「――では、用件を訊こう」 「はい」 程無くして着席した波留は、話を持ち掛けてきた久島のアバターに向き直った。結局、波留は紅茶を淹れていない。AIに拒否された以上、自分だけが楽しむ気分にもなれなかったからだ。 彼が再三言ってきたように、所詮は真似事なのである。そのフェイクを楽しむのがメタルではあるのだが、そこを楽しむ気持ちがなければ確かにそれは「無駄な行為」だった。 真剣な面持ちで波留は久島に向き直る。両膝に両手を当て、若干前のめりになって語り始めた。 「――あなたの協力を得て、僕は昨晩深夜にメタルダイブを行い、該当メタル領域にて鮫型思考複合体に遭遇しました」 言いながら波留は、眼前にモニタ形式のダイアログをいくつか表示させる。アバター同士ではあるが互いに目視出来るように、そのダイアログに映像を投影する。 「僕はその観測を試みましたが、途中で攻撃に遭いました。流石に僕独りでの捕獲は困難と判断し、この思考複合体を破壊するに至りました。その時点までの観測ログは全て回収に成功し、そのログに破損は見られません」 ふたりの間の宙空に浮かぶモニタ型ダイアログには、メタルの海を回遊する鮫の映像が再生されている。そして該当ログとおぼしきデータを傍らの別のダイアログに表示する。そこには数値と英文が高速で所狭しと流れて行っていた。直に眼で追うには限界があるが、ふたりの電脳にも同様のデータが受信され認識されている。 台詞としては、波留の説明はそこで途切れた。中空に表示されている眼前のログを眺めるに任せる。その横顔に映像の照り返しの光が当たり、彼の顔に陰影を作り出していた。 「――それで、何だ」 そこに、淡々とした低い声が波留の聴覚に届いた。その反応に、波留は彼の方に向き直る。怪訝そうな表情を浮かべ、問い返した。 「…と、仰いますと?」 「そんな報告のためだけに、君が私の元を訪れる訳がない。そんな無意味な行動を、君は取らない」 相変わらずの静かな声色のまま、久島のアバターはそう断じて来た。思わず波留は顔を上げた。まじまじと相手を見つめる。 「久島永一朗が遺した知識と記憶とを参考にしたいのだろう?君が私に求めるのは、それしかないはずだ」 自らの推論を信じて疑わないかのような厳然たるAIの言動に、波留は苦笑を誘われた。全く、信用されているのかそうでないのか――彼には全く判らなくなった。 「そうですね。当たらずとも遠からずと言った所ですか…――」 苦笑したまま、波留は右手を挙げた。ログを表示しているダイアログを操作する。そこには新たなデータが出現した。久島のアバターもその動作に合わせ、ダイアログを見上げる。深い紫の義眼に細かなログを映し出した。 「以前の依頼でも僕は鮫型思考複合体を破壊し、その後からジャンクデータを入手しました。それはあなたも御存知かと思います」 その言葉に、久島のアバターは無言のまま頷く。波留が言うその情報は、以前に彼の元にもたらされていた。助力を求めるにあたり、波留はそのAIにこれまでの経緯とそれに付随する情報を開示していた。 「そして今回も破壊した鮫型思考複合体から、同様にジャンクデータとおぼしきデータ類を取得したのです。それが、こちらのログです」 説明を耳にしつつ、AIは無言のままに流れゆくデータを読み取っている。その姿を波留は黙って見つめていた。彼が理解し、意見するのを待った。 やがて、久島のアバターの口許が動く。唇が、感想を漏らした。 「――…これは…――決してジャンクデータと呼ぶ事など出来ない」 「ええ」 その結論を見計らっていたかのように、波留は頷いた。彼にとってそれは意外な結論ではなかったらしい。そして続ける。 「前回の鮫型思考複合体とは異なる点が、そこなんですよ。今回僕が得た残存データ類は、意味ある読み込み可能なデータだったんです」 今回、波留が鮫型思考複合体から回収してきたデータは、彼が述べた通りに読み込み可能な形態を保っていた。それに対し、前回の鮫型思考複合体から回収したデータは既にジャンク化してしまい、全く意味をなさなかった。そのために、前回時点では「データは鮫に喰らわれて崩壊したのだろう」と結論付けていた。しかし、今回の結果は異なっている。