アジアの南洋に建築され、その来歴から日本人を中心としたアジア人が入植者の大半を占める人工島において、西洋風の名前は物珍しい。
 その珍しい響きを持つ名を耳にしたソウタは、それが果たして誰なのかを反射的に検索していた。彼は、まずは自らの電脳に貯め込んだ人名リストを元にヒットしないか試みる。自分の領域にて見付からなければ、メタル内に検索範囲を広げるつもりだった。
 が、電脳内のリストにてヒットするより先に、彼の生脳からの記憶が蘇っていた。波留は名前のみを出したものの、その前には「テロ事件の容疑者」と但し書きを付けていたのである。それが連想の助けとなった。
 確かその人物は、忘れ難きあのメディカルセンター占拠事件の犯人グループをサポートしていたメタルダイバーだった。結局彼はメタルダイバーとして波留とやり合った挙句に敗北し、こっぴどくやられたはずだった。
 あの犯人グループの中でも波留に深く関わったのは、彼とリーダーだった通称「レッド」位だろう。レッドは事件後拘束されたものの、電脳自殺を図ったために最早人間としての意思の疎通は適わない状態に陥っている。
 ともかく波留とシルバーには少なからぬ縁があった。シルバー拘束後に彼の人工島での活動を洗うと、あろう事か電理研の委託メタルダイバーをもこなしていたのだから。そして波留のチームの一員として仕事を受けた事も2回ある。
 今回のテロのための潜伏調査を行っていたのだろうと、誰にでも理解出来る彼の過去だった。それが直接的に情報漏洩に繋がった訳ではないとは言え、電理研にとっては痛い失点である。
 事前からそんな絡みがあったのだから、波留には印象深い相手なのだろうかとソウタは思う。或いは、あの反抗グループの中で、そのシルバーのみが飛び抜けて若かった。そこが波留の中に引っ掛かりを作っているのかもしれない。
 前時代のパソコン世代の頃からハッカーやクラッカーの才能は若年層に見出される傾向にある。どうやらシルバーもその口だったらしい。彼は運が良いのか悪いのかその腕前を犯罪者達に見込まれてゆき、最終的には取り返しのつかない域に達してしまったようだった。
 ――いくら犯罪者とは言え、未成年の少年が大人達の思惑に振り回され続けるのは忍びないとでも思っているのだろうか。ソウタはそんな事を考えるが、眼前の波留からは何の感情も読み取れなかった。
 青年は溜息をつく。電通ダイアログを開き、送信相手を選択した。しばし瞼を伏せ、リアルでは黙り込む。
 傍らの波留も黙ってソウタを見守っている。彼には今のソウタは何らかの電通を行っているのだと把握出来ていた。だから、口を挟まずその答えを待っていた。
 5分程待たされただろうか。ソウタはすっと瞼を開き、波留を見た。僅かに表情に困惑を見せつつ、口を開いた。
「――彼、調査部ではもう拘留してないそうです」
 その答えに、波留は瞠目した。ソウタの戸惑いが彼にも伝播する。眉を寄せ、その言葉を繰り返した。
「…拘留してない?」
「はい」
「彼、明らかに犯罪行為をしてるんですが、こんなに早く釈放されるものなんですか?」
 波留は戸惑い気味に言う。彼自身がシルバーをメタル内で倒したのであり、シルバーが一体何をやっていたのかは充分に把握していた。得たログは全て電理研に提出しており、それらは調査部に回されて捜査の助けになっているはずだった。
 いくら相手は未成年とおぼしき少年とは言え、拘留から丁度1ヶ月になったばかりである。そんなに簡単に全てが終わってしまっていいものなのだろうかと、波留は怪訝に思った。
 その問いに、ソウタは答える。しかし答える彼当人も、その言葉に完全に納得しているとは言い切れない様子だった。
「俺にも良く判りませんが、単なる釈放とも限らないと思います。警察送りにされたか、或いは他国へと引き渡されたか…彼、余罪が結構あったんですよね?」
 つまり、実力はともかく経歴上は調査部の手に負える犯罪者ではなかったため、然るべき機関へと移送されたのではないか?ソウタはその可能性を示唆してみせた。人工島は厳密には国家ではないため、他の国家から犯罪者引き渡し要請が行われた場合、回避は難しかった。
「何にせよ、今の俺が調査部に照会出来たのはその程度の情報です。いくら俺が統括部長代理だからと言っても、正式手続きなしで容疑者の情報を開示するなんて…彼らにそんな義理はありせんから」
 波留は納得して頷いた。所属組織の最高幹部が口を出してきても、個人情報保護の観点から安易な情報開示は出来かねる。それが成熟した民主主義社会と言う奴だった。
 その原則を踏襲している調査部は健全な組織であると認めざるを得ない――果たして健全そのものなのか、それとも上役からの不合理な命令に反発しただけなのかは置いておくにせよ。
「もし波留さんがお望みなら、もう少し突っ込んだ情報提供を、俺の名前で要請しますが?」
 ソウタは胸に右手を当ててそう言う。電理研が巨大組織である以上、正式な手順を踏んでの正当な要求にはどの部署も応えなければならない。その原則をソウタは口にしていた。
「いえ…」
 波留は穏やかな声のまま、首を横に振る。口元には微笑すら浮かべていた。
「そこまでする程の事ではありません。彼は今、調査部には居ないと言う事実だけで充分です」
「そうですか」
 ソウタは頷く。波留の意見を首肯した。
 そして彼はそれ以上、波留に問わなかった。何故件の少年の事を気に掛けているのか、訊いてどうするつもりだったのか――それらを問わないまま胸に押し込め、以降には忘れてしまった。
 
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