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その時、メタルダイブ中の波留のアバターは、顔を上げていた。 ハッキングに意識を集中していたが、唐突に呼びかけられた気がしたからだった。しかし彼は、電通回線にミュートを掛けていた。外部からの声が聞こえる訳がない。 あり得ない現象に、波留は眉を寄せる。何かのノイズかと思った。思い直し、両手に視線を落とす。 そこにはたくさんのダイアログが表示されている。それらは攻撃目標への回線を表していた。その全てに彼はハッキングプログラムを仕掛けている。 しかし、状況は芳しくない。彼は目標を達成出来ていない。 困難を極める行為だとは、彼にも事前から判っていた。かなりの技量を誇るメタルダイバー達に対し、同時にハッキングを仕掛けるのだ。自分のリソースの限界にも挑戦する行為だった。 単独へのハッキングならば、彼にとってはさして問題はない。彼は初ダイブの際にすらそれを実行し、相手から必要なデータを抜き取り、その相手をメタルから叩き落としていた。果てには、攻撃対象の全ての記憶を抜き取ってしまった経験すらある。 全く褒められた行為ではない。電理研に発覚したなら通報必至の行為であるはずだった。しかし彼は前述のように、その一線を越えた経験が何度かある。その都度、電理研にお目溢しして貰っている立場だった。 ――それでは駄目だと諭された気がした。 不意に波留はそんな事を思う。 そっと両手を引いた。展開されているダイアログからハッキングプログラムを終了する。そして、瞼を閉じた。 無理に抉じ開けたら、バブルが壊れてしまう。 ――以前、自分で言ったはずのその言葉が脳裏に浮かぶ。なのに今はどうだ?――彼はそう自問する。 しかし、方法論としては間違ってはいないはずだった。 鮫型思考複合体の出現ポイントとおぼしき「蒼い炎」を認識可能なのは、自分とアユムしかいないと思われる。他のメタルダイバー達にはそれが不可能だ。 ならば、自分でやる他ない。だが、自分だけで全ての鮫を相手には出来ない。だから、他のメタルダイバーを自分の端末として利用すればいい。 だからと言って、彼らに無理を強いるハッキングでは駄目なようだ。彼らとはもっと自然に繋がる方法を見出さなくてはならない。 それこそ、海に解けるように。 ――そう言えば、僕は――ついこの前、そのような事態に陥ったのではなかったか? その時は、望まざる事態だったが――。 そこまで思考が至った時点で、波留はゆっくりと瞼を開いた。何かに気付いたような表情を見せる。口を開き何かを呟く素振りをしたが、そこから音声らしきものは漏れていない。 バイザーに映るいくつものダイアログが、彼の顔に反射している。彼は電脳を操作し、それらを全て閉じた。 そして新たに別のダイアログをポップアップする。そこには既に電通プログラムが立ち上がっていた。電通回線は確保されたままだったが、音声を絞りミュート状態にしていたために、今まで彼は全く聴いていない。 そのダイアログには、褐色の髪に紅いリボンを頭に鎮座させた少女の顔写真が添付されていた。 |