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再び沈黙がふたりの間に下りた。かちゃかちゃと微かな金属音が応接スペースの隙間を埋めてゆき、そのうちにふたりの皿からケーキは姿を消してゆこうとしている。それ程大きいカットでもなかったために、容易く成人男性の胃袋に収まってしまった。 「――波留さん」 そんな中、不意に話を振ってこられ、波留は顔を上げる。ソウタを見やった。 ソウタはスポンジが露出した最後のひとかけらを突き刺したフォークを顔の前に持ってきている。そしてそれを含んだ後に、語った。 「イリスって、御存知ですか?」 彼はそう言いながら、フォークを下ろす。ケーキが無くなった皿の上に先端を押し当てた。 「――イリス?」 波留はその名を鸚鵡返しにしていた。 ――よもやその名が今日、ソウタの口から出てくるとは。波留は思いも拠らなかった。彼はほんの数時間前に行ったダイブと、その終盤に遭遇したあのメタルアートとを脳内に思い起こしていた。 凄い偶然とはあるものだ――波留は独り思っている。 「…以前、メタル内に存在していたメタルアーティストの事ですか?」 しかし波留は脳内での回想を表には出さない。何食わぬ顔をして、そんな当たり障りない事実のみを喋っていた。 ソウタは頷く。波留の事情を知らない彼は、とりあえずその弁を肯定してみせた。そして新情報を波留の前に提示する。 「そのイリスが復活したとの噂がありまして…」 語りながらソウタは、皿の上でフォークを動かす。ケーキを彩ったホイップクリームの残骸を、フォークで皿から削り取ってゆく。 「その噂を聞きつけた、以前パトロンになろうとした電理研株主が、また我々に捜索を依頼して来たんです」 ソウタの台詞が終わった途端、波留の表情が呆れ顔になる。次いで、溜息混じりに感想を漏らした。 「…暇なんですか?その方って」 波留のその言葉は、多少表現に過ぎていたかもしれない。 事実、パトロンなどは余暇を持て余す好事家がなる事が多い。とは言えその事実をあまりにもストレートに表現する事は好ましい態度とは言えない。 しかし波留としてはそれ位の事は口走ってもバチは当たるまいと考えた。何せその「以前の依頼」を受けたのは、他ならぬ彼自身なのだから。そしてソウタの口振りからして、その人物は今回の依頼主と同一人物らしいのだ。 あの時点において、波留はその依頼主とは直接やり取りはしていない。事務所に直に持ち込まれた依頼ではなく、電理研が斡旋してきた仕事だからである。仲介者が割って入った以上、波留は依頼主の人となりを知っている訳ではない。そのため、どうしてもイメージが先行する。 前回依頼が一区切りした際、依頼主への報告は波留に依頼を斡旋してきた久島永一朗に任せていた。その久島曰く「イリスはメタルから消えたと報告しておいた」との事だった。 実際に「メタルから消えた」以上、その報告は事実ではある。だが、余計な事実を含めていない最小限のものとも表現出来た。波留はイリスのリアルの身分が誰なのかも把握済みだったにも関わらず、久島経由の報告ではそこまでを挙げていないのだから。 あの依頼主は当時にその報告を受けておきながら、今となっても諦め切れていなかったらしい。或いは復活の噂を聞きつけた事で再び独占欲だか庇護欲だかが湧き上がって来たのか。 どちらにせよ、波留にはそれが、好ましい事態とは思えない。 ――「彼女」が何故メタルから消えたのか。彼女のアートを愛しているなら、その事情に想いを馳せたりはしないのだろうかと、波留は若干の苦々しさを覚えていた。 「――いえ。逆だと思います」 そんな波留に、ソウタは真顔でそう答えていた。 その言葉に波留は首を傾げた。暇人ではないと言う結論になるのだが、一体どういう意味だと思った。 ソウタは相変わらず皿の上でフォークを弄んでいる。話題のせいか、まるでこびりついたクリームと皿とで何らかの模様を描いているようにも見えた。 「アーティストの発掘とその援助はれっきとした文化事業です。政治の世界では充分なアピールとなり得ますから」 手元では落書きめいた行為を続けつつも、ソウタは淡々と述べる。 