――…深海から出現?
 その時、波留真理は心中でそう呟いていた。
 彼の眼前にはいくつものダイアログが開かれており、それぞれに数値が更新され続けている。彼はメタルの海に漂いつつ、バイザーに透過される様々なデータを静かに見ていた。
 耳を澄ませれば、彼の聴覚にもフジワラ兄弟の声が感じ取れる。それに拠れば、兄のアユムは「蒼い炎」を目撃したらしい。しかしそれは弟のユージンには認識出来ていないようだ――波留はそれらの情報を全て把握する。
 波留はメタルの各所の情報を傍受するための機構を独自に構築していた。無論、一般常識としてあまり褒められた話ではないし、電理研に発覚しては多大な問題になりかねない行為だった。ハッカーとしてネットワークの各所に独自の枝を付けている状態なのだから。
 以前から、彼は個人的にメタル内に観測ガイドバグを配置してはいた。しかし彼独りが準備出来るリソースには限界がある。今回の案件のようにメタルの広範囲を監視しなければならない事態には対応出来ない。
 そこで、波留は今回に限って助力を得ている。機構上メタルを常時監視可能な存在――久島永一朗の記憶と知識を受け継いだそのAIのネットワークに、彼は相乗りさせて貰っていた。
 そうやって彼は、現在この案件に携わっている全てのメタルダイバーの観測ログとその電通記録を手中に収めている。案件に関わる事なく、全ての情報を入手し精査する事を可能としていた。
 波留は先程のフジワラ兄弟のやり取りの他にも、各所のバディ達のログも閲覧してゆく。それに拠ると、他の箇所でも一部には鮫型思考複合体が新たに出現していた。
 観測ログを整理するに、新たな鮫が出現した瞬間にメタルに僅かな揺れが観測される。おそらくは外部から何らかのアクセスが発生した結果、ゲートが開放されたからと思われた。
 特筆すべきは、アユムがメタルの深海にて「蒼い炎」を目撃した件だった。
 「メタルの深層に蒼い炎を目撃したメタルダイバーが存在する」――それは久島部長健在時から電理研に上がっていた報告だった。そして蒼い炎が出現した時点で、メタルには何らかの異変が発生するとも言われていた。
 電通ログを参照するに、アユム以外のメタルダイバーは「蒼い炎」を見ていない。海中からいきなり鮫が出現したように、視覚情報として得ている。
 以前の情報と総合するに、おそらくその「蒼い炎」を目撃し認識するには、かなり高度な技量が必要なのだろう。何だかんだ言いつつもアユムが認めているユージンですらそれを認識出来ていないのだから、相当なものだと思われた。
 波留自身は、幾度となく「蒼い炎」を目撃している。メタルの海のみならず、リアルの深海でもそれを見た経験があった。
 むしろ、メタルの海での目撃経験の方が少ない覚えがある。しかし今回はそのメタルでの目撃経験の方を重要視すべきだと考えた。彼はそれを思い返してみる。
 ――あの時は確か…久島に依頼されて、実験的に閉じたメタルの観測を…。
 思い返しつつも、バイザーの奥で波留はゆっくりと瞼を開いてゆく。その瞳には驚きの色が垣間見えた。
 あのメタルダイブの際に彼が見たものは、思考複合体としてメタルに定着した珊瑚に絡みついたオニヒトデのような存在だった。
 それは珊瑚からデータを吸収して抜き取り、やがては深海へと沈んで行ったはずだった。彼はそのオニヒトデを追走出来なかったため、その行く末までは把握していない。何故ならあの直後にメタルは切断停止させられ、波留も強制ログアウトさせられたからだ。
 あの時のメタルの停止とサブトランスによる再起動は、人為的なメインサーバケーブル切断によるものである。しかしそれに至る前に、確かにメタルは致命的な損傷を受けつつあった。
 当時の電理研管理部技術課課長の手によって非常時用の斧を振り下ろされていなければ、直後の再起動すらおぼつかなかったかもしれない。あの「英雄」が居なかったならば、そんな危険すら孕んだ事態だった。
 波留は、その事態を今になって思い起こしていた。
 明らかにあのオニヒトデと今回の鮫は似通っていた。出現とその目的、そして撤収の挙動と言い――全ての情報を得てはいないために確証は持てない。しかし、推測段階では同様の脅威として認識しても良いのではないかと考えるに至る。
 彼は目を細め、新たなダイアログをバイザーに映す。それは電通プログラムである。彼はその画面内ですぐに相手を選択し、実行した。

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