイドに出くわす日々が日常と化していた。しかし自らの容貌の使用を許可したのは、他ならぬ彼女自身である。 仮に、義体デザイナーの思うままに義体をデザインさせた場合、どうしても現実の「誰か」の容貌に似通ってきてしまう。それは、現代社会では人権問題になり得る火種だった。 訴訟沙汰を事前に回避するため、流通する人間型アンドロイドは実在する人間から容貌を使用する許諾を得ている。「何処かの誰か」の容貌に気付かぬうちに似てしまうよりは、最初から「許可を取った誰か」に似せておく方が、義体メーカーにとっては安全策だったのだ。 無論、オリジナルの人物の容貌をそのままコピーするのではなく、微妙なアレンジを加えるのが常である。このタカナミとタイプ・ホロンの関係においては、ファースト・プリンセスとしての20代の頃の容貌を採用した上に、髪の色もタカナミの褐色から日本人めいた黒へと変更していた。 許諾を出したタカナミ自身とて、自らの過去の姿に似たアンドロイドを目の当たりにした当初は戸惑った。今では6年を経過し、慣れてきていた。 今回の電通にて、彼女が一瞬戸惑い躊躇したのは、相手が自らに似ているからではない。自分が通信しようと思って電通を行った相手ではなかったからである。 先程彼女が選択した電通コードは、電理研統括部長直通の回線だった。 電理研は人工島の一端を支配しているが、評議会の決定を元に動くのが、技術屋としての建前になっている。しかし技術面でのトラブルが発生した際、早急に対処しなければ島のシステムに多大な影響を及ぼす事もある。その際には評議会の決議を待たず、独自に動いてしまう事もままあった。 安全面を鑑みれば仕方のない行動なのかもしれないが、評議会を無視した動きとも捉える事も出来る。それは評議会側としては憤懣やるかたない。それを避けるためにも、せめて電理研と評議会のトップ同士が会談し、互いの合意を得てから動くべきである――その理念を元に、電理研統括部長と評議会書記長の間には、秘匿回線を確保していた。所謂ホットラインである。 回線の重要性故に、暗号通信がデフォルトとなっている。しかしトップ同士で全てを決定してしまっていては、今度は互いの組織から不満と疑念を抱かれてしまう。そのため、使用頻度はそうは高くない回線だった。 統括部長専用回線なのに、何故他者が接続して来ているのか。タカナミはそこに戸惑いを覚えた。 確かに、このタイプ・ホロンは統括部長代理付秘書だったと彼女は記憶している。公的アンドロイドシリーズだと言うのに、他のホロンとは髪型を変え眼鏡を装着している点から充分に見分けがつく。 まず秘書を遠そうとする態度は、理解は出来る。タカナミ自身にも秘書型タイプ・ホロンは付いており、通常は同様の対処をするだろうからだ。 しかし、これは直通回線である。そこで秘書を通した事など、タカナミが記憶する限り、今までなかった――今の部長代理も、そして部長自身の際にも。 タカナミの電脳を通した視界の中では、黒い長髪をひとつに纏めたタイプ・ホロンが微笑んでいる。掛けた眼鏡の奥の瞳には柔らかな微笑みが湛えられていた。 これはアバター通信なのだから、現実も同じ表情なのかは謎である。しかし、相手はアンドロイドなのだから、おそらくは現実においても同様の表情をしているのだろうと、人間たる書記長は思った。 |