ソウタからの依頼を快諾した波留は、その詳細を受け取っていた。応接スペースにて互いに手をかざし合って直に電通を行い、波留の電脳に情報を伝える。
 ソウタから渡された依頼リストには、あくまでも依頼に限定された情報しか載っていない。例えば依頼主の詳細は伏せられたままとなっていた。しかし波留にはそれは不必要な情報なので、別に構わなかった。
 波留が受け取った情報には、現在のメタル内で確認されたイリスらしきメタルアートの情報と、収集された関連する噂話のログが添付されている。まずはそれらの精査から始めたらいいだろうと彼は考えた。或いは先程のダイブで偶然遭遇したあのメタルアートがイリスと関係するかどうかも、この依頼解決への糸口となるかもしれない。
 そんな風に脳内で波留が今後の方針を考えている途中、ふと思い浮かんだ事があった。彼はそれを口に出す。
「――どうして僕がこの事務所を使用していると、お気付きになりましたか?」
 波留の眼前に座る青年も、以前の事務所に所属していた立場である。事務所を閉めた際に、彼もここを後にしていた。
 事務所の閉鎖について、波留は明確に通達した訳ではない。しかし、所属していた人間は全員なし崩しに認めていた。そして現在も波留には事務所を再開したつもりはないし、個人的に利用し始めたとの連絡も誰にも一切入れていなかった。
 実際、事務所の表には「CLOSED」の看板が下げられたままである。ガラス状の壁面も、閉鎖時のマジックミラー設定のままで、外から中を見通す事は出来ない。
 そんな状態だと言うのに、何故ソウタは「波留がこの事務所に居る」と知り、訪問してきたのだろう。訪問された側である波留から、その疑問は未だ潰えていなかった。
 無論、相手は世界随一の調査機関と評判の電理研であり、更にはその最高幹部のひとりがソウタ当人だった。彼らが本気を出せば、波留の居場所など割り出す事は可能だろう。以前消息を絶った時とは違い、今の波留は人工島内に居るのだから。
 波留としては、その手段を問題視するつもりはない。只、その手段そのものが何であったのか、それを知りたいだけだった。
 問われたソウタもまた、紅茶に口を付ける。一口味わった後、答えた。
「先生に教えて頂きました」
 簡潔な答えである。しかしその言葉に、波留は目を瞬かせた。その答えに、いくつかの引っ掛かりを覚えたからだ。
 今のソウタが述べた「先生」とは誰か。その単語を耳にした波留は一瞬のみ思考が停止したが、すぐに答えに行き着いた。
 どう言う経緯があったかまでは預り知る所ではないが、つまりは「あのAI」が彼にこの事務所の状態を教えたのだ――波留はそう思い至っていた。
 波留が所有していたこの事務所の管理キーは、閉鎖時に電脳内から削除してしまっていた。そのため、この事務所を改めて利用する際に、あのAIから譲り受けた格好になっている。
 「彼」は、この事務所の法的な所有者である久島の記憶と知識とを受け継いでいる立場である。久島の動産たる事務所の管理キーも同様に受け継いでいると波留は踏み、その貸し出しを依頼した。そして彼の考えは正解だった訳である。
 だから、ソウタがあのAIに問えば、事務所が再び波留に利用されていると判るはずだった。
 しかし波留にしてみれば、自分の個人情報をあっさり他者に流された感がある。とは言えあのAIは別に波留をマスターとしている訳ではない。ソウタに対しても同様である。
 彼にとっては、その両人に関する知識は、同一の対象に過ぎないだろう。「人間に明確な問いをされ、私はその答えを有していた。だから答えただけだ」と言われては、波留にはどうしようもなかった。そこは仕方がないと波留は諦めている。
 しかし、波留には微妙に納得が行かない事が他にあった。彼はそこを指摘する。
「――…彼は、久島ではありませんよ」
 その波留の声には僅かに苦い響きがあった。それに気付いたのかそうではないのか、ともかくソウタは顔を上げる。波留を見直した。
 そのAIは、久島永一朗の容貌を引き継ぎ、久島当人の脳核を保持して生命管理を担っている。そして久島の知識と記憶とを引き継いでいた。言わば、久島当人がメタルに消失する寸前までの全てを引き継いでいる立場にあった。
 しかし、あくまでもAIである。人間だった久島永一朗当人とは、全く違う存在であるはずだった――少なくとも、波留真理個人にとっては。
 だが、このソウタは、あくまでもAIを「先生」と呼ぶ。その呼称は久島永一朗に用いていたそれであり、彼はAIも久島も同一の存在として認識している節があった。
「…それは判ってるんです」
 ソウタは俯いた。前髪が彼の目元を隠す。
「判っていても、俺にはまだ割り切れないようです」
 溜息混じりの台詞が、彼の口からもたらされた。 
 ――彼は、それだけ久島を敬愛していたのだろうか。波留はそんな事を思った。
 だからと言えども、波留にとってはそれは同意は出来ない考え方だった。そこが、波留とソウタとを深く隔てる溝だった。
 
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