ならば、その現実の前には別の説明を加え、結論を導き出さなくてはならない。 波留からの補足説明に、久島のアバターは首を傾げた。彼にとってそれは指摘されるまでもない事実だった。だから波留の言葉は耳に流しつつも、自らは何らかの思考に浸ろうとしている様子だった。 そんな彼を波留はじっと見守っていたが、やがて呟くように言う。そこには、独り事としての響きがあった。お互い、相手からの反応を気にしていないらしい。 「今回の鮫型思考複合体は前回と違い、無事なデータを収集していたのか…」 波留は前回と今回の結論の矛盾の解消のため、その可能性を提示する。しかしその論理には「単なる偶然」とは言い切れない可能性を秘めている事に、彼は気付いていた。鮫型思考複合体をプログラムとして考えるならば、それらはコマンドの実行のためにメタルの海を回遊している事になるからである。 ウィルス系プログラムが全て、破壊プログラムとは限らない。「データの破壊」ではなく、その収集を命題として活動するウィルスは普遍的に存在するものである。それらはメタルの海を回遊しつつ指定されたデータ、或いは無作為にデータを回収し保存してゆく。そしていずれ、奪ったデータを携えてリンクゲートをくぐり、主たるハッカーの元へと持ち帰るのだ。 そのように、前回と今回とで鮫型思考複合体にもたらされていた命令が違っていた可能性はある。同じアバター形状を取る鮫型思考複合体を放ったにせよ、与えた指示が異なれば含む性質も違ってくる。外見のアバターは一緒でもプログラム本体が異なれば、それは全く別の存在になり得るのがメタルの海なのだ。波留は今の弁では、それを考慮していた。 しかし、波留が考え得る可能性は、それだけではない。そして実の所、彼自身としては今述べた可能性は低いと考えていた。 だが、彼はそれを口に出さない。その低い可能性を提示した後には、只瞼を伏せて腕を組み、沈黙して相手の反応を待つばかりだった。 「――或いは、前回同様ジャンクデータを収集したにも関わらず、この思考複合体のプログラム内で再構成し、復元したか…」 果たして、波留に向かい合うその相手が、別の可能性を提示してくる。その淡々とした言葉に、波留はゆっくりと瞼を開いた。しかし、彼は鷹揚に首を横に振る。すぐに否定の態度を取った。 「エンコードプログラム無しでジャンクの復元を?そんな事はメタルの機構上あり得ないと、以前申し上げたでしょう」 波留は、久島のアバターが提示したその意見に異を唱えた。 現実に考えたならば、彼の言の方が確かに正しかった。ジャンクデータ同士を組み合わせて再結合させるためには、それらに合わせた専門のエンコードプログラムを必要とする。無作為にデータを合成した所で、それはジャンクのままであるはずだった。 しかし、相手側の表情は一切変化しない。久島のアバターは無表情のまま、滞りなく言葉を紡ごうとする。 「理論上はな。しかし――」 「――理論は現実を追随する事がある。今も昔も、メタリアル・ネットワークには時折その傾向が見られる」 そのAIの語りを、波留は遮った。その続きを彼自身が語ってみせた。そしてそれは、先程彼が唱えた異論を更に自身で打ち消す結果となっている。 彼らは類似の会話を「以前」行っている。波留はそれを再現しただけだった。そしてその再現に、AI自身も付き合っている。そうする事で互いの推測が同一の結論に至っている事を、それぞれに理解していった。 「ああ。――具体例を挙げるならば、私の存在がそれに当たる」 「そうですね」 「久島永一朗の記憶の断片が、メタルの海にジャンクとして散乱していた。私は無意識のうちにそれらを吸い寄せ、元々私の元にあった彼の記憶の中に合流させ、復元して行った――」 そこまで語った段階で、久島のアバターは顔を上げた。顎に手を当て、波留を見る。そこまで考えが至った今、彼の中には理解出来た事が現れてきた。それを口に出す。 「――君が私の元を訪れたのは、そう言う事情か」 「そこまでお判りとは、流石です」 波留は微笑んだ。腕を組んだまま、柔らかい表情のままに頷く。自らの考えを言い当てられた事に、彼は満足していた。――本当に理解が速くて助かりますよ。その点は久島に似ていて素敵だと思います――そんな感想を内心抱いていた。 |