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会話が途切れ、久島のプライベートルームには沈黙が下りる。深海に存在する部屋のため、ガラス状の壁の向こうには暗闇しか見えない。 ミナモはその暗闇に全ての音が吸収されているような心地を覚えた。携帯端末を握りしめたまま、ふと隣に視線を向ける。 そこには壮年の男が立っていた。彼はミナモより頭ひとつ分背が高いため、少女は自然に見上げてしまう。きちんとしつらえたスーツに背筋を伸ばし、投影映像を眺めている姿がそこにあった。ミナモが見上げるその横顔に表情は浮かんでいない。 「AIさん」 その彼にミナモは声を掛けた。しかし反応はない。彼は正面を見据えるばかりだった。 「…AIさんは、行かないんですか?」 問われた彼は、ミナモの方へと眼球のみを動かした。見定めるような視線を向ける。しかし何も言葉を発しない。 「ソウタの所にです」 無遠慮な視線に、目的語を廃していた事に気付いたミナモは、それを付け加えた。そして答えを待つ。 「私はこの部屋を出てはならない立場だ」 久島の義体の口からは、にべもない言葉が発せられた。それに、ミナモは携帯端末を握り締めた。その手を胸元に持ってくる。表情を浮かべない義体の顔を見上げ、訴えた。 「なら、せめて電通で何か教えてあげられないんですか?」 「現時点では波留真理は打開策を見出してはいない。だから、私から統括部長代理に向けて提供する情報はない」 AIが語ったのは、自らを律するような言葉だった。あくまでも人間たる波留の要請がなければ、自分から何かを語るつもりはない。ましてや、何の打開策も得られていない現状では、現場に不用意に訴えても混乱をもたらすだけだ――彼はそう言いたげだった。 確かに先にこのAIは統括部長代理たるソウタに観測ログを提出して、今回の案件への動きを促している。しかしそれはあくまでも波留からの要請の賜物だった。その指示を受けていない現状では、彼自身で動くつもりは全くなかった。 人間を動かすのはあくまでも人間である。AIやアンドロイドはその補助に過ぎず、介入などしてはならない――彼の電脳は無意識のうちにそう指示を出している。 それは自重なのかそれとも実装されているマインドコントロールの一種なのか、彼自身には区別がつかない。そもそも彼にはどちらでも良かった。 そんな彼の隣では、女子中学生が唸っている。彼女は口許を歪め、何かを言いたそうにしていた。しかし、それを上手く言語化出来ないらしい。しばし無明瞭な声を漏らすに任せる。 「…でも、AIさんには久島さんの知識があるんでしょ?」 結果、ミナモはそんな台詞を絞り出していた。 ――波留さんはきっと、久島さんなら何とか出来ると思ったんだ。でも、久島さんはもう居ない。なら、久島さんから知識を受け継いでるこのAIさんが、助けてくれるんじゃないだろうか――?彼女の思考はその地点に辿り着いていた。 久島永一朗の容貌をも受け継いでいるその彼は、ミナモの縋るような視線を一瞥する。紫色の義眼が冷たい光を帯びていた。その唇が動き、淡々とした声を漏らした。 「――確かに私は、久島永一朗から知識を継承している」 その言葉に、ミナモは反射的に喜色を浮かべた。両手を胸の前に持ち上げ、拳を作る。 そこに、冷静な声が突き付けられた。 「だが、それだけだ」 低い声で紡がれた声が静かな室内に響き渡る。そのきっぱりとした台詞を受けたミナモの笑顔が凍った。そんな彼女に、久島の義体は冷たい視線を送る。突き放すような態度だった。 「与えられた知識と、現状を打破する閃きとは、似て非なるものだ。インストールされているプログラム通りに起動するのみである我々AIは、閃きなど持ち得ない。君達人間とは異なる存在なのだ」 抑揚なく語る義体の瞳には昏い光が宿っている。明らかに人間のそれではない表情だった。 彼の横顔を見つめるミナモは、その瞳の色を目の当たりにしていた。ミナモは顔を歪め、首を横に振る。AIさんはやっぱり人です――事ある毎にそう告げ続けていた彼女にとって、認めたくない現実がそこにあった。 ――何でいつもいつもそんな事を言うんだろう。この、頭が固い判らず屋。 少女の心中には、そんな罵倒めいた言葉が沸いてくる。拳に力が入る。頬が紅潮してきた。内心の激昂が、徐々に表に出て来てしまう。未熟な少女には抑え切るにも限界があった。 「――本当に、それでいいの!?」 ミナモは遂に鋭い声を発していた。顔を歪め、悔しそうな視線をそのAIに向けていた。 そんな彼女を、そのAIはちらりと見た。彼の義眼には、僅かに興味を惹かれたような色を浮かんでいた。 少女の荒げた声はすぐに深海の静けさに吸い込まれてゆく。佇む義体は、それ以上の動きを見せない。 |