「――僕が初来店と言う事で、マスターからサービスして頂いただけですよ」 波留は事も無げな口調で、その話題を続けていた。その頃にはマスターがやってきて、常連客ふたりにこのテーブルでの追加椅子を提供していた。ふたりはそのまま相席して着席し、波留も腰を下ろした。 俎上のパフェを含めたテーブル上の空皿などはマスターによって取り下げられ、都合4人分のスペースは確保された。そして新たな注文がマスターに受け付けられ、彼は立ち去っていった。 「ユキノさんが仰るように、とても美味しかったですよ。――ねえ、ミナモさん?」 とりあえずは飲み物類のオーダーが到着する。その場が落ち着いてから、波留はそんな事を言っていた。最後にはミナモに笑顔を向けて呼び掛ける。 「…はい」 対するミナモは俯いたまま縮こまり、短い答えを寄越したのみだった。 サヤカは、そんなふたりを交互に見やる。そして彼女なりに現状を把握した。――こりゃ重症かなあ。先程とは別の意味合いでの苦笑いが込み上げてくる。 「ニャモは波留さんと1日………その、何?デート?」 サヤカは言葉を選んだ挙句、その単語を選択した。眼前で俯いたままのミナモを見ているとその単語を用いる事が躊躇われたのだが、一体他にどう表現すればいいのか思い付かなかったのだ。 果たして、ミナモは俯いたまま反応しない。代わりに青年の声が返ってきた。 「ええ。僕がお誘いしたんです」 「へー…」 微笑み穏やかに応対してくる波留をサヤカは見る。ふたりともコーヒーカップを手に取り、湧き上がる湯気を顎に当てていた。――多分、その単語の捉え方が、このふたりの間では違うんだろう。香ばしいコーヒーの匂いを感じ取りつつ、サヤカは内心そう思った。 「デートかあ…いいなあ」 そして苦笑を浮かべ、サヤカはカップに口を付けた。ブラックコーヒーを軽く啜る。 「――サヤカ?」 ふと、ミナモの声がした。彼女は今までの態度は何処へ忘れて行ったのか、怪訝そうな顔をしている。眼前のオレンジジュースに突き刺さったストローを指で引き寄せ、一口飲む。そして訊いた。 「どうかしたの?」 「え?」 「何か、元気ないって感じ」 語り掛けつつもミナモは手元でストローを回し、コップの中身を掻き回した。氷が当たり、ガラス製のコップとの間に澄んだ音を立てる。 その態度に、サヤカはミナモをまじまじと見た。ミナモは今までの動揺の様子をすっかり見せなくなり、サヤカを心配しているような瞳をしていた。その態度に、サヤカは何処か呆気に取られる。しかし、すぐに別の感情が沸き上がってきた。 ――本当にこの子は不思議な子だ。そんな事を思い、サヤカは口元を綻ばせた。コーヒーを一口楽しんだ後、言う。 「…うん…まあね」 本来ならば快活であるはずの少女は言葉を濁したが、そのまま続けた。 「最近、メタ友と連絡取れないんだ」 「メタ友?」 その言葉をミナモは繰り返す。それに、サヤカは頷いた。 「私的には割と長く続いてる方だと思うんだけどさ、急に音沙汰なくなっちゃった」 「ふーん…」 ミナモは声を漏らしつつ、ストローを含んだ。――サヤカにはメタ友が多いと思っていたが、一体どの友達なんだろうと感じた。前々から話題に出ている「メタ友」と同一人物なのだろうか? そこに、隣から声が割り込んできた。 「――そのメタ友さんとは、リアルでは会った事がないのですか?」 サヤカとミナモは一斉にその青年を見やる。彼はコーヒーカップを指に引っかけたまま、横目で女子中学生達を見ていた。 思わずサヤカは姿勢を正した。親友かつ同級生相手の会話から態度を改め、口調も変えて答える。 「あ、はい。メタ友はあくまでもメタ友なんで」 「そうですか…」 波留は静かに頷いた。コーヒーに口を付ける。その表情に笑みはない。お堅い年上だからだろうか、波留の真剣めいた態度にサヤカは慌てた。取り繕うように笑い、左手を振る。 「…いや、私的には会ってみたかったんですけどね。でもそれは相手が厭みたいで…しつこく誘うのも何だから、メタ友として付き合ってました」 言いつつも、色々と思い出す事もあるのだろう。サヤカの笑みが徐々に寂しげなものへと変化していった。 「…リアルでは会いたくないなら、やっぱりあっちは適当に遊んでただけなのかなあ…」 最後、サヤカは苦笑いを浮かべて、前髪を指先でいじる。端的に表現するならば、飽きられたか嫌われたかでフェードアウトを狙われているのだろうと思ったのだ。 きっぱりと宣言して関係をばっさり断ち切るよりも、連絡を取らない事で徐々に距離を取るつもりなのだ。それで結果的に関係を解消出来るならば、妙に波風を立てるよりも良策ではあった。 そしてメタルを介した関係のみならば、リアルでも付き合っていた関係よりも、フェードアウトは容易い。メタル内ではアバターを用いれば全てを偽る事が可能なのだから。 サヤカが、そんな悲観的な思いに浸っている時だった。落ち着いた青年の声が再び届いた。 「――そうとも限らないと思いますよ」 「…え?」 波留のそれは、妙に確信めいた声だった。