客人を出迎えている部屋の主は、デスクの上で両手を組み合わせたまま沈黙している。その左手首には、スーツとシャツの袖口から黒く真新しいベルトが垣間見えていた。
「ともかく、今回はあなたにお世話になりました。僕独りでは何も出来ませんでしたよ」
 そう言いつつデスクの前に立って深々と頭を下げる波留を、久島のアバターは無感動な視線を送っていた。彼は、眼前の背中に流れて行っている綺麗に結ばれた黒髪を眺めている。その口から、淡々とした声が漏れた。
「その言葉は、蒼井ミナモにも告げたのだろうな」
 そう告げられた波留は、頭を下げたまま口を軽く開いた。しかしすぐに苦笑を浮かべる。そのまま、顔を上げてゆく。
「ええ。ミナモさんには怒られてしまいました」
 言いながら、波留は照れ臭そうにに笑った。脳裏には回想が浮かんでゆく。
 あのダイブの後、彼は電通越しではあるが15歳の少女からしっかりと窘められていた。しかし時間帯としては深夜だったために、ふたりはリアルには会う事なく別れている。今日はあれから2日後に当たるが、結局会う暇は作れていない。また何時か、埋め合わせにデートに誘おうとは考えていた。
「当たり前だ。無茶をする」
 そんな波留に、久島のアバターは伏し目がちに断じて来た。その台詞の最後には溜息を混ぜ込ませている。
 義体のその様子に気付いた波留は、表情から笑みを消し去った。眉を寄せる。壮年の容貌を持つ男が沈黙している姿を、窺い見た。
 不意に、何かが波留の心中に去来する。それに彼は戸惑った。
 ――何だ、この感覚は。これではまるで――
 しかし、彼はそれ以降の考えを言語化しなかった。それをしてしまえば、それを現実として認めてしまう事になりかねない。そして彼は、自分はそれを望んでいないのだろうと自己判断していた。
 眼前の人物は黙り込んだままである。ふと、デスクの上に置かれていた両手が解けた。彼は右手を持ち上げ、僅かに顔を上向かせて前髪を掻き上げる。その最中、口許からは溜息が漏れていた。
 顔を上げた彼が何気なく振った視線が、波留のそれに到達する。その瞬間、波留は微かに顔を顰めた。その歪んだ口許を隠すように、黒髪の青年は自らの右掌を押し当てる。掌に感じる呼気は、何故か冷たい心地がした。
「――それで、君が取った手法を整理させて貰うが…」
 波留の耳には、そのAIの淡々とした声が届いてくる。どうやら彼は、眼前の人間の態度の変化を特に問題にはしていないらしい。彼が重視すべきは、情報の統合と整理だった。それがAIたる彼の使命である。
 そのアバターは額に至っていた右手を下ろす。褐色の前髪がふわりと浮き上がり、そして額へと落ちた。多少前髪が乱れた格好になっているが、彼は気に留めない。そのまま右手をデスクの上へと戻し、再び両手を組み合わせた。
「…君は、あの案件に参加していたメタルダイバー全員に自らの考えを伝えるために、敢えてメタルに自意識を流したと言うのか」
 簡潔に纏められたものだと、波留は思う。しかし、そこに誤解は見当たらない。だから彼は顔から手を剥がして鷹揚に頷く。微笑みすら浮かべ、さらりと答えた。
「ええ」
 簡潔な問いに対して簡潔に過ぎる答えを受けた久島のアバターは、特に態度を変化させない。波留を見据え、言葉を続けた。
「電通などの言葉では細かな指示は伝え切る事は適わない、ハッキングでの支配は無理だ――だから、自意識の一部を切り取りリンクラインをメタルに解放し、彼らの意識と繋げた」
「そうなりますね」
 波留は微笑み、AIからの論理を肯定する。デスクの人物は、波留自らが実行した行為を述べてくれている。訂正すべき点は見当たらなかった。
 久島のアバターは真っ直ぐに波留を見上げている。その表情は無感情で固い。口からは静かに言葉が語られてゆく。
「君とて、無事にリアルに戻る公算などなかったろうに」
「強いて言えば、ミナモさんの存在ですよ。僕、彼女に幾度となく助けられていますから」
 微笑みを深め、波留は言った。右手で前髪を掻き上げる。伸ばされたまま結ばれていない黒髪が導かれた後、再び垂れ下がって来る。彼の視界を邪魔してきた。
 それは当時、何の衒いもなく、波留の思考に浮かび上がってきた。――メタルに意識を流しても、ミナモさんが居るから大丈夫だ。確証などない信頼だったはずだが、彼にとっては他の何物にも換え難かった。
「ミナモさんの事を思考の何処かに確保し続けていれば、戻れる確信があったのです。無論、ミナモさんが僕の事を呼んで下さらなければ駄目だったでしょうが…」
 穏やかな笑みを含んだ波留の言葉が途切れた。しかし、相手側が言葉を返してくる事はない。高級そうな革張りの椅子に着席しているアバターは、無言で波留を見ていた。
