「つまり君は、一見して法則性など見いだせないジャンクデータを収集し意味あるデータに再構築したと言う一点において、件の鮫型思考複合体と私の機構は同一ないしは類似しているのではないかと考えているのか」 顎に手を当てたまま、相変わらず淡々と語られるそのAIの言葉に、波留は無言だった。この相手は彼の考えを過不足なく説明してくれているので、特に台詞を挟む理由がないからである。 「だから私の元へと来たのか。それが君の訪問の目的か」 ここまで続けられた時点で、波留は頷いた。意思表示をしてみせる。 そして真剣な瞳で、義体を見据えた。しかし何も言わない。そのままの姿勢で、彼は相対する存在から何らかの回答を得ようとした。それこそが、このアバタールームを訪れAIとの面会に至った彼の目的なのだから。 その態度に、久島のアバターは僅かに身じろぎをした。そして微かに口を開き、そこから溜息を漏らす。問い掛けられ、その答えを求められようにも、彼のAIではそれを導き出す事が出来ていない。該当する知識は彼の中に存在せず、その口端に乗せられるのは「推論」を名乗るにもおこがましいレベルの概念でしかない。人間からの問いを受け、久島永一朗の知識と記憶から確実な答えを導き出し、それを人間に提示しなければならない――彼が自らに課したその命題を、今回は満たす事が出来そうにないのが現状である。 だから彼は、何も答えようがなかった。AIとしては曖昧な言葉を発する事は許されない。ならば黙っている方がマシだった。人間の感情として解釈するなら、現状の彼の立場は「困っている」と言い換える事が可能なのかもしれない。 そんな彼に、波留の真剣な視線が突き刺さってくる。眼前の青年は圧迫感さえ漂わせて沈黙を保ち、じっと答えを待っている。こうなると、AIとしても人間に対して何らかの答えを申し出なければならない気がしてきた。対人プログラムがインストールされていない彼ではあるが、そんな流れは理解する。 「――…私がメタルの海からジャンクを引き寄せ、久島永一朗の記憶をほぼ全て再構築するに至った理由は、私自身には判らない。私に残された久島永一朗の記憶と知識には結果的に欠落箇所が存在し、漂うジャンクがその欠落を補完出来るからこそ元の記憶が引き寄せて来たのかもしれないと言う推測が成り立つだけだ」 結局、AIが答えたのはその手の「推論」だった。しかしその論理は彼にとっては、推論を名乗るにはあまりにも稚拙だった。だから口に出すには迷っていたのである。 何故ならこれは、全く理論的ではない推測だからである。欠落を補い合うデータ同士が互いを引き合い、メタル内で再会する。その結果、それらは融合し、元の形状に戻る――彼が述べたのはそういう推論である。全くもって馬鹿馬鹿しい話だった。 「すなわち、磁界のプラスとマイナスのように?」 「判り易い比喩とするならば、それが適当だろう」 「不完全なデータ同士が引き付け合ったと?ならばあの鮫型思考複合体とは、その触媒或いは合成装置としての機構を持つのでしょうか」 「さあな。何もかもが推測だ」 波留からの問い掛けに対し、義体の口振りはぶっきらぼうで投げ槍だった。しかしそれは礼儀を欠いての行動ではない。整合性を持つ解答を引き出せない以上、彼としては不用意な事を口には出来ない。それがAIたる彼の設定だった。 データの結合自体には、一般的にも技術が存在する。データ容量が膨大過ぎて分割しなければ持ち運びが不可能だったり、セキュリティ上の理由で何カ所かに分離して保管する場合にその手の手法が用いられるものだった。専用の結合ソフトウェアを用いなければ、それぞれのデータは意味を成さないジャンクの形状でしかない。 しかしその手法は、事前に意図的に分割したデータを再び合成して元の形式に戻す場合に限られる。全くのジャンクデータ同士を無作為に合成して意味あるデータに再構築出来るとすれば、それは奇跡に等しい偶然の産物だった。 しかし現実に起こってしまったこの現象に、整合性を持つ理由を付けるには、どうすればいいのか?――それを熟考するには、現状では判断材料が著しく乏しかった。かと言って、何件も類似の事例に発生されては、別の意味で始末に困るだろう。何せこれは、メタルの常識を上書きするような事例なのだから。 波留は両手を下ろし、膝の上で指を絡ませる。そして顔を上げ、眼前の存在を見た。 「――…少なくともあなたの事例に関しては、久島自身がその機構をあなたの中に遺していた可能性が高いと、僕は思っているのですが…如何でしょうか?」 その問いかけに、投げ掛けられた方は意外そうな表情を浮かべた。声にもそれが表れる。 「…久島永一朗当人が?」 「ええ」 波留は薄く微笑んで頷いた。その瞳には確証めいた光が灯っている。