「――波留さん!?」
 ミナモはもう一度その名を叫んだ。しかしモニタに映し出されているその人物は、メタルの海に力なく漂っていた。彼女の叫びに一切の反応を返そうとはしない。
 顔の位置からは、割られ砕けたバイザーの破片が舞い散るように海に広がり、解けていた。そればかりか、彼が纏うメタルダイブスーツは、手足の先から徐々に色が変化してゆく。海の蒼をモチーフにしたかのような鮮やかな色が、徐々に色褪せていた。
「AIさん!」
 ミナモは視点を変えた。縋る相手を求め、隣へと勢い良く振り向く。
「波留さん、一体何したんですか!?何が起こってるんですか!?」
 矢継ぎ早に質問する。彼女としては、目の前の現象についての説明が欲しかったのだ。自分はメタルに疎いのだから、判らない事が多過ぎる。眼前のモニタに映し出された光景は明らかにまずい状況に思えるのだが、その直感が本当かどうかを知りたかった。
 傍らに居る壮年の義体は立ち尽くしている。信じられないような表情を浮かべ、モニタを直視していた。
 やがて、その唇が動く。しかし、それは隣の少女に問われての答えなのか、それとも自らの考えを整理しようとしての自答なのか、どちらともつかない様子だった。
「――…波留真理は、自己の防壁プログラムを自らの手で破り、メタルに自意識を曝し、結果として自意識をメタルに流出させた」
 その語り口は相変わらず淡々としている。しかしミナモには、彼が努めて冷静であろうとしているように見えた。――いつも冷静なAIさんが、動揺している?そんな事もあるのだろうかと思う。
 彼女の想いをよそに、義体は静かに語り続けた。その語りは結果的に、メタルに疎い未電脳化者への詳細な説明となってゆく。
「メタルダイブスーツとはプログラム上では、メタルダイバーの自意識とメタルの海とを隔絶する防壁だ。リアルのダイビングスーツとは違い、素肌を全く曝さない構造のアバターである事からも判るだろう」
 ミナモの脳裏には、自らが借り受けているピンク基調のダイビングスーツが思い浮かぶ。
 温暖な人工島でのダイビングのため、ドリーム・ブラザーズでは一様にウェットスーツのレンタルを行っていた。海に入れば徐々に素材に海水が浸透し、肌に吸い付いてくる。動き易いようにと、丈は袖口までで両手は素肌のままだった。何より顔はゴーグルを装着するだけで、髪を自在に潮流になびかせているものだった。――確かに言われてみれば、メタルダイバー達とは違う装備だと思う。
 リアルの海のダイバーでも、深海への調査潜水などにおいては呼気循環型のタンクを背負い低温の海水から身を守るために海水を通さないドライスーツで挑む事もある。強いて言えば、メタルダイブとはそれに近い状況なのかもしれない。メタルダイバー達はその重装備をどんな深度においても使用する――その表現が適当なのだろう。
「メタルの海の成分たる不特定多数の意識やデータ類を、自意識に直に接触させてしまえば、深刻なトラブルの要因になり得る。それは人間だろうとAIだろうと、同様だ。メタルダイブとは、それだけの危険性を持つ行為なのだ」
 その説明に、ミナモは頷く。流石に今の台詞については、疑問はなかった。その手のトラブルを収拾するべく、事務所の波留は依頼を受けてメタルダイブを繰り返してきたのだ。
 そしてミナモは、その傍らにてバディを担っていた。その結果、彼女は時に危険なダイブを目の当たりにした。救出すべき相手の意識が危険な状態だったり、或いは波留自身が危険な状態に陥ったり――とにかく枚挙に事欠かない。
「グローブなどの末端箇所の防壁は、自らの意志でキャンセルが可能だ。セキュリティの観点からは誉められた行為ではないが、メタル内のデータをフィルタリング無しに取得せざるを得ない事態もあり得るからだ」
 或いはその権限を悪用して、グローブの防壁を解除し自意識にメタルの海のデータを解け込ませ、結果的に電理研等の監視の目を潜り抜けデータを掠め取るダイバーも居る。
