そんな中、唐突に波留の脳内に電子音が鳴り響いた。併せて彼の視界にダイアログがポップアップしてくる。
 電通での呼び出しに対応してプログラムが自動起動したのだった。そしてそのダイアログには、電通を試みてきた相手の名が記載されてる。それを一瞥した波留は、リアルに存在するミナモの顔から意識を逸らした。僅かに顔を俯かせた後、電脳で電通プログラムを受諾する。回線を開いた。
 ――…波留さん。
 波留が電通を許可すると同時に、相手の声が彼の耳に届く。呼び出し音が途切れたと思うが否や、すぐに音声通話を行ってきたようだった。
 回線を開くと、通信相手のアバター画像がダイアログに表示される。波留の視界の一端に存在するのは、ばさばさの黒髪に生真面目な表情をした若き青年幹部だった。
 ――ソウタ君。お久し振りです。
 親しげな声と態度を用いつつも、波留は蒼井ソウタからの電通を不思議に思った。
 彼が僕に一体何の用だろう?――波留はそう思ったのだ。電理研委託メタルダイバーとしての仕事を請けていない現状で、この部長代理から電通を貰う事などあるのだろうか。
 波留とソウタは信頼関係を築いてきてはいたが、特別に親しい訳ではない。用もないのに電通のやり取りを行った事はなかった。特に今ではその信頼関係に若干ひびが入っているのだから、ますますその傾向にはないだろう。
 ともかく判断材料があまりにも乏しい。波留はソウタからの言葉を待つ事にする。
 ――波留さん、今どちらに?
 ソウタにそう訊かれた波留は、視界を占拠する電通ダイアログから視線を外す。その平面画像の影にはリアルに広がる夜景が存在していた。そして最も卑近な距離には、彼を黙って見上げる少女の姿があった。そんな少女の顔をちらりと見た波留は、そのままを電通に乗せた。
 ――ミナモさんと御一緒しています。
 ――…え。
 一方のソウタの電通には一瞬の間が存在し、更にはその後にはあまりにも短い一言しか発していない。その後には沈黙が続く。
 ソウタの内心がどうあれ、単なる音声電通ではそれは一切現れない。音声が発せられていない沈黙として扱われるだけだった。ソウタのアバター映像もデフォルトの平面胸像画像に過ぎないため、表情の変化も描画されていない。単に口パク動作が停止しているだけである。
 波留はその沈黙を前にしても、特に反応を見せない。彼としてはソウタが何か語ろうと言葉でも選んでいるのだろうと思っていただけだった。自分の現況をそのまま表現した波留には何ら他意はないのだから。
 やがて、ソウタのアバター画像が口パクを再開する。生真面目な表情のまま、口調も生真面目そのものだった。
 ――…至急、何処か落ち着ける所に移って頂けますか?
 その台詞に、波留は顎に手を当てた。少々考え込むような仕草を見せる。俯いたまま、眉を僅かに寄せた。
 つまり、現在は同伴者が居るのだから、電通に集中出来る環境ではないのだろう。何処かの店か立ち話か、そんな感じではないだろうか?――ソウタはそう思っているに違いないと波留は思った。
 そこに「落ち着ける場所」を指定してきた。つまり、これから長い電通が続くのだろうと、波留は推測する。
 何故そんな長々とした電通を行うのか。メールでは駄目なのか――そう思考を重ねていけば、自ずとソウタの言いたい事は波留にも判ってきていた。
 ――判りました。では、僕の自宅で。近くです。
 ――お願いします。落ち着かれた時点で、俺に電通をお願いします。
 波留の申し出に、堅い表情のままのソウタのアバターがそんな事を言う。その台詞の最後には会釈のアニメーションが発動した。それを電脳の視界に認めつつ、波留は電通の切断処理に入ろうとした。
 ――波留さん。
 そこに、ソウタが付け加えるように呼び掛けてきた。思わず波留は処理開始のボタンを押すイメージを押し留める。そして、ソウタに先を促した。
 ――…ミナモに宜しくお伝え下さい。それと、邪魔して悪いと。
 アバター固定の堅い表情を湛えての発言だったが、口調自体も何処か強張っていた感がある。波留はそれを不思議に思うが、枝葉に拘っている暇はないと思い直した。
