波留の眼前の電通ダイアログに、彼の親友だった人物の2次元画像が表示される。程無くして耳馴染みの声が彼の聴覚に認識された。
 ――観測は順調か?波留真理。
 しかしその口調は明らかに「親友」とは異なっている。「彼」は現世に出現して既に4ヶ月を数えその間には人間とも接触を繰り返しているせいか、起動当初よりは流暢に喋るようにはなっている。それでも口調からは感情らしきものは全く現れては来なかった。少なくとも波留はそう認識している。
 ――ええ、あなたの御協力に感謝します。
 それでも波留は、まず感謝の台詞を口にした。このAIは、何の権限を持たない人間がメタルを広範囲に監視すると言う、あまり褒められたものではない行為の片棒を担いでくれているのだ。それを思えば、感謝の言葉に偽りはなかった。
 そんな彼の意識に、飛び込んできた声があった。
 ――波留さん、大丈夫?
 それは、波留自身には全く予想外の声だった。思わず唇を半ばまで開く。目を見開き、呆けた表情を浮かべた。
 しかし、すぐに気を取り直す。彼は耳元に手を当て、その声に呼び掛けた。その声とは直接に電通回線が開いている訳ではないので、AIとの電通にそのまま乗せた。
 ――…ミナモさん?あなたがどうしていらっしゃるのですか?
 ――私、久島さんの部屋に来てたんです。そしたら波留さんから連絡があって、そのまま居座っちゃってます。
 波留の問い掛けに、少女の声が返ってきた。その声に、思わず彼は常時表示していない情報に意識を向ける。電脳ではデフォルトで把握可能な一般データ――現在の時刻を参照した。
 それを把握した波留は、深い溜息をついた。その気持ちをそのままに、電通を飛ばす。
 ――…もう夜も更けていますよ?
 彼は思わず、窘めるような口調になってしまう。時刻は既に日が代わる頃を指している。健全な女子中学生が出歩いていて良い時間帯ではないだろう――彼はそう思ったのだった。
 ――もう遅くなっちゃったので…外に出なければ大丈夫です。
 波留にはあっけらかんとした声が届く。それに波留は目を瞬かせた。どうやらこの少女自身はあまり重大事とは考えていない様子だった。
 となると、攻めても無駄である。彼は矛先を変えた。本来の電通相手に話を向ける。本来ならば「彼」が「保護者役」を買って出なければならないはずだったのだ。
 ――…あなたもあなたと言うか…一体何をお考えですか?
 どうやら状況から鑑みるに「彼」はその部屋のモノリスなどを利用して波留のダイブやそれらのデータを映像化している。そうやって、未電脳化者であるミナモにも現状が理解出来るようにしているのだろう。
 そこまで環境を整えて、ミナモを残らせている。その行動原理とは一体何なのだろうと、波留は疑念を抱いた。
 ――彼女の言う通りだ。
 波留からの呆れ口調の問い掛けにも怯まず、AIの声は淡々と答えを寄越す。当然と言わんばかりの態度だった。
 ――確かにこの時間帯に女子中学生を外出させては好ましくはないが、朝までここに泊まっていけばいい。このプライベートルームには寝室も完備されているし、それを私は使用しないからな。彼女に使用させても何ら問題はない。むしろ有効利用と言えよう。
 AIの言動は理路整然としていた。少なくとも彼の中では完結しているし、これを危機管理の一種と考えれば間違ってはいない論理だった。
 ――しかしですね…。
 とは言え、波留はこの事態とAIの論理に引っかかりを覚え続けている。そもそもこんな夜遅くになる前に帰宅させておくべきだろうに――彼はそう思えて仕方がないのだ。まさか、この弁えた少女が夜になってから電理研を訪れる訳もなかろうに――。
 波留が首を捻っている最中、断言する声が響いた。
 ――それに、彼女にはここに残る明確な理由がある。
 ――…え?
 その声に、波留の思考は立ち止まる。一体何を言っているのだろうと思った。そんな黒髪の青年に、AIはやはり淡々と告げた。
 ――彼女は、君のバディだろう?
 当然のような事として、彼は言った。対する波留は、それに初めて気付かされたような表情を浮かべていた。その彼に、抑揚なく言葉が続く。
 ――蒼井ミナモには、君の仕事を見守る義務と権利がある。現場に居合わせた以上、それらは行使されて然るべきだ。
 蒼井ミナモは、波留真理のバディとして電理研に登録されている。
 その登録は4月半ばに行われている。しかしそれは波留真理の事務所を開設する際の登録情報であり、その事務所は7月中には閉鎖された。その後の紆余曲折を経ても波留は事務所を持たないまま電理研の仕事を受け、一方でミナモは中学3年生としての日々を過ごしてきている。あまり接点を持たない日々がそこにはあった。
 しかし、彼らの登録は解消されていない。それは書類上の問題である。実質的には最早ふたりでの活動は殆どなくなっているのだが、登録情報を管理している電理研は敢えて登録情報を変更してはいなかったのだ。登録とはれっきとした契約行為であり、当事者達の申し出がなければ変更は出来ない。
 どうやらこのAIは、未成年者の常識よりもその契約を重んじたらしい。確かにそれもひとつの考え方だった。そのふたつを天秤に掛けた結果、未成年の少女を深夜に外に出さず身の安全を確保する方向で、それを実行したのだ。
 ――あの、波留さん。
 そこに、躊躇いがちにミナモの声が割り込んできた。話題に挙げられていた少女もこのやり取りを聴いていたらしい。自分の存在が揉め事に発展してゆくのを目の当たりにして居たたまれなくなっていた。
 ――私…御迷惑ですか?
 その声に、波留は沈黙した。少女のその空気を感じ取り、思わず反省したくなる。
 確かに、ミナモへの心配の気持ちから色々と咎めたつもりだったのだが、結局は「バディ」の事実をすっかり忘れていたからこそそんな事を言ってしまっていたのだろう。何故そんな、大切な事を忘れてしまっていたのだろう――。
 ――…いえ、僕こそ御迷惑をお掛けしました。
 彼は呟くように言う。そして口許に笑みを閃かせた。
 ――あなたは僕に閃きを与えてくれる、大切なバディです。僕のダイブを御覧になって何かお気付きな点がありましたら、遠慮なく御指摘下さい。
 ――はい!
 ミナモは携帯端末を耳元に当てたまま、元気な声を挙げていた。そんな彼女に、隣に立つ壮年の男がちらりと視線をやった。しかしすぐに興味を失ったように、正面へと視線を戻す。
 彼らふたりの眼前には、青基調のメタルダイブスーツを纏った青年がメタルの海に漂う映像が投影されている。
 その周辺に存在するのは、リアルの物体である調度類である。何の変哲もない応接テーブルや革張りソファーの上部に、大きな映像が浮かんでいた。
 その向こうには黒いモノリス状のデスクが存在している。これを巨大な端末として、メタル内の膨大な情報を処理していた。モノリスのサイズはその容量と処理速度に比例する。そしてここまで巨大なモノリスを所有する人間など、人工島には数える程しか存在しない。

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