深海の久島のプライベートルームでは、天井から室内灯が生活光を降り注いでいる。室内に居るふたりを頭上から照らし出していた。それらの暖かな光は、相応の豪華さを持つ調度類にも明るさを見出させている。
 黒色のモノリスに押しつけられている久島の義体の右手が僅かに動いた。表面を撫でるようにずらされる。リアルの彼は相変わらず無表情だった。電通においても淡々とした声を発してゆく。
 ――これまでの観測例では、あくまで出現は1体のみだったはずだ。それが今回は一度に複数出現したと、君の観測ログは示しているのか。
 ――そうなんです。
 明快な回答を受けつつ、AIの眼前のダイアログは展開されてゆく。彼の手持ちのメタルログの更に詳細を表示していった。大量の文字列が一気に彼の視界に流れてゆく。それを眺めた後に、彼は結論を発した。
 ――…確かに、私の観測ログでも、これまでの出現ログに類似した値が点在している。
 波留のガイドバグによる観測と、このAIが監視してきたメタルログの双方が、同じ現象を示している。これらのログは、彼らが同じ異変を察知したと解釈するに足りていた。つまり、本当に鮫型思考複合体が一度に複数体出現したのだ。
 ――今回、僕があなたにお訊きしたいのは、メタルの表層にも影響が表れているかどうかです。
 ――それは問題ない。かなりの深度での出現だ。一般人が利用する深度への波及は見られないはずだ。
 ――それならば、いいのですが…。
 AIからの即答に、波留は口篭もる。安堵らしき台詞には逆説がついてくるようで、それは彼の内心が必ずしも安堵していない事を明確に表していた。
 ――だが、それも今回に限定される。
 波留の内心の危惧を、対話相手のAIはすぐに指摘する。彼の中でも波留が抱いた考えは共有されていたらしい。それを明確に論理立てて言葉にして行った。
 ――仮に今後もあの鮫型思考複合体が連続的に複数体発生するのならば、確率論として表層への影響の波及も考えねばなるまい。
 これまでの鮫型思考複合体の出現地点は、かなりの深度だった。そのために一般人が通常利用するメタル表層からは直接アクセス出来ない機構になっていた。深度毎に区切られたフィルタで隔絶されているからである。
 だから表面上、メタルに深刻な影響をもたらしてはいない。せいぜいその深度で作業を行うメタルダイバーが攻撃される被害に留まっていた。もっとも、人間が被害を被っている時点で既に「甚大な被害」ではあり、そのために調査なり破壊なりの依頼を電理研が掲げている訳ではある。
 しかし、物事に絶対はない。今まで単独発生だった鮫型思考複合体が、今回は複数出現したのである。これまでのログから一転した現象だった。
 そうなると、今までの履歴は今後全く当てにならないとも仮定出来る。
 仮に一般人利用区画にこの鮫が出現したなら、一体どうなるのか。一般人が利用するメタルのデータを喰らわれ、破壊されるのだろうか。
 最悪の場合、何の落ち度もなかったはずの一般人がブレインダウンさせられる可能性すら考慮しなければならなくなるかもしれない。そうなれば、鉄壁のセキュリティが長年の売りとなっているはずのメタルの評判は地に堕ちる事となるだろう。
 ――あなたにお願いしたい事があります。
 電通で送られてきた波留の言葉には、改まった響きがあった。リアルやアバターで会話していたならば、おそらくは姿勢を正していた事だろう。声色からもそんな想像は付く。
 ――…何だ?
 その波留の態度に、AIは短く問う。AIとして、人間たる相手からの要求の提示を待った。
 ――ソウタ君に――電理研統括部長代理に、あなたの該当観測ログを提出して下さい。
 波留はそう告げてきた。一旦口に出した人名を明確な肩書きに言い換え、AIへと申し送る。そしてその要求の後、説明を加えた。
 ――あなたはメタルを常々監視しているのだから、電理研には特に問題にはされないでしょう。
 つまりは観測ログを新たに提示する事により、電理研の調査に貢献せよと言う事か――AIは波留の申し出をそう解釈した。
 その申し出は理に適っていると彼は思う。分散している情報を統合するのは有益であり、今回統合するべき地点とは公式に「鮫型思考複合体の調査」に当たっている電理研なのだ。この情報を自分達の手元に留めていても、何ら事態は変化しない。
 しかし、いくら重要な情報とは言え、波留自身の観測ログを送信する事は出来ない。何故なら波留は勝手に観測しているだけなのだから。その観測は電理研に無断で行われており、そこには多少法に触れる行為をも含んでいる。
 そんな観測を敢行しているだけでも電理研に喧嘩を売るに充分だと言うのに、現状の波留は部長代理直々に「遠慮してくれ」と申し送られている立場なのだ。そんな彼が臆面なく観測データを送りつけても、誰の得にもならない――波留自身は勿論、受け取る側のソウタにも迷惑が掛かる事になるだろう。
 だから波留は、類似したログを保持しているはずのこのAIに即座に連絡を取り、その事実を確認したかったのだろう。AI自身、そう認識する。そしてその波留の選択こそが、最善だとも思った。
 ――了解した。私から部長代理にログを送信しておこう。
 思惟に浸った末、そのAIはそう返答した。そしてその言葉を電通で送り終わらないうちに、彼は手持ちのメタル監視ログのコピーを取ってゆく。該当部分を切り分ける。部長代理に提出すべく、手を加え始めた。彼は意識のリソースを電通ではなく、その作業へと振り分ける。
 そこに、慌てたような声が投げ掛けられてきた。
 ――申し訳ありません。あなたへの僕からのお願いはそれだけではないのです。
 その声に、AIは実行しようとしていたその行為を押し留められる。ダイアログ内の作業が静止した。人間に奉仕する存在たるAIの常として、人間からの新たな指示を待つ。
 そして波留は再び改まった声を発した。誤解を招かないように明確な言葉を用いて、自身の要求を突き付けた。
 ――部長代理に、電理研委託メタルダイバーの召集要請を、僕の名前を出さず、あなた自身が出して下さい。

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