「――で、どうしてそれを僕に?」
 ソウタの苦笑が静かな室内に溶け込んだ頃。波留は紅茶を啜った後に、ソウタに問い掛けた。
「それは現在の電理研が受けた依頼でしょう?今の僕には関係のない話だと思いますが」
 波留は、唐突にそっけない態度を見せ始めている。しかしそれはある種のポーズだった。その理由は後に述べられる。
「依頼内容を部外者たる僕に訊かせてしまって…むしろ、守秘義務と言う面で、良かったのですか?」
 人工島は先進的な社会である。それ故にプライバシーの尊重はごく当たり前の認識とされていた。そしてメタルダイバーへの調査依頼には極秘事項が付き纏う。守秘義務が契約書内に明記されているのが当然だった。
 ソウタは統括部長代理であり、過去には電理研調査部に半ば籍を置いていたような状態だった。内密な調査を実行する側に立つ彼が、守秘義務を知らない訳はないし、それを守ろうとしないのはおかしな話だった。
 もっとも、この若き電理研最高幹部には愚痴りたい事もあったのかもしれない――波留はその可能性を鑑みる。だとしたらある程度の事情を理解している人間に相手役を務めて貰うのが適当だろう。
 事実、波留もメタルダイバー業務をこなしてきた以上、守秘義務と言う奴に慣れている。自分が口を割らないのは勿論、相手もその状態にあるのだと気を回すのも日常だった。
 ソウタは俯いている。両手をそれぞれの膝の上に当て、黙り込んでいた。何かを考え、或いは悩んでいるような素振りではある。
 やがて彼は、勢い良く顔を上げた。相対している波留を見る。そして、口を開いた。
「――波留さん」
「――ああ。もしかして、この前の依頼と同じ事情ですか?」
「…え?」
 発言を遮られた後に続いたその台詞に、ソウタは怪訝そうな声を上げる。
 一方の波留は納得したような声を出している。何かに気付いたような顔をして、何度も頷いてみせた。そして、続ける。
「この案件も、元はと言えば僕がこなした仕事と言えますからね。あの鮫型思考複合体の一件同様に」
 波留は何の衒いもなく、その案件の話題を出した。彼がこうして電理研と袂を分かつ――とは言い過ぎかもしれないが、距離を置くきっかけとなった、その案件である。
 鮫型思考複合体の案件も、今回のイリス探索の案件も、依頼主は同一人物であり、その捜索対象も同一である。そう解釈すれば、仕事の内容にも連続性が見出す事が出来る。
 となると、今回は波留に仕事を回せないにせよ、以前関わった当人を蔑ろにする訳にはいかない。その断りのための来訪なのだろう――波留はそう解釈した。
 だから、現時点の状況を事細かに説明したのだろう。波留にはそれだけの情報を知っておく権利があると、ソウタは思ったのだろう。それは先の鮫型思考複合体の一件を思い起こせば、今回もそれが適用されるだろう。
 そして、だからこそソウタはこの本題になかなか入れなかったのだろう。断りの申し入れなど、明らかに気の進む話ではないからである。しかし、義理を通すためには実行しなければならない。偉い立場にある人間とはなかなか難しいものである――波留はこの展開に、そう判断した。
 ソウタは意を決したような表情を浮かべた。端正な顔を容貌も実年齢も年上である人物に向け、その名を呼んだ。
「――波留さん」
 その声は、畏まった調子だった。その調子に、波留は内心身構えた。自分が蒔いた種であり仕方のない事とは言え、やはり断られるのは緊張する。しかし眼前の彼もそれは本意ではないはずであり、だとしたらこちらは平静に受け止めるとしよう――。
 長髪の青年がそんな事を考え、唇を結んだ時だった。
「波留さんは、この事務所をまた開くつもりなんでしょうか?」
「…え?」
 相対する統括部長代理の青年が持ち出したのは、波留が予想もしていない方向の話題だった。そのため、反射的に怪訝そうな声が彼の喉から漏れる。
 思惑を図りかね、彼はソウタをちらりと見やる。年若い青年は波留をじっと見つめていた。微笑みを浮かべる事もなく、真剣な表情を波留に向けていた。明らかに相手の答えを待っている様子である。
 その様子に、波留は溜息をつくような呼気を漏らし、唇を綻ばせた。どう対応していいものか、迷う。曖昧な表情にその気持ちが表れていた。
「…いえ、ここで改めて依頼を受けるつもりはありません」
 右手を胸の前で翻しつつ、苦笑めいた表情を浮かべた波留はそう答えていた。そして、事情を説明し始める。
「この事務所を使わせて貰ったのは、メタルダイブの設備が整っているからでして…僕の自宅には託体ベッドすらなかったもので」
 理由を口端に乗せてみると、波留はこれが如何に自分勝手な行動か改めて自覚した。「なら託体ベッドを自宅に用意しろ、流通品は必ずしも安価ではないが充分に個人で購入可能な価格帯だ」や「これだけの設備を利用しなければならないメタルダイブとは一体どんなものだ」などと突っ込まれる余地は充分に残しているからである。
 そもそも、法的にはこの事務所は波留の財産ではなかった。ここが「波留の事務所」として認識されているのは、慣例からの発想である。しかし、厳密な法解釈で突き詰めていけば、違法占拠として充分に問題視出来た。
「…もしかして、久島の動産を今の僕が勝手に使っているのが、電理研か何処かで問題になりましたか?」
「いえ、そうじゃないんです」
 波留の問いに、慌てた風にソウタは声を上げる。首を横に何度か振った。
「仮にそれを問題視出来るとすれば、それは所有権を有する先生だけです。俺や他の人間にはそんな権限はありませんし、この事務所は先生が波留さんに提供したオフィスです。第3者が問題にする事などあり得ません」
 やけにきっぱりとした台詞だった。そんなにすんなり行くものだろうかと波留は思うが、様々な法解釈が戦わされる可能性があるならば、それは彼の専門外だった。
 そうやって揉めている間は、まだこの事務所を「不法占拠」していて構わないだろうと踏んだ――仮に、本当に揉めているとするならば。しかしソウタの口振りでは、どうやらそうではないらしい。
 果たしてソウタは再び波留を見据える。真顔で、口を開いた。
「波留さんがこの事務所を内密にでも利用しているのならば、昔のように電理研からの依頼を委託して貰えませんか?」
 
[next][back]

[RD2ndS top] [RD top] [SITE top]