 デスクの上にて組み合わされていた両手が、僅かに動いた。その拍子に手首が固いモノリスに当たったのか、かつんと言う音が聴こえてきた。
 その音が気になったのか、彼は手首に視線を落とした。黒い盤面に、彼の顔が映り込む。しかしそこは鏡面ではないために、デスクの前に立ち見下ろす波留には、映し出されたアバターの顔は鮮明には捉え切れなかった。
 やがて、波留の耳に届いた声があった。
「――…私は、君の考え方には賛同出来かねる」
 波留はその台詞の内容を理解するために、一瞬の間を必要とした。そして理解したその瞬間、思わず口から声が突いて出てきた。
「…え?」
 顔には笑みを浮かべたままではある。しかし、発せられた声には怪訝そうな印象が含まれていた。
 ――僕の考えに賛同出来ないと、このAIは言ったのか?波留の脳裏に、そんな言葉がよぎる。人間への絶対服従を大前提としているAIが、人間に批判的な態度を取るとは、余程の事だろう。
 確かに自分が取った手法は、無茶ではある。リアルに繋がるリンクラインを敢えて自分から断ち切り、不特定多数の意識の前に自らを曝したのだ。メタルへの意識の完全流失は勿論の事、生還出来たにせよ自分以外の要素が意識に固着し、自分が自分でなくなってしまう危険性を孕んでいる行為だった。
 久島のアバターは、波留を見上げていた。モノリスの盤面に向けていた視線を、再び波留へと導いている。義体特有の紫色の義眼を真っ直ぐに波留に晒し、そのアバターは言った。
「蒼井ミナモからの無条件の信頼を天秤に掛けると言うのは、彼女に対して不義理が過ぎるのではないか?何様のつもりだ、君は」
 久島の姿を取っているそのAIは両手を盤面の上で組み合わせたまま、眉を寄せ、口許を歪めている。さながら、吐き捨てるような態度だった。
 決して感情豊かな表情ではないが、それでも無表情とは言い難い。そしてそれは、対人プログラムが一切インストールされていないこのAIのセットアップ上、奇妙な態度と言えた。
 むしろ、然程感情を表していないからこそ、連想させる何かがある。表情が乏しかったのは、この義体を用いていたオリジナルの人物も同様であり――。
「あなた、まるで…――」
 これを目の当たりにした波留は微笑みを張り付かせたまま、何かを言いかける。しかし、彼はそれを止めた。やはり、そこを認めてしまってはいけないと思った。自分の中で何かが崩れる気がした。
 確かに、自分が取ったのは批判されるに値する行為ではあった。指摘されるように、蒼井ミナモと言う少女に対して後ろめたい部分がある事は、彼自身否定はしないし、そもそも出来る立場ではない。巻き込んだ彼女にはいくらでも詰られて構わないとさえ思っていた。
 その点を突いてくるAIの論理は一貫している。彼は、そこは認めざるを得ないと感じる。
 しかし、何かが違っている。波留にはそんな気がした。このAI――この容貌を持つ義体が纏わりつかせているこの雰囲気は、一体何だろうと思う。単に誰かに批判されているならまだしも、これではまるで――。
「――私は、久島永一朗のような事を言っているか?」
 何気ない風に発せられたその言葉に、波留は息を飲んだ。彼の顔から穏やかな笑みが消え去る。
 眼前のアバターに、自分の考えを見透かされた気がした。感情を持たないAIは理論的であり、洞察力に優れている。しかし、感情を持たないが故に、感情ある人間の考えを全て理解出来る訳ではないだろう。
 だと言うのに、このAIは波留の心中をそのまま言い当てて来ていた。その波留の想いは、非理論的な気の迷いと評する他ないような代物だと言うのに。
 この彼は、そんなものまで理解出来るようになったのだろうか?そしてそれは、好ましい事と言えるのだろうか――?
 久島のアバターは無感動な視線を波留に合わせて来ていた。瞳越しに、波留の全てを透過しようとするかのように。少なくとも、見られている波留自身はそんな錯覚に捉われた。それは奇妙な言動を見せる人工物に対する不快感なのか、それとも全く別の感情から来るものなのか。現状の彼には分析出来なかった。
「――まあ、それも当然かもしれんな。現在の私は、久島永一朗の記憶を、ほぼ完全に受け継いだのだ」
「…そうですね。そういう事なのでしょうね」
 あくまでも冷静なAIの言葉に、波留は微笑みを浮かべた。自らを律し、取り戻す事に成功する。
 同じ記憶を継承している以上、思考パターンも似て来ていて当然なのだろう。だから、久島のような考えを導き出すのだ。考えが同様ならば、それを外部に示してくる言動も類似してきても仕方がない。
 波留はそんな論理で、納得する事とした。自らを納得させようとした。しかし、その試みが成功するかどうかは、彼自身にも判らなかった。

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