蒼井ソウタが負傷し右足に不具合を覚えてから、現在では半年近くになる。それだけの期間を経れば、松葉杖生活にも慣れていた。右手を介して扱う杖は身体の一部のような存在になり、徒歩については何ら支障はなくなっている。
 そうやってソウタは海岸通りを歩いている。通常の人間の徒歩のスピードと大して変わらない速度を保っていた。
 彼の秘書役を担うアンドロイドは、彼の隣に歩いている。この海洋公園一帯は観光スポットではあるのだが、一般的なスポットからは外れた場所にある。道幅が広い事もあり、彼らが2列に並んで歩いていても迷惑がられる事はなかった。
 潮騒の音が響いてくる。潮の香りは濃く漂ってきた。靴音と、松葉杖の音がその合間に挿入される。
 歩きながら、ソウタは傍らのアンドロイドの横顔を見た。黒髪をポニーテールに纏め上げ、眼鏡のグラス設定は透明としている。
 ――アンドロイドに果たして芸術を理解出来るのかしらね?
 彼の脳裏に、そんな問いかけがよぎる。
 その問いはとある芸術家の老女が行ったものである。とは言え、彼女はアンドロイドを必ずしも否定した訳ではない。「アンドロイドにはアンドロイドの芸術があるのかもしれない」との認識だったのだから。只、それは人間と同一なのかは疑わしいと述べたのだ。
 それは救いがあるのか、そうでないのか。どちらとも解釈出来るとソウタは思う。そしてあの人物はどちらの意味で発言したのだろう――?
 その久島のぶ代と言う名の人物は、彼が敬愛する上司である久島永一朗の実姉である。
 彼女は舞踏において傑出した才能の持ち主であり、胆力もそれに正比例していた。その点においては、才能の方向性は違えど、弟と同様に尊敬を集めるに値する人物だった。
 その彼女の考え方は、それである。では弟も同じ考えを抱いていたのだろうか。誰かがそれを確認しようにも、かの弟が事象の彼方に消えた現在では最早無理な話だった。
「――ソウタさん」
 ずっと視線を向けられていたからだろう。ホロンがそう呼びかけてきた。視線を上げ、笑みを湛えた瞳をソウタに合わせてくる。
「何かございましたか?」
「…いや…」
 面と向かって問われると、ソウタは口篭もる。まさか今考えていた事をそのままこのアンドロイドに伝える訳にもいかない。厳密に考えたら彼女に関する話題ではあったのだが、かと言って彼女に伝えた所で問題が解決するような事でもなかった。
 ふたりは歩きながら会話を交わしている。ソウタは視線を前に向けた。周辺に相変わらず人影はない。無言で歩みを進めつつ、口を開いた手前、何かを言おうと考えた。
 やがて彼は、再びちらりと隣を見た。ホロンは既に正面を見ている。そこに、話しかけた。
「――ミナモは…相変わらず先生の所に通ってるのか?」
 問われたホロンは視線を上げる。ソウタに視線を合わせた後、口を開いた。
「はい。久島様のプライベートルームの入室記録に、ミナモさんのパスが数日おきに残されています」
 どうやら一瞬にて彼女は件のログを検索したらしい。仕事の早さにソウタは半ば呆れた。有能な秘書と評価するならば、その通りではある。
 そして彼の呆れの感情は、すぐに妹へと向けられた。――何の用があってあいつは先生の所に通ってるんだ?
 先生――久島永一朗の記憶と知識を引き継いだそのAIは電理研の最高機密に位置づけられ、テロの対象にもなったために電理研の最深部に位置する久島のプライベートルームに半ば軟禁されている。「彼」自身に部屋から出る意志がないのもその待遇の助けとなっていた。
 人工島のみならず、世界においてもその知識は人類の宝足り得る代物である。そんな存在の元に、何の目的があって、一介の女子中学生が足繁く通うのだろう――?
 しかし、すぐにそれは愚問だと彼は気付く。そしてその結論を自分で見いだしておきながら、脱力するのを止められなかった。思わず足も止まってしまう。
「…どうか致しましたか?」
 怪訝そうな女性型アンドロイドの声が、彼の隣から投げかけられる。
「いや…何でもない」
 ソウタは俯き、足を止めたままだった。
「何でもないんだ」
 彼は似たようなせりふを繰り返しつつも、何処か自分に言い聞かせるような口調だった。
 ふたりのその間を、穏やかな潮騒が満たしてゆく。
 
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