サヤカは彼のを改めて見る。そしてミナモも同様の態度を取っていた。 「人には色々と事情があるのでしょう」 ふたりの少女の視線を受けつつ、波留は淡々と続ける。コーヒーの水面を見つめたまま、傍らの少女に語りかけた。 「もし、サヤカさんがそのメタ友さんの事を気に掛けてらっしゃるのならば、連絡を気長に待って差し上げた方がいいと思います」 コーヒーの水面から湯気が昇り、彼の顔に煙っている。波留はそれを気にする素振りを見せない。カップに口を付けようともせず、語っていた。 「無論、サヤカさんがそのメタ友さんをお嫌いになられたならば、その限りではありません。しかし人との繋がりは、そうは簡単には切れるものではありませんよ。今のメタル中心の世の中でも、人間同士の付き合いはそう簡単に変わらないものです」 そこで、波留は気付いたように顔を上げた。周辺からの突き刺さるような視線に、自らの顔を向ける。まじまじと見つめてくるふたりの少女と、互いの視線がかち合った。 すると、波留の表情が変化する。彼は苦笑いを浮かべた。手にしていたコーヒーカップをトレイごとテーブルに戻す。そして自由になった右手で前髪を掻き上げた。 彼は、自分がやけに青臭い事を語った気がしてきて、妙に恥ずかしい心境に陥っていた。それがそのまま表情に出てきている。掻き上げた前髪が再び落ちてきて目許や鼻の辺りに掛かるとくすぐったい。彼は右手の人差し指で鼻の頭を掻き、肌と内心とに襲来しているくすぐったさを解消しようとした。 「………少々、説教臭かったですかね。おじさんの戯言と笑って頂いて結構です」 「…いえ…波留さん。ありがとうございます」 苦笑を湛えて言う波留に、サヤカははにかみ笑った。彼女としては、励まされた心地がした。先程波留が語った言葉と言えば一般論に過ぎないのだが、彼の語り口のせいなのか少女には説得力を感じさせたのだ。 大人の男性が年齢を振りかざす事なく中学生のサヤカの立場を尊重しつつ、親身に相談に乗ってくれたからかもしれない。そういう経験は、15歳の少女にはなかなか出来ないのだから。 「ほんと、波留さんって素敵ですね」 笑いながら、サヤカはそんな感想を漏らしていた。 「そうですか?」 「ニャモが羨ましいかも」 少女からのその言葉に、波留は不思議そうに軽く首を傾げた。そんな態度に、サヤカはますます苦笑する。――感情の機微に敏感なのか疎いのか、判らない人だと思った。しかし、そこが彼らしいのだろうとも思う。 そのように話が纏まった頃を見計らったかのように、マスターが注文の料理を持ってくる。ミナモと波留は既に食事を終えているため、それらは合流してきたふたりのためにもたらされたものである。 夕食には丁度いい時間帯のためか、サヤカはカルボナーラとサラダをオーダーしている。黒胡椒がしっかりと効いている香りに、彼女は感嘆の声を上げた。歩き回った身体に食欲がもたらされる。 そこに、笑顔と共にどんと置かれた容器があった。 それは先程までミナモと波留がふたりでつついていたものと同等の大きさを誇る容器だった。 その内部には所狭しとフレークやフルーツが詰め込まれ、上からはアイスやクリームが押し込まれている。更に容器の上部にはまた別に半球体のアイスが数種類重なり合い、クリームが絞られている。その上からフルーツやチョコレートでデコレートされ、合間にもポッキーやクラッカーが刺し込まれていた。 見るからに、先程ミナモ達がつついたパフェと同等である。しかし前回と異なるのは、それが置かれたのはユキノの眼前と言う点だった。用意されたスプーンも1本のみであり、紙ナプキンの上にそれが添えられる。他の3者がつつこうにも無理な状況だった。 「――んー、今日も頂きまーす!」 ユキノは両手で頬を挟み、満面の笑顔でそう言った。そしてすぐにスプーンを掴み、パフェへと繰り出した。アイスを一口分掬い、口へと導く。瞬間、笑顔を浮かべたまま身体を揺らした。歓喜の声を漏らす。 そんな少女の様子を、同席者達はじっと見ていた。全員、自分達のオーダー品に手を付ける事すら忘れている。波留すらも何処か呆気に取られたような表情を浮かべていた。 「――…あれ、どうしたの?」 視線の集中に気付いたのだろう。ユキノは周りを見渡し、訊いた。三者三様の表情を確認した末に、その視線はサヤカに行き当たる。するとユキノは楽しそうな笑顔を浮かべる。 「サヤカちゃんも、厭な事は食べてぱーっと忘れようよ!」 その台詞には、当のサヤカは曖昧に笑う他なかった。半ば引き笑いを浮かべ、困ったように同席者を見る。すると、ミナモも似たような表情を浮かべている事を発見する。流石に波留は笑ってはいなかったが、それでも面食らった表情となっていた。 ――…いや、それは何かが違うでしょう? 3人の表情とその心中とは様々ではあるが、ある程度の統合を試みれば上記のような言葉になるだろう。そんな彼らからの評価など全く意に介さず、その少女は喜色を浮かべてジャンボパフェを徐々に削り取って行った。 |