ざぶんと背中から海へとエントリーしてゆくと、沈んでゆく身体の両脇から、巻き起こった泡が筋のように浮き上がってゆく。まとわりつく泡が指先に当たって弾ける心地がした。
 飛び込む海を視界に入れず、まるで身を投げ出すようなエントリー体勢に慣れない初心者は多い。しかし、これが正式なダイブエントリーである。
 その手法は、リアルの海でもメタルの海でも変わらない。リアルの海ではボートの上や梯子に掴まった状態から頭上の太陽を感じつつ身投げするのに対し、メタルの海にはメタルダイブした瞬間に身体が投げ出されている。その「身体」は沈むばかりで、ゼロ領域の上にあるはずの世界は存在しない。ぼんやりと輝く太陽めいた光が視界に感知されるだけだった。
 「海」以外の要素は存在し得ない仮想空間――それが、海洋シミュレータを始祖とするメタリアル・ネットワークと言うものだった。
 海中の波留真理はいつものように海を全身に感じている。水を掻き分け自在に泳ぐ。眼前にはエンジェルフィッシュめいた魚の姿が数匹、ちら着いている。そして周辺には珊瑚礁に形どられた洞窟が存在している。
 波留は全身をくまなく覆う青基調のダイビングスーツを纏っている。それはフルフェイスのヘルメットで頭部を覆い、両手もグローブに覆われていた。
 それらの装備を波留が身につけている以上、ここはメタルの海と認識可能である。
 リアルの海に適用するならば、それらは深海潜水用の重装備めいているだろう。しかしメタルダイブならば、これが通常装備である。メタルダイバーはメタルの海に潜りつつも、安全性からその海水から身体を完全に隔絶していなければならないからだ。
 彼はメタルの海の潮流も狭い洞窟の壁も思考圧も物ともせず、着実に深度を稼いでゆく。まとわりつく泡の数は徐々に減少する。潜るにつれてゼロ深度から疑似太陽のように降り注ぐ光も減算してゆき、視界が暗くなる。そのうちにバイザーのライトが自動点灯した。
 深度計がかなりの数値を叩き出した頃に、ようやく彼の沈降は終わる。と言うのも洞窟がそこで終わったからである。深い縦穴状の洞窟に底が見えていた。
 彼は注意深い視線を足元に送る。かっちりとダイバースーツと一体型のシューズで覆われた足先で水を掻き、その場に身体を留まらせた。底に足を着けず、海中に身体を制止させる。
 身体を落ち着かせた段階で、波留は右手をかざす。前に突き出した掌が発光すると、次の瞬間にはその場に光の筋で切り取られたようなダイアログが出現する。
 かざした手に呼応するように、ダイアログは何枚も出現した。そしてその画面上に文字の羅列やカメラ映像などが映し出されてゆく。メタルの海での操作とはいえ、波留はそれらを眼球のみを動かして見やる。
 カメラ映像では、メタルの海の風景がいくつも表示されている。彼は手をかざすとその視点が変化する。平穏な海が映し出されているのが大半だが、中には別の海洋生物が見切れたものもあった。
 彼はそれを見つけ、素早く対処する。――電理研監視ワクチン発見、即時距離を確保し一時撤退。光る掌からコードを発信し、そう指示した。すると、その対応画面がすっと切り替わる。カメラの映像が、海洋生物から勢い良くズームオフしていった。
 別の画面では、別個にログイン状態のメタルダイバーの人影が垣間見れる。彼はそれも把握し、速攻で命令を下す。彼らに発見されないよう、エンゼルフィッシュ達に回避と潜伏行動を取らせていった。
 ――電理研も馬鹿ではないか。定期的に封鎖ゲートの監視を行っている。
 魚達への指示の最中、彼は内心そう思う。
 ――その方が僕は安心出来るからいいと言えばその通りだ。
 波留真理が現在行っているのは、メタル領域に自ら支配下に置いたガイドバグ達を散布しての全域の監視だった。彼が何故それを成すかと言えば、先日の鮫型思考複合体に関する案件への、彼なりの密かなフォローである。
 
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