そして彼は持論を語り始めた。それを提示するために、彼はここを訪れたのである。 「セキュリティ対策や容量不足から自身の脳核やあなたのAIの保存領域に残せなかった記憶類を、だからと言って久島があっさりと諦める訳がない。彼はそれらを暗号化して分割し、ジャンクとしてあらかじめメタルの海に放流しておいたのではないでしょうか。木を隠すには森と言う奴です」 波留が述べたその手法は、実はネットワークセキュリティの一環としては目新しい代物ではない。逆転の発想から来る観点だった。 一般的に、機密データの保持の手段として第一に考えられるのは、出来る限り厳重な場所への保管である。アクセス権を認める人員を可能な限り絞り込み、そのアクセスにも複雑怪奇なパスを要求する――原始的かつ確実な方法である。 しかしこの場合、その厳重なセキュリティの存在自体が「ここに機密があります」と第三者にも告知する事になる。こうなると反骨心溢れるハッカーやクラッカーの征服欲が刺激され、その突破に情熱を燃やす輩が増えてくる。そして最終的にその目的を達成してしまうかもしれない。 その事例は古今東西の何処にでも存在する。この手法は、そんな弊害を合わせ持っていた。 そうなると、防御側は真逆の手法を生み出した。すなわち、保存すべきデータに分割化などを施す。そうやって一見しては全く重要なデータに見えないような状態で、無造作に他のデータと一緒に保管しておくのだ。 つまり、最重要機密を玉石混合状態の「石」と偽装するのである。その近辺に「玉」と認識されるある程度の重要データを捨て石として配置しておいた場合、その効果は増すだろう。 情報は入手しても、それを解析し重要度で選別しなければ、意味はない。ゴミに過ぎないデータを無尽蔵に溜め込んでも利用価値はない。あまりに情報過多なこの現代社会において、それを逆手に取ったセキュリティ手法と言えた。 この波留の論は、その後者のセキュリティを久島が選択したのだと述べている。自分の記憶を分割化してジャンクデータの形状を取らせて、メタルの海へと放流した。そうする事でダイバー達による宝探しから見事逃げ切ったのだと。 「結果的にあなたに遺しておいた知識と記憶は、気象分子の危険性や地球律論を語る上での最低限なものに過ぎなかった。それだけは彼は絶対に護り切る必要があったのだから。しかし地球の安全が確保された段階に至れば、全ての知識と記憶とをあなたに回収させるつもりだった。実際にその機構はあなたの意志とは関係なく自動的に実行されていった」 黒髪の青年が語るその推論は一貫していて、理論的だった。メタルの機構としてもセキュリティ理論としても、充分に筋は通っている。それらは客観的に判断が可能だった。そして主観的視点においては、それを構築したと推測される人間の人物像にも充分に適合するのだろう。 「久島なら、それ位の事はしでかします。何せ、信じ難い程の用意周到な男ですから」 その台詞を発した波留の表情は、昔を懐かしむような代物となっている。おそらく彼の脳裏には様々な思いが去来しているのだろう――今語っている内容以外の、様々な思い出が。 「もっともそれらの放流されたデータは、メタル初期化を経て完全に消失するはずではありました。しかし久島健在時には人類がその手段を取らなくてはならないとは気付く訳もなかったのですから。結果的には何故か、彼がばら撒いたジャンク類が消失しておらず、あなたに全て回収された。彼としては結果オーライでしたね」 最後の方では、波留は苦笑を漂わせた。確かに彼が言うように、久島はここまで用意周到に仕込んでおいたのに、メタル初期化で全てが無駄になる所だったのだ。さしもの久島でも、地球を救う上でまさかメタルの初期化に至るなどとは、事前に予想だにしなかったはずである。だから仕方ないとは言え、非常に危うい話ではあった。しかしそうはならなかった今となっては、笑い話に出来るだろう。 その推測にAIは黙って耳を傾けていた。彼は両手を組み合わせて俯いたまま、何も言わない。相手の論旨に賛同しなければ、反論もしなかった。 それは、AIたる彼には解答が見いだせないからではない。むしろその思考実験には、以前の彼も辿り着いていた。彼のマスターかつ開発者たる久島永一朗が取った手法を推測するのだ。ならば、この波留が導き出したものと同様の結論こそが当然だと思っていた。 しかし今の彼は、その推測が間違っている事を知っていた。 少なくとも彼の中では、そういう認識があった。 彼の脳裏には、占い師然としたドレスを纏った妖艶な美女が思い浮かんでいた。――あの深海の魔女が得意げに語ったではないか。私が回収したジャンクの来歴とは――。 そのAIが操作する久島のアバターは、ゆっくりと瞼を伏せる。