 しかしAIは、それには触れなかった。現状の説明ではその枝葉に至る必要性を感じなかったからだ。
「言わば緊急避難の措置として、影響を極力抑える形でのやむを得ない防壁解除は認められている。メタルダイバーのアバターにおいて、その箇所は両手に当たると言う訳だ」
 その言葉に、ミナモは思わず自らの両手を持ち上げた。掌を胸の前で広げ、じっと見る。それこそ穴が空く程に真剣に視線を突き刺すが、そこにあるのは何の変哲もない自分の両手である。
 彼女は「AIさん」の「難しい解説」に何とか付いて来ていた。その義体は相変わらず自分の方を見てはいないが、自分に判らせるために語ってくれていると思った。
「一方、リアルの海では、海水による呼吸器閉塞は致命的な事態だ。人間が肺呼吸の生命体である以上、呼吸を阻まれその状態が継続したなら、最終的には溺死に至る」
 ミナモは両手を見ていたが、その台詞に顔を上げた。表情を引き締める。死の可能性を含めた強い言葉を使われ、思考をそちらに導かれたからだ。
 彼女は介助士を志している。そのために、一般的な15歳の少女よりも医療系の知識を持ち合わせていた。救命行為も、介助士の座学に含まれている。
 様々な要因により日常的な行動にも不自由を強いられがちな介助対象者は、何気ない行動の結果が危機をもたらす可能性もある。介助士はその可能性も視野に入れ、万が一に備えて訓練を積む一面も持ち合わせていた。
 呼吸困難からの救助及び救命も、そのひとつである。溺死や窒息の可能性は何も海に限らない。水やそれに類する液体は、生活空間に日常的に存在するのだから。
「そしてメタルの海では、前述の事情から、その海水を一滴たりとも口に含んではならない。口とは呼吸器であり、両手への海水の接触とは訳が違うからだ。その点においては、リアルの海よりも更に著しく厳しい世界と言えよう」
 ミナモは眉を寄せた。どうやらそこは、自分の世界の常識とは多少違っているのだと認識したからだ。
 リアルの海では、多少の海水を飲んでも危険はない。そこでパニックを起こしてしまい更に海水を飲み続け、それが気管に至れば溺れる要因となる。しかしそうでなければ、単に塩分過多な液体が胃に飲み込まれただけだ。
 しかし、メタルでは、その海水を一口飲んだ時点で、溺れるらしい。かなり論理を簡潔にした理解ではあるが、ミナモはそう考えた。両手で触るだけでも危険なのだから、飲んじゃったらそうなっても仕方ないのかな――彼女はそんな理解をした。
「そのために、メタルダイバー達のフルフェイスヘルメットタイプの防護バイザーは強固だ。頭部においては、メタルの海との完全なる隔絶がデフォルトであり、その解除機能は防御プログラムのメニューに存在しない」
 つまり、末端部分である両手のグローブは、防御プログラムの解除が可能とされている。しかしそれは影響を最小限に留める事が可能な箇所だからである。
 それと異なり、頭部の防御プログラムは解除機能すら存在しない。メタルダイバーのアバターが人間型を保っている以上、呼吸器を危険に晒しては致命的な事態に至るからだった。
 以上の説明に、ミナモは何とかついてきていた。メタルに疎いながらも、自分なりに理解して行っていた。そのAIの説明が丹念で事細かいのが彼女の助けとなっていた。
 傍らで、紅く大きなリボンが上下に揺れている。褐色の髪の少女が何度も頷いていた。自分の考えに納得したかのような動きだった。
 その頷きが何度か繰り返された頃、低い声が再びもたさらされた。一息ついた義体が、説明を再開していた。
「――波留はそのバイザーに、ハッキングプログラムを発動させた。自分で自分の防壁をクラックしたのだ」

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