久島永一朗の知識と記憶を受け継いだそのAIは、腕の中にあるバイオリンに思いを馳せている。彼は自らの内心を整理し、理論的説明を加えようと試みていた。そして彼の眼前の少女は正に、その行為を「建前探し」と表現したのだろう。
 そのAIの視界には、ケースの盤面の褐色とモノリスの黒色がちらついている。それぞれが異なる反射率で彼の顔を映していた。
 やがて彼は思惟から現実へと帰還する。俯いていた顔をすっと上げた。視線をミナモへと向ける。考えが纏まったのか、彼は唇を僅かに開いた。
 その瞬間だった。
 彼は不意に両目を瞬かせた。一瞬、身体が硬直する。手に力が入ったのか、バイオリンケースに掛けた指が曲げられる。
 その変化は、傍らのミナモにも見て取れた。外見上にも良く現れていたからである。
「――AIさん、どうかしましたか?」
 少女の怪訝そうな声は至近距離からのものであり、彼に届いているはずである。しかし彼はそれに反応を見せなかった。
 彼は沈黙を保ち、右手をゆっくりとバイオリンケースから外す。ケースは左手とモノリスの盤面に預けられ、取り落とすような事にはならない。
 そのままその右手を開いたまま、掌をゆっくりとモノリスの盤面に押しつける。途端、彼が触れた箇所が六角形に切り取られた光を発する。それはメタルへの接続を表していた。
 久島の義体は一切ミナモに答えない。光の枠線を顔に当てつつ、眉を寄せた。AIには情報を読み込みつつ、紫の義眼に光が走る。
 そして彼の不可視の視界には、ダイアログがポップアップしてきた。彼の電脳が電通を受信したのだ。そこに表示された人名を一瞥し、彼は接続許可を発する。
 すぐに回線は開かれる。その時点で彼は相手側の電通を待たず、呼び掛けた。事態は急を要する可能性が高いと判断したからである。
 ――波留真理。君も察知したか。
 ――…ええ。あなたもですか。流石です。
 申し合わせたように彼らは目的語を廃した会話を交わす。そのAIの電通ダイアログに表示された黒髪の青年の胸像画像は、アニメーションしてはいない。単に電通相手を示すだけの画像だった。
 ――私は機構上、常にメタルに接続している。メタル内で僅かでも何らかの異常が発生すれば、私はそれを察知する事が可能だ。
 波留側の電通ダイアログでも、会話の相手は静止画像で表されているはずだった。そしてこのAIの場合は、その画像の通り無表情に抑揚無く語ってゆく。
 ――通常ならばそれらの異変は、瞬間的な通信負荷に過ぎない。だから継続状態にならない限り、私はそれらのアラートを問題にはしない。
 そのAIの電脳での視界には、電通ダイアログ以外にまた別のダイアログがポップアップしていた。そこに表されているのは、メタルの通信監視ログだった。
 メタルのある深度の一部に僅かな通信の乱れが観測された事が、そのログに表れている。しかしそれは、本来ならば問題として指摘されないレベルの異変だった。彼らはそれを敢えて俎上のものとしている。
 ――しかし、今回はこの時点で君から電通が来た。それは君が何かの異常を感知したからだろう。
 AIの台詞はここで途切れた。沈黙が彼らの間に流れる。その沈黙を受け、今度は相手が電通を寄越してきた。アニメーションしない無表情の画像が低い声を発する。
 ――…僕は観測のため、適当なプログラムを装填したガイドバグをいくつか、メタルの各所に放流していました。その一部が先程異変を感知したのです。
 ――…一部?
 ――ええ。
 AIの怪訝そうな声に、波留は言葉で首肯の意思を見せた。その後も冷静な声が続く。或いは、彼自身がそうあろうとしていた。
 ――異変を察知したガイドバグのログを探査した結果、例の鮫型思考複合体とおぼしきプログラムを複数体、発見したのです。

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