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それと同時期。同じ電理研内に存在する深海の一室にて、蒼井ミナモは息を飲んでいた。 立ち尽くす彼女の前にあるモニタの中では、青基調のメタルダイブスーツを纏ってメタルの海に居る青年が各種ダイアログに両手をかざしている。何枚ものダイアログを彼は同時に操作し、表示されている数値がめまぐるしく変化して行っていた。 ミナモにはそれを追いきれない。しかし別の画面に映し出された光景に、思わず目を奪われる。 それは、別のガイドバグが観測している動画データだった。ふたりのメタルダイバーがそこには居る。そのうちの小柄な人物はメタルの海に踏ん張るようにして銛を片手にしているのだが、大柄な人物は両手で頭を抱えて縮こまっている。バイザー越しに垣間見える顔は歪んでいた。 ミナモにとって、彼らは既知の人物だった。メタルダイブ時の彼らの姿も見知っていた。日頃から自分に良くしてくれている兄弟の顔が脳裏に浮かぶ。その彼らが、苦境に立っているのを目の当たりにしている。 「――波留さん!」 思わず大声が口をついて出てきた。しかし画面の中の人物は全く反応しない。それはもっともな話だった。未電脳化者であるミナモは携帯端末越しに呼び掛けなければ、メタルダイブ中のその人物には声は届く訳もないのだから。 彼女はその原則を思い出す。慌てて右手を上げ、手にしていた携帯端末を横顔に当てた。ショートカット機能を用いて電通回線を開く。そもそも先に遠回しに「話し掛けるな」と言われていた事も、意識から飛んでいた。 「波留さん!何してるんですか?」 叫び声を電通形式で飛ばしてみるが、反応はない。集中したいがために電通を遮断しているのかもしれなかった。画面内のその青年は、バイザーの向こうで無表情にダイアログを操作している。その表情をとても冷たいと、彼女は思った。 反応してくれない波留を前に、ミナモは縋るような目で傍らの義体に向き直る。勢い良い動きに、彼女の長い髪が揺らいだ。 「――AIさん!」 呼び掛けられたその義体は、ちらりと少女を見る。明らかに彼女の言葉は足りていないが、自らに説明を求められている空気は読み取ったらしい。 「――…どうやら波留真理は、今回の案件でメタルダイブしている全メタルダイバーにハッキングを仕掛けているようだな」 淡々とした声で久島の義体はそう説明していた。その言葉にミナモの両眼が見開かれる。驚きの表情を浮かべた。 「そんな、どうして」 少女は戸惑い慌て、断続的に言葉を漏らした。彼女は未電脳化者であるが故に、メタルダイブの知識は殆ど持ち合わせていない。波留のバディとして登録されているとは言え、その方面は専門外だった。 そんな彼女にも「ハッキング」とはあまり良くないものだと把握出来ていた。それは歴然とした違法行為であるはずで、そんな事を不用意にやっていい訳がないと思った。しかも、彼の仲間であるはずの電理研委託ダイバー達――それも、公私共に親しい間柄であるはずのフジワラ兄弟すらも対象に含んでいるのだ。 頭ひとつ背が低いミナモを、久島の義体は見下ろす。最早彼に、先程の動揺の影は一切ない。腰のポケットに両手を入れた立ち姿で少女に説明してゆく。 「鮫型思考複合体の出現ポイントとして彼が訴えている蒼い炎を認識出来るのは、彼を含めてごく一握りのメタルダイバーだ。ならば自分で全てを実行しようと考えたのだろう」 「どういう事ですか?」 「鮫型思考複合体に接敵している全メタルダイバーを自らの手足として扱う。そのために、波留は該当ダイバー全員にハッキングを仕掛けていると思われる」 その説明に、ミナモは息を飲んだ。本当に、波留はやってはいけない行為をやってしまっているらしいと把握した。 そしてその行為の説明を、このAIは普段通りの冷静な口調で続けている。波留に対して非難めいた言動を取る事もない。 「そんな事、本当に出来るんですか?」 「さあな」 さらりとした言葉が返ってきた。その声に、思わずミナモは肩を竦める。戸惑いの表情を浮かべ、義体を改めて見る。 「理論的には馬鹿げていると評する他ない。短絡的な手段とも言えるだろう。しかし、他に選択出来る手段がないのならば、実行するだけの価値はあるのかもしれない。失敗しようが、彼自身にはダメージはないのだから」 「…波留さん自身には?」 少女はAIのその言葉を繰り返した。――それって、ちょっと厭な言い回しだ。ミナモはそう直感した。このAIさんがそんな言葉を使ってくるのだから、きっと別に駄目な事があるんだ――。 「ハッキングを仕掛けられた側の安全は保障出来かねるな。彼らは回線をこじ開けられ、防壁を解除させられるのだから」 果たして続いた義体のそれは、事も無げな口調だった。しかしその内容は苛烈である。 「――そんな事、やっていい訳ないじゃないですか!」 瞬間、ミナモは声を荒げた。眼前の義体に当たっても何にもならないとは彼女も判っていた。しかし説明してくれた義体に、ついつい苛立ちをぶつけてしまっていた。 つまり、波留は他のメタルダイバーを自分のいいように使おうとしている。その手段の中で他者に無理を強いつつも、自分には大したダメージはない。 酷いやり口だと思った。波留真理と言う人物はそんな人間だったろうかと、少女は愕然とした。 ミナモの脳裏に、メディカルセンター廊下での想い出が回想される。その時、波留はとてつもない冷たい表情で、自分を見ていた。この身が凍り付くのではないかと思った程だった。 あの時は、彼は「久島さん」のためなら全てが吹き飛んでしまうのかと思ったものだった。波留さんにとっては、彼はそれ程までに大切な存在なのだと痛感した。 しかし、今もそうなのだろうか? 或いは、ずっとこのままなのだろうか? あの時――あの事件で、波留さんの中の何かが変わってしまったのだろうか? ミナモは、それは厭だと思った。それを信じたくなかった。 ついこないだ。深夜の空港で、波留さんは私に照れ臭そうに謝ってくれた。私の方が酷い事をしていたのに。この前のデートの時だって、楽しそうに付き合ってくれたのに。 両手を握り締める。右手の携帯端末の堅い感触が掌に伝わってくる。眼前のモニタを凝視した。歯を喰い縛り、そこに映し出されている冷静に過ぎる青年の姿を瞳に焼き付けた。 「――波留さん!」 ミナモの口から叫びが漏れた。少女の顔は歪んでいる。携帯端末の感触が、手に痛い。指先が冷たい心地がする。それでも彼女は、映像の彼に向かって声を荒げていた。その呼び掛けは理論上相手に届く訳がないとは、すっかり頭から抜けていた。 「それじゃ――絶対、駄目だよ!」 深海のプライベートルームの静寂を、少女の声が切り裂いてゆく。 |