自分達の食事を終えていたはずの波留とミナモがアンティーク・ガルを後にしたのは、サヤカとユキノに捕まってからゆうに30分を越えた頃だった。彼らは合流してきた女子中学生達にそのまま席を譲り、混雑してきている飲食店から退出していった。
 店の外に出ると、陽が陰り始めている。日没が遅い人工島と言えども、夜の時間帯に入れば太陽が水平線の向こうへと沈んで行っていた。人々が帰路に着くには適当な合図となり得る光景である。
 アンティーク・ガルが位置するのは人工島における旧メインストリートである。この区画は人工島入植開始の20年前には栄えていたが、今ではその地位を島中心部の繁華街区画へ譲っている。
 それでも地上面積に乏しい人工島である。経年により多少趣の出てきている建築物達は、様々な人々に借り受けられてそれぞれの用途に用いられていた。
 結果、メインストリート程ではないが各種ショップが存在している。そこを訪れる客もそれなりに居るが、繁華街ではないのだから閉店時間も遅くはない。大半が店仕舞いの時間帯を迎え、それに伴い人通りも少なくなりつつあった。
 ミナモはそんな人の流れを見やっている。その両手には様々なプリントの紙袋があり、肩からはベージュの肩提げ鞄が掛けられていた。その後ろからやってくる青年の手にも紙袋が提げられているのだが、その大半は彼の所有物ではなかった。
 会計を済ませた波留はミナモに追いつく。そして手にした紙袋を左手に全て持ち変えた。
「――ミナモさん。もう少しお持ちしましょう」
 背後からのその言葉に、ミナモは振り返る。見るとそこには、笑顔を伴い右手を少女へと差し伸べている波留の姿があった。
 ミナモはその大きな手をまじまじと見つめる。どんな申し出がなされているのか、少し理解が出来なかったらしい。
 しかしやがて、少女ははにかむように笑う。否定の仕草を見せようにも両手は既に塞がっている。だから顔だけをぶんぶんと横に振って見せた。その動きに連動して紙袋が僅かに揺れ、がさがさと紙が擦れて音を立てた。
「いいですよー波留さん。これ、私の荷物ですから」
「しかし重いでしょう」
 波留は微笑んだまま、引き下がらない。差し伸べた手を引っ込める素振りは見せなかった。
 ミナモはその手に視線を固定したまま、少し困る。そんなに大袈裟な態度を取られる程の荷物でもない。
 そもそもこれらを支払ってくれたのは、波留自身である。たかだか15歳の少女が普段から買っているようなレベルの衣服なのだからそんなに高い物ではないのだが、勧められるままに選んで行って気が付いたらこれだけの数と成り果てていた。正直、帰宅後に総額を算出したくはない。少女にとっては全く馬鹿に出来ない金額となっているだろうからだ。
 それは、奢られた側にとっても若干の負い目となっている。だから、せめて荷物持ちだけはしておきたかった。そこまで重くもなければ、大きくもない荷物なのだから。
「…いえ、バス停はすぐそこですから、大丈夫です」
 結果、ミナモはそんな台詞を口にする。彼女なりの、角の立たない断りの態度のつもりだった。目的地は程近いので、わざわざ荷物を持って貰うまでの事はない――そう示したつもりだった。
 実際に、彼女の言に嘘はない。近辺の水上バス停は目視可能な場所にあった。間近の水路の前には人々がまばらに立ち、目的の路線の水上バスを待っている。主要幹線道路が水路である人工島ではごくありふれた光景だった。
 ミナモの台詞に、波留は顔を上げる。そんな光景に視線を向けた。少し首を傾げる。そしてまた微笑み、手を差し伸べたまま告げた。
「お送りしますよ」
「…え、だから…」
 変わらない波留の態度に、ミナモは戸惑った。真意が伝わっていないのかと思う。直接的に言わないと判らないような人だったっけ?――そんな事を考えるが、やはりそのままを告げるのは気が引けた。人からの好意を無碍にするのは、この少女には難しい芸当だったのだ。
「…バス停はすぐそこです」
 だからミナモはその言葉を繰り返していた。ここを強調すれば、いい加減に判って貰えるだろうかと思ったからだった。ちらりと波留を見上げ、様子を伺う。
 当の波留は相変わらず微笑みを湛えていた。爽やかな表情を保ち続けている。そんな態度のまま、彼は何気ない口調で言った。
「いえ、ミナモさんの御自宅までお送りしますよ」
「――えええええ!?」
 その申し出に、少女は思わず頓狂な大声を上げてしまう。瞬時に通りすがりの人々が何事かと彼女の方を向いた。声が届いたのか、件のバス停に並ぶ人々までもが視線を向けてくる。
 あまりの驚きに、ミナモは手にしていた紙袋を取り落とす。それらは古ぼけた石畳に底面から着地した。重いものではないので衝撃は少なく、袋の中身自体がクッションの役目も果たしていた。
 しかしそれらは、そのまま倒れそうになる。そこに伸ばされたのは、大きな手だった。
 波留が屈み込んで、ミナモが取り落とした紙袋の持ち手を掴む。倒さないようにバランスを保った後に、彼はそのまま立ち上がった。持ち手を持ったまま身体を起こし、紙袋を全てその手に確保する。結果的に彼は今まで続けてきた申し出を果たした格好になっていた。
「すっかり日も暮れてきましたからね。危ないですから、御自宅までお送りしますよ」
 立ち上がった波留は体勢を保ち、ミナモに向き直る。そして相変わらずの穏やかな態度でそう告げていた。
「――いえいえいえいえ!」
 その態度にミナモはすっかり慌ててしまっている。声を上げて否定しつつも、図らずも自由になってしまった両手を胸の前でぶんぶんと振って見せていた。
 どうして両手が自由になっているのか、その原因に気を回す余裕もないらしい。彼女にはまだ周辺の人々が視線を注いでいるのだが、その視線の集中にも気付いていない。
 その勢いのまま、ミナモは口走っていた。
「うち、片付いてないんです!」
 
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