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久島永一朗の知識と記憶を受け継いでいるAIが保持しているアバタールームにログイン申請を行いそれが認められた瞬間、開けた波留の視界の前には自動ドアが開いていく。 彼がその敷居を跨いで室内に足を踏み入れたら、広い応接室が目に入る。そしてその先には黒いモノリス状の盤面を持つデスクがあり、そこに着いたアバターが居た。 波留が室内に歩みを進めてゆくと、スニーカーの靴底には敷き詰められた絨毯を踏み締める感触が伝わってくる。このアバタールームはリアルのプライベートルームを完全に再現しているのだと、波留はここにログインする度に感じる。 敢えてリアルと同様の間取りと調度類を設定しているのだから、拘りが凄いのか。それとも逆に、別の室内設定の構築が面倒だったのか。久島と言う人物を良く知っている自負がある波留には、後者のように思えてならない。そちらの方が久島らしいと、彼は思う。 何にせよ、このアバタールームも久島が遺した資産である。久島の資産を受け継ぎ管理運営する命令を久島当人から受けているこのAIが、この部屋の設定の変更など出来る訳がなかった。 ともかく現状では電理研に大っぴらに立ち入れない立場の波留にとって、このアバタールームの存在はありがたい。単なる電通よりも多岐に渡るやり取りを可能にしてくれるのだから。 あくまでも波留は、電理研への出入りを自粛しているに過ぎない。だからなのか、彼とこのAIとの接続には何ら邪魔が入っていない。電通もアバタールームの利用も、障害なく実行出来ていた。 久島の義体の所在が特定されており、それが電理研の最深部である以上、もしかしたら電理研からアクセスの監視はされているのかもしれない。しかしそれも、接続の事実を把握しているのみだろう。アバタールームや電通の傍受は「電理研の皇帝」のプライバシーを侵す事になるのだから。 そして実際、念のために波留がこの室内に感知プログラムを走らせてみても、盗聴プログラムなどの痕跡は見られない。だから彼は安心して、様々な話をするためにAIの元を訪れていた。 「――電理研は、今回の顛末の辻褄合わせに苦慮しているようだ」 このAI自身、電理研から波留に関する指示を受けていないらしい。だから、電理研が抱える内情を波留の前にさらりと明かしてきた。会話内容に制限が加えられている様子は見られない。 「それはまあ…理論は現実に追随するって奴で交わして欲しいですね」 あっさりとした告白に、波留は苦笑を浮かべていた。解れた感情のまま、眼前のモノリス状のデスクに着いている義体を見やる。 このAIに指摘されるように、電理研には難題を押し付けた格好になってしまった。波留はその現状を理解している。 電理研がメタルダイバー達に依頼した案件は、とりあえずの解決に導かれてはいる。懸案の鮫型思考複合体はメタル内から排除され、その後も観測されていない。強大な攻撃力を持つ鮫が徘徊する区画は存在しなくなり、メタル内には平和が訪れた。明確な調査を行う事は出来なかったが、なし崩し的に排除は完了したのだ。 しかし、ではどうしてそうなったのか。その肝心の道筋は一切の謎である。少なくとも、電理研や彼らに雇われてこの案件を片付けた建前となっているメタルダイバー達には、その事情が全く判っていない。 だからと言って、波留が「僕がやりました」と名乗り出る訳にもいかない。そうしてしまえば、新たな混乱が巻き起こるだけである。自分のためにも、電理研のためにも、そして今回の案件に参加してくれたメタルダイバー達のためにもなるとは思えなかった。 この関係者全員にとって幸か不幸か、メタリアル・ネットワークとは杓子定規な世界ではない。それは人間が作り出し管理しているネットワーク世界のはずなのだが、人間が把握出来ていない現象も時折観測される世界なのだ。 波留が評するような事例は今回限りのものではない。そのため「原因不明の現象」が存在した所で、理論上の逃げ道は与えてやっている事にはなっていた。 |