深い紫を帯びた義眼が瞼に覆われ、そこにある色を隠した。そのまま沈黙する。 やがて、彼はゆっくりと瞼を開く。手を組んで俯いたまま、静かに声を発した。 「――…神など、何処にも居ない」 「…え?」 アバターの発言に、波留は声を上げた。その台詞と声色が重々しいものであるように感じたからである。 確かにこのAIには人格プログラムがインストールされていない以上、人当たりの良い反応などあり得ない。無感動で抑揚のない喋りを用いられて当然だった。 更に、用いてきた比喩が何故か神学めいている。一般的に軽々しく用いる比喩ではないのだから、重い口調となっても理解は出来る。 それが判っていながら、今の波留はこのAIの喋り口には寒々しさすら感じさせられていた。 そんな波留を、久島のアバターはちらりと見上げた。顔の向きはそのままに、視線のみを上げてきた。上目遣いに黒髪の青年を見る。 「最早、天空にも――深海にも」 淡々とした口調が、彼の唇から紡がれてゆく。波留は自らを見据えてくるその義眼が、やけに暗い色を湛えていると思った。 リアルの義体ではなく電通でのアバターだから、彼の感情がダイレクトに透けて表現されているのだろうか?――彼はそう思った直後、否定する。彼は人間ではなくAIだ。それも、人格プログラムを持たない、只のデータ管理媒体に過ぎないはずの。 「――神は、沈黙すらしていなかったのだ。何故なら、最早何処にも居ないのだから」 久島永一朗の義体を模したそのアバターは、そう断じていた。それに、波留は思わず眼を瞬かせた。僅かに背を仰け反らせると、そこにソファーの感触が伝わってきた。アバターであっても身体感覚はリアルに再現されてくる。 そして、波留の記憶が刺激される。――彼は以前、これに類した事を言わなかったか?それを思い返そうとした。 すると、対面している久島のアバターが、不意に顔を上げた。しかし波留の方を見るでもなく、視線を中空へと向ける。そのまま口を噤んでいた。無表情のまま沈黙しているが、それは彼には珍しい事ではない。 やがて、そのAIは両手を解いた。無言のまま、ソファーから立ち上がる。両足で床を捉え、その場に立った。 波留はそんな彼をきょとんとした表情で見上げてくる。訪問客たる自分を無視するような、唐突な行動に思えたからである。そんな黒髪の青年をAIは黙って見下ろす。その後無感動な瞳で一瞥し、告げた。 「――ところで、長居は遠慮して貰えるか?私には先約があってな」 「…え?」 事も無げな口調に、波留はますます戸惑いの表情を深める。そんな人間のアバターを、AIのアバターは一瞥した。淡々とした声が続く。 「アポイント無しでの訪問者よりも、先約があった方を優先するのがホストのルールだ。だから、私はここで失礼させて貰う」 そしてそのまま、久島のアバターは一条の光芒を煌めかせた後、消滅した。 その光の粒子を波留は顔に当てつつも、呆然としていた。状況についていけていない。その数秒後、ようやく彼の認識が追い着いてくる。 確かにそこには、形ばかりの謝罪の台詞はあった。しかし、彼は軽く頭を下げる事すらしなかった。 ――あのAIから一方的に宣言を遺され、このアバター空間から先に退出されたのだ。波留は、その現状を把握した。 途端、一気に脱力してしまう。疲れの感情がアバターにのし掛かってきた。アバターは彼の意志で構築されている電脳の存在であるため、リアルの身体よりもダイレクトにアバターに表れてくる。 彼はうなだれた。深い溜息を漏らすと、肩が揺れた。 一般常識として、確かに先約がある来訪者を優先するべきではある。その先約のために確保されるべき予約時間まで、アポイント無しで居座っていた来客は邪魔かもしれない。 ――だからと言って…こんな風に、相手の了承無しに、いきなり落ちますか普通。 波留はその結論に至ると、本当に脱力してしまう。あのAIには人格プログラムも接客プログラムもインストールされていないのだから、礼儀を知らなくとも仕方のない話ではある。それは、今までの付き合いから身に染みていた。 しかし実際にその言動をいざ食らってみると、どう反応していいのか判らなくなるが常だった。今回の場合も、怒るべきなのか我慢するべきなのか――或いは、戸惑うべきなのか。納得すべきなのか。 このアバタールーム自体は久島のプライベートルームのメタル領域に常時構築されている場所のため、入室者が接続を切っても維持され続けている。だから独りがログアウトしても、風景に異常は見られない。 しかし波留は脳に疲れを覚えていた。 相手が落ちた今、このアバタールームに接続し続けていても、意味はない。波留はまた大きな溜息をついた後、ログアウトの手順を自らの電脳で試行し始めていた。 |