この案件はかなりの危険を前提としたメタルダイブのため、電理研側も対策を立てて来ていた。
 10数人のメタルダイバー達にはそれぞれにガイドバグが随伴していた。彼らはふたりずつに分けられたバディシステムを組み、鮫型思考複合体を捕捉するプログラムをインストールされたガイドバグに導かれてゆく。そして該当思考複合体が発見された時点でダイバー達にその情報が送られ、彼らは距離を取ってその観測に当たる事になる。
 高い攻撃力を有すると推測されるその鮫に対しては、攻撃プログラムも実装しておく必要がある。電理研はそのプログラムを用意し、ダイバー達に付与していた。
 後はダイバー達がそれらを上手く活用する事を期待するだけである。この案件に召集が掛けられた時点で、彼らの技量の高さは保証されている。突発的な事態にも焦らず正確に対応し、自らの身の安全を守れるだけのレベルのメタルダイバーしか、この依頼には関わっていないはずだった。
 鮫型思考複合体の出現ポイントは、これまでのログから予測されている。もっとも複数体出現する事が判った以上、今後は予測ポイントから外れる可能性も考えられた。
 しかし、メタルダイバー達がダイブして然程時間を要せず、彼らはその鮫型思考複合体を発見するに至った。やはり複数のポイントで出現してはいるが、それらの思考複合体はかなりの深度を取っている。仮に戦闘状態になっても、一般領域に影響を与える可能性は考慮せずとも良さそうだった。
 アユムとユージンは、ふたりでバディを組んでいる。それが彼らの常である。そもそも彼らは苗字が示す通りに兄弟なのだから、敢えて分かれる必然性がない。
 そんな彼らの眼前にも、鮫型思考複合体が出現していた。相変わらず巨大なホオジロザメのアバターを取っているその存在は、その大きなヒレをゆったりと揺らしつつ深海を回遊している。
 切れ目のような半開きの口元からは大きく鋭い牙がいくつも覗いている。そこに海水に混ざって漂うジャンクデータが触れると、淡い光芒を発して消失した。明らかに、プログラムに接触して破壊された状態である。
 兄弟と鮫の間には、小さな熱帯魚らしきアバターを取るガイドバグが泳いでいる。ちかちかと目を光らせて、鮫の情報を観測していた。彼らはその様子を遠巻きにしていた。
 メタルダイブスーツに全身を覆い、頭部はフルフェイスヘルメットで覆われている兄弟は、顔を見合わせて頷き合った。電通すら交わす事はない。彼らは視線を合わせて何らかの意思疎通を行った。
 そしてまず兄が海水を蹴る。両手を前方に突き出し、海水を掻いた。ゆっくりと泳いでゆき、弟がそれに続く。漂うガイドバグに接近した。その向こうでは、鮫が尾びれを打ち振るって更なる深海を目指している。
 鮫の尾びれで海水を掻き回され、バブルが発生する。空気の泡がアユムのバイザーに当たり、視界を覆った。彼はそれを右手で払う。両足を細かく動かして慎重に泳ぎを進め、鮫との微妙な距離を取った。
 纏わりついた泡が、潜る事で彼の視界から分かれてゆく。視界の向こうには鮫の灰色の巨体が揺らいでいた。
 不意に、アユムは目を細めた。何か見え辛いものが視界の隅にちらついた気がした。彼はそれを目視しようと試みる。
 ――…あ?
 彼は思わず口を開く。怪訝そうな声がそこから漏れた。
 鮫が潜航してゆくその向こう、遥かな深度の海中に、彼はぼんやりとした光めいたものを目撃した。
 その光は蒼く染まっていた。そしてまるで炎のように揺らめいて見えた。
 ――兄さん、どうかした?
 兄の声を聴き付けたのか、弟は怪訝そうに訊く。そんな弟に、兄は深海を指差した。
 ――あそこに蒼い光…いや、炎か?深海なのに、何だありゃ。
 ――え?
 どうやらアユムは、視界の向こうに消えつつある鮫型思考複合体の事から意識が離れつつある。そんな兄を横目にしつつ、ユージンは兄が指す方を見た。その間もこの弟は深海を回遊してゆく鮫から注意を外さず、またそれを観測しているガイドバグのログをダイアログ形式でバイザーの隅に表示して常時監視しておく。
 ――…僕には何も見えないよ?兄さん…エアとか大丈夫?