 それからはソウタから電通が切断され、波留はそれを了承する。ダイアログが収縮し、彼の視界から消えた。
 波留は溜息をつく。一体どんな用向きなのだろうと思った。
 新たな依頼だろうか?干されたと思い込んでいたのは自分だけであり、ソウタ側としてはこの1週間は休暇でも与えたつもりだったのだろうか?それとも、他に何かあるのだろうか。例えば、例の調査結果がソウタの耳に届けられたとか――。
「――波留さん」
 不意に少女の高い声が波留に届く。それは電脳ではなく、リアルの彼の耳に届いて来ていた。反射的にその方向を見やると、褐色の長い髪が目に入った。同時に大きなリボンが揺れている。
「…これはミナモさん。放ってしまって申し訳ありませんでした」
 状況を理解した波留は表情を和らげた。そして瞼を伏せ、頭ひとつ分小さい少女に一礼する。紳士的に非礼を詫びた。
「いいんです。電通だったんでしょ?」
 ミナモは未電脳化者ではあるが、電脳社会自体には馴染んでいる。だから、自分には出来ない電通でも、それを成す他者の様子には慣れていた。
 今までの動作を言い当てられた波留は微笑んだ。隠すまでもない事だと思い、そのままを告げる。
「ええ。あなたのお兄さんからでした」
「ソウタから?」
 その名を聞きつけ、ミナモは怪訝そうな声を上げる。表情もそれに付随し、首を捻った。そんな彼女を見ていると、波留はますます微笑みを深めてゆく。そして、預かっていた言付けを口にした。
「あなたに宜しくと仰っておいででしたよ」
「…自分で言えばいいのに。変なの」
 ミナモは唇を尖らせた。あまり芳しくない反応ではあるが、それはあくまでも自分の兄に向けたものである。波留は苦笑を浮かべる他なかった。
 すると、ミナモは表情を変える。満面の笑みを浮かべ、波留を見上げてきた。両手を膝の前に合わせ、背伸びする。
「良かったですね、波留さん」
「え?」
「ソウタから連絡あって」
 波留は不思議そうにミナモを見た。彼女の大きな瞳に自分が映るのを眺める。
「ソウタから連絡なら、お仕事なんでしょ?干されてなんかなかったじゃないですか」
 ――そう言う事か。波留はミナモの思考を悟った。確かに波留自身もその可能性を想定はしている。しかし、それが正しいかどうかには、まだ判断材料が足りていない。
「…それはまだ判りません。ソウタ君はまだ内容まで触れてくれていないのです」
 波留の説明に、ミナモはゆっくりと首を横に振った。微笑みを浮かべたまま、何処か鷹揚な態度を見せる。
「ソウタは無駄に勿体ぶるんだから、きっとそうに決まってます」
 件の兄は、妹から酷い言われようである。波留も思わず笑いを誘われてしまった。
「私は大丈夫ですから、波留さんはソウタの話を訊いてやって下さい」
 言いながら、ミナモは手を伸ばす。波留が持ち続けていた紙袋一式の持ち手を掴んだ。そのままやんわりと自分の方へと引く。
 今まで譲り合って来たが、いざそうされると、波留としても抵抗の意図はない。ゆっくりと持ち手から手を離し、ミナモへと全てを委ねた。
 衣服とは言え、多少の重量がある。引いた拍子にミナモの方へと当たって来た袋も存在した。そして、それぞれの紙袋ががさりと音を立てる。ミナモは全ての紙袋を手にして、また持ち変えた。数が多く荷物になるそれを、どうにか落ち着かせる。
「今日は本当に色々とありがとうございました!」
 ミナモは元気よく一礼した。頭を大きく下げ、リボンを波留へと晒す。
「…ええ。僕も楽しかったですよ」
 波留の声を聞きつけ、ミナモは顔を上げた。その眼前には黒髪の青年の爽やかな笑顔がある。
 その彼は屈み込み、ミナモへと話しかける。手を当てた膝を僅かに曲げ、少女に視線を合わせつつ、告げた。
「機会を見つけて、またデートしましょう」
「――…はい!」
 ミナモはまた大きく頷いていた。満面の笑顔がそこにある。
 こうして蒼井ミナモと波留真理の休暇の1日は終わりを告げた。

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