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その台詞に、波留は面食らった。これは、彼の予想の範疇から越えていた。思わず、胸元に右手を当てる。波留は若干前屈みになり、ソウタに問い掛けた。 「…僕、電理研から距離を置いている立場なんですが…いいんですか?」 波留からの問いに、ソウタは重々しく頷いた。そして、伏し目がちに口を開く。 「無論、今の波留さんに電理研内の施設をお貸しする訳には行きません。それでは直接依頼した状態と変わらなくなってしまいます」 その台詞に波留は頷いた。その論旨においてソウタは一貫していると認めた。波留の了承の態度をソウタは一瞥する。そして、続けた。 「ですが、波留さんが独自に開いている事務所にて依頼を委託して貰う分には、大した問題にはならないと思います」 波留は腕を組む。首を傾げつつ、若き統括部長代理の言葉を聞いている。――そういう解釈かと、彼は内心感嘆の声を上げていた。 「それに、俺達はメタルに抱える様々な問題への対処で忙しくて…こんな…言っちゃ何ですけど、どうでもいい依頼に対処してる暇がなくてですね」 ソウタは頭に右手をやり、髪を掻き上げる。いくつか詰まりながら言う。その表情には苦いものを張り付かせていた。 「でも、前回の依頼で御存知かもしれませんが、この依頼主は大口株主でしてね。曖昧な態度で逃げ続けるにも限界がありまして」 そこまで語られた時点で、波留にはこの一件の全容が理解出来た。今のソウタが置かれている立場や、何故この話題を自分の元へと持ってきたのか――。 「――…要は、僕にあなた方の露払いをやれと」 波留が発した声は固い調子だった。 つまり、電理研の立場上、この依頼はどうしても断れない。しかしこんな暇に飽かせた市井ネタの依頼を受けている程、今の電理研は暇ではない。ならば、適当な外部のメタルダイバーに斡旋しよう――そう言う話の展開なのだと理解していた。 電理研直接の依頼ではないのだから、部長オフィスに呼び出して説明する筋合いもない。だからソウタはこの事務所に直に出向いたのだ。事前に電通やメールを介さずいきなりリアルで訪問してきたのは、万が一の際に可能な限り足がつかないため――とは流石に勘繰り過ぎだろうかと波留は思っている。 「いえ…波留さんには本当に申し訳ないとは判っているのですが…」 固い態度の波留に、ソウタは恐縮しきった声を漏らしていた。確かに何処まで馬鹿にしているのかと怒られても仕方のない話だと思った。 そんな青年の態度を前にして、波留は無遠慮な視線を送っている。 その視線の印象がふっと緩和した。黒髪の青年は表情を解き、微笑を浮かべていた。 「――構いませんよ、僕は」 「え?」 ソウタは声を上げ、まじまじと波留を見返す。そんな視線を受け止める波留は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。 「条件などはそちらの言い値で構いません。その依頼、お受けしましょう」 「本当ですか!?」 途端、ソウタの表情に喜色が浮かぶ。思わず上体がソファーから若干浮いた。本来ならば立ち上がりたい所だったのかもしれないが、彼の動かない右足はそれを成してはくれない。 それを見た波留は、右手を広げて示してソウタを制止する。笑みが苦笑へと変化する中、告げた。 「そもそも申し訳ない事をしたのは僕の方ですからね。依頼をお受けする事で幾分あなた方の心が慰められるならば、いくらでも」 「本当にありがとうございます!」 ソウタは礼の言葉を発しつつ、深く頭を下げていた。波留はそんな彼の様子を微笑ましいような気分で眺めている。 ふと、波留は傍らに気配を感じ、視線をやると、そこには微笑みを浮かべた女性型アンドロイドが立っていた。その手には紅茶のポットが携えられている。 彼女はごく自然な態度で波留とソウタのカップに紅茶を注いで行った。紅茶カップは既に空となっていた。折を見て注ぎ入れるつもりで待っており、話題が一段落した今がチャンスだと解釈したのだろう。つくづく有能な秘書型アンドロイドだった。 波留は彼女にさりげない感じで礼を言う。ソウタは僅かに固い調子を残し、無言で目礼しただけだった。 ホロンは彼らに頭を下げ、再び退出してゆく。その後ろ姿を見送りつつ、波留は口を開いた。 「――ならばいっそ、その依頼主さんに僕を直接紹介すれば良かったのでは?」 電理研が受けた仕事をそのまま依頼主ごと波留に丸投げされた事も、以前にはあった。よりにもよってそれが波留の事務所での初仕事だったりもしたのだが、波留に仕事を丸投げしたのが久島であり、された依頼人が当時の諮問委員会委員長たるジェニー・円だった。 更に円が持ち込んだ依頼とはブレインダウンした人工島株主の救出で、その人物は電理研にとってもかなりの重要人物と言えた。その結果、電理研の施設を使わせて貰えると言う完全バックアップを得たのだから、電理研からの案件とあまり状況は変わっていなかった。 今回はそこまでの最重要人物相手の依頼ではない。しかし、同様に依頼人を直接寄越してくれれば都合が良かったのではないかと、波留は述べた事になる。 そうすれば表向きは依頼主と波留との直接の関係になり、電理研は蚊帳の外となる。何か起こったにせよ、電理研は直接的な責任は負わなくて済む。一方で電理研には「波留を紹介した」立場が与えられるのだから、依頼が首尾良く終われば依頼主の電理研への印象はますます良いものとなるだろう。 この事務所には「CLOSED」との看板が掛けられている。しかしそれは「外部から依頼を取りたくない」アピールと捉え、電理研が紹介した依頼人を直接送り込めばいい話だった。 その場合は事前に波留からの承諾を得ておく事も必要になる。今回の来訪がそうとも受け止める事が可能なのだが、どうやらそうではなくソウタはあくまでも「電理研からの委託依頼」として通し続けるつもりらしい。 「――俺もそれは考えたんですけど」 ソウタの言葉はそこで途切れる。波留は怪訝そうな表情を浮かべたが、無言のままに先を促す。すると、躊躇いがちに青年は口を開いた。 「…それって、何だか卑怯な気がして」 その言い分を耳にした波留は、呆気に取られた。やけに潔癖な態度だと思ったからだ。 確かに電理研に来た依頼を外部に丸投げするのだから、そんな考えに至ってもおかしくはないのかもしれない。しかも丸投げする相手とは、現在ではあまり良い関係を築いているとは言えなかったのだ。言わば、以前からの好意を盾にしている事になる。 とは言え、依頼の丸投げは、法的にも社会的にも全く問題のない行為である。心情的に引っ掛かりを覚えたにせよ、それさえ無視してしまえば成してしまえる事だった。 しかし、ソウタはそれを良しとはしなかったらしい。少なくとも今の彼の態度とは、それだった。 清廉さとは、一個人としては美徳である。しかし、組織の最高位に在る立場において、そんなものは足枷になり得るのではないか?――波留は何気なく、眼前の青年に対してそんな危惧を抱いていた。 そんな気分を誤魔化すように、彼は手元に視線を落とす。そこには赤い水面がたゆたっていた。 波留はカップを持ち上げ、ダージリンの香りをふんわりと放っている液体を口に含む。あのアンドロイドの紅茶スキルは並大抵のものではないらしく、先の紅茶同様の味を保っていた。 |