 ――はあ?何言ってんだお前。
 半分は呆れ残りの半分は気遣うような弟からの答えに、アユムは首を傾げる。彼は彼で弟に対して呆気に取られるような声を出した。
 しかし当の弟にしてみたら、そんな言動を取りたいのは自分の方だった。自分には蒼い光だか炎だかなど全く見えないのだ。
 だとしたら、ここはメタルの海であり、かなりの深度の区画である。高い思考圧やエアの減少、その他メタルの海水が含む不特定多数の意識が兄に何らかの影響を及ぼしているのではないか?それは危険な兆候だと疑うのが筋だった。特にこの兄はその辺に無頓着な事があるのだから――とは、ユージンの内心のぼやきである。
 ユージンは眼球を動かし、バイザーの隅に表示しているダイアログを見やる。そこに流れている文字列を電脳に読み込んだ。ガイドバグが観測し続けている周辺のメタルのログがそこにある。
 ログでは、回遊する鮫型思考複合体はデータとして観測されている。しかしそれ以外に異変らしきものは全く存在しない。この深度としては通常の形式のログがそこに羅列されていた。深海の向こうに何らかの光情報――兄の弁を信じるとすれば、それに該当するメタルのログが観測されて然るべきである。しかし、ガイドバグはそのようなデータを一切観測していなかった。
 不意に、彼らに先行していたガイドバグが、目視出来る程に振動する。次いでその揺れは、背後の兄弟の肌にも伝わってきた。メタルの海が波動を伝播してきた。まるでふたりのダイバーを押し返そうとするような流れだった。
 反射的に、ふたりは顔の前で両腕をクロスする。海中に踏ん張るように身体を硬直させた。流れに逆らい、その場に居座ろうと試みる。
 メタルの海とはリアルの海を模している。しかし、あくまでもここは意識の世界である。いくら綿密な環境モジュールが存在しようが、強固な意識の力に拠り、そこに模倣されているはずの物理法則を凌駕する事態も存在した。現在の彼らの抵抗がそれである。
 彼らの視界で無数の泡が弾け飛ぶ。強い潮流に抵抗する彼らは、その向こうの視界を確保しようとしていた。同時に観測ログからも意識を外さない。自らの感覚と観測ログとの双方から異変を見逃さないようにした。
 瞬間、ログが高らかにアラート音を上げた。
 それと同時に、彼らの視線の先からぼんやりと徐々に何かが姿を現してくる。深海の暗闇に紛れ、灰色の巨体が揺らぎつつも垣間見えて来ていた。その先端がぱっくりと割れて開き、無数の鋭い歯が並ぶ様を見せつける。巨体に似合わないつぶらな瞳が赤く輝いた。
 先程まで潜航していた1体の鮫型思考複合体は、ある程度の深度に留まり漂っている。その上部を、新たに出現した鮫が尾びれを翻して浮き上がってきた。
 フジワラ兄弟に襲い掛かろうとしているのか、それとも彼らはあくまで通過点に存在するだけなのか。ともかく鮫型思考複合体が彼らに向かって勢い良く泳いでくる。
 ――おいおい、あの炎だか光だかが、鮫のゲートなのかよ!
 ――いや、だから、僕にはそんなの見えてないんだけど…。
 兄が慌てて鮫を指差し叫びの電通を飛ばす様に、弟は冷静にぼやいてみせる。実際にこの兄と弟が視覚情報として認識している世界は微妙に異なっていた。
 しかし、鮫が浮き上がってくる光景については、彼らは同一視している。更には新たな鮫が出現した瞬間、メタルのログに異常が発生した事も客観的な事実として観測可能だった。
 それらを理解している兄弟は無言のうちに、示し合わせたように右手を掲げる。瞬時にその手に光が走った。彼らのバイザーにはプログラム発動メッセージが表示される。
 彼らの右手には光を帯びた銛が握られていた。それは、電理研から貸与された攻撃プログラムである。今回の案件のために準備された、鮫型思考複合体への攻撃に特化させた代物だった。
 迫り来る鮫に怯む様子は全く見せない。彼らは各々右腕を振り上げた。バイザー越しに狙いを定める。ここはメタルの海であり、意思が全てを支配する世界である。獰猛な鮫も結局はアバターであり、構える銛も海洋モジュールに適合させた攻撃プログラムだった。
 潮流に逆らう事無く鮫が上層部へと勢いよく泳いでくる。そこに弟に先行して待機していたアユムの銛の先端が、鮫の眉間にめり込んだ。
 眉間とは生物の急所として共通の部位である。それは海洋モジュール内のアバターでも然程変わらない。或いは先の案件にて退治された鮫型思考複合体も、そこを攻撃されて終わっている。
 今回も同様だった。アユムの銛の一撃を受けた鮫は、瞬時に眩い光を放ち、弾けた。周辺のメタルに光が走り、至近距離でその光を目の当たりにしたアユム達は、自動的にバイザーで光量を調節する羽目になった。
 攻撃を受けた鮫はもがき抵抗する暇もなく、光の粒子となり果てて巨体は四散した。その後にはいくつかの光球が遺され、海に漂う。

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