それに、波留は頷いた。納得の意を示す。そう評されたならば、彼にも理解は出来る。しかし、理解と許容はまた別問題である。あからさまに彼は顔を顰めた。台詞にも内心がそのまま表れてくる。 「芸術に政治が絡んでくるとは、興醒めですね」 波留自身は芸術には疎い。「イリス」のメタルアートのように感覚に直接的に訴えてくるような芸術ならともかく、そうではない作品の善し悪しは良く判らない。感覚的に気に入る作品は存在するだろうが、彼の感覚と社会的評価が一致するかはまた別問題である。 しかし、「芸術」を「スポーツ」に置き換えたならば――そうする事で、彼は途端にこの手の話題に実感を覚える事が出来ていた。 フリーダイビングと言うマイナースポーツの第一人者だった彼は、世界一に君臨し続けた所で結局は大したスポンサーを得る事もなかった。自身と周辺の人間が集めてくれた最低限の資金で世界大会に出場し続けたようなものだった。二足の草鞋状態だった彼の職業がかなりのレベルの賃金を与えてくれた事が、フリーダイビング競技においてもかなりの助けになっていたのだった。 それでも世界一と言う結果を携えたら、食いついてくれる政治家も居なかった訳ではない。地方自治体レベルの話ではあるが、いい広告塔として扱われた経験もある。 そんな扱いには、彼も悪い気はしないし取り上げてくれる事には感謝した。しかし、結局は競技そのものを理解し関心を持ってくれた人間はごく少数である。物珍しさが先行した興味本位な扱いを受ける事が殆どだった。そこに、時には煩わしさを覚えた事もない訳ではない。 「古今東西、こんなものだと訊いています。俺だって、この前…――」 何かを言い掛けたまま、ソウタの台詞が途切れる。眉間に刻まれた皺が、一段と深くなった。彼はそこに指を当てる。何かを堪えるような表情になった。 「…ソウタ君?」 言葉が続かない若者に、波留は声を掛ける。一体何を思い出しているのだろうと思った。が、その表情からして、あまりいい思い出ではないのだろうと、波留にも充分に推測はつく。 きっと、何かあったのだろう――それこそ、先のイリス探索の頃に。そう言えば、その頃彼は何をやっていただろう――?僕自身がこなした探索とは、別の予定がバッティングしていた記憶があるが――。 やがて、ソウタは首を横に振る。何かを振り切るような態度を取った。それでも口許を歪めたまま、新たな言葉を発してゆく。 「…特に来年初頭に書記長戦を控えた現状、どの陣営も少しでも点数を稼ぎたいんでしょう」 ――それでは電理研が、ある陣営に手を貸す事にならないだろうか。ソウタの言葉に、波留はそんな感想を抱く。 特に現在のソウタは、電理研統括部長代理と言う要職に就いている。その彼に伝わってきた案件に妙な政治的な色合いが付加されていても、中立性と言う建前において、大丈夫なのだろうか? しかし、電理研に調査機関の一面がある以上は、依頼されては最善を尽くさねばならないだろう。電理研の調査結果をどう利用するかは各陣営の勝手であり、そこに電理研が関与しなければ政治への介入とはなり得ないだろう。 そう割り切るに越した事はないと、波留は考える。彼とて様々な依頼をこなしてきたメタルダイバーである。その殆どが電理研経由の案件だったのだから、政治的な振る舞いが理解出来ない訳ではない。 そもそも50年前の彼は、政府機関に準ずる組織にて働いていたのだ。その手の処世術は、彼も身を持って理解していた。 「俺だって、そんなに詳しい訳じゃないですけどね」 誤魔化すように苦笑を浮かべ、ソウタはそう言った。確かに彼は実利的な物事に重きを置く性質である。芸術と言うジャンルには縁が遠いだろう。半年以上も付き合ってみれば、波留にもそれは理解出来ていた。 色々あったのか、彼もメタルアートについては付け焼き刃程度の知識は持っているようだった。しかし、そもそも電脳化さえしていれば常時接続可能であるメタルを社会の基幹システムとして採用している人工島では、どんな事柄もすぐに検索可能である。生脳に知識を貯め込んだ所で、大した意味はなかった。 |