女性にとってデザートは別腹とは良くも言われた格言である。あれだけの料理を片付けておいて尚、ミナモは2人用パフェの半分を着実に胃袋に収めつつあった。 もっとも、ミナモには多少ヤケな思いもない訳ではない。このパフェは単に2人分を纏めてひとつの容器に盛っているものではないのだから。そんなサービスをされてしまった事と、サービスされたもう独りの人物はその真相に一向に気付こうとしない事と、彼女はそのふたつの事実に心乱されていた。黙々と繰り出されるスプーンは、それを解消するための行為になりつつある。 向かい側からも波留がアイスを突付いている。盛り付けられた様々な甘味を下手に倒さないよう崩さないように、まるでその手のゲームのように上手い具合に探りつつもふたりで食べてゆく。 ――無言で片付けていっても、間が持たない。次第にミナモはそう思う。それにこの状況――サービスされたパフェがどう考えてもカップル仕様だった事実――に仮に波留が気付いたら、それはそれでまた別の意味で挙動不審になってしまうだろう。 それを誤魔化すためにも、何か別の話題を振らなくては――少女はそう考えるのだが、そもそも彼らは今日1日を共に過ごしているのだ。買い物や移動の合間にも喋り続けていたため、最早会話のネタも尽きていた。 今日と言う日を迎える以前には、ミナモは波留とは1ヶ月もまともに会えていなかった。その反動からか、ミナモは色々な話題を振り続けていた。波留もその殆どに快く応対してきた。なのにこれ以上、一体何を話せばいいのだろう? 「――えっと…波留さんの今の家って、この辺ですよね?」 困った挙句、ミナモが口に出したのは、そんな台詞だった。 明るい声で彼女はそれを訊いていた。――こんなにも自分が常連をやっている店の近くに、実は波留は自宅を構えていたのだ。その事実に気付いた時、とても意外さを感じたものだった。それを思い起こすと、不思議な縁と言う奴に思いを馳せてしまう。 「ええ」 すぐに向かい側から波留の声が簡潔に聞こえてきた。いつも通りの落ち着いた声である。 テーブル上のパフェは着実に容量を減らしており、ミナモの視線を隔てる事もなくなっていた。クリーム類に汚れたパフェの大きな容器が、波留の顔から下を白く透過する。 「…僕、ミナモさんにそれをお伝えしてましたか?」 しかし、波留はそう問い返してきていた。その声に、ミナモは顔を上げた。パフェの容器の向こうに、波留の怪訝そうな表情があった。 「確か、それは誰にも教えていないと記憶していたのですが…電理研にも報告していなかったはずです」 波留はスプーンをパフェに差し込みつつも、その動きを止めている。ミナモに視線を送っていた。 その視線を真正面から受け止めつつ、ミナモはしまったと思う。――それは訊いてはいけなかった事だと後悔していた。 「それ」は出来る事なら隠し通すべき事だったと改めてミナモは悟る。波留が未だに「それ」を知らなかった以上、彼女の兄も「それ」を波留に伝えていなかったのだから。この件については隠蔽こそを推奨しているのだろうと思った。 波留の弁は事実である。彼の現住所とは、あの時まで誰も知らなかった事柄なのだから。それを何故ミナモが知っているのか?それを説明するには、どうしても触れなければならない行為があった。 それはあまり好ましい事柄ではない。しかしやむを得ない事情があったのだ――そんな風にミナモは心中を整理する。そもそも隠し通しておくのも、彼女の倫理観を殊更刺激する。 ミナモは、これを機会にしようと考えた。結果的に兄を蔑ろにしてしまう事になるのだが、別に彼女に他意はない。嘘を塗り重ねてゆく器用さが、彼女には著しく欠けていた。それはこの少女の美点でもあり、ある意味欠点でもあった。 「波留さん、ごめんなさい!」 だから、ミナモは勢い良く頭を下げる。真正面から謝罪の言葉を口にした。 「…と、仰いますと?」 一方、言われた方は怪訝そうな声を上げる。不思議そうにミナモを見やった。話の展開が一向に見えない様子である。 彼のそんな態度に、ミナモはますます罪悪感を刺激される。説明し辛い心境に陥るが、やってしまった事の後始末はつけないとならないと覚悟した。特に、自分には良かれと思ってやった事が結果的にとんでもない事態を引き起こした前科があるのだから――。 「私、波留さんが居なくなった時に、家に上がっちゃったんです」 「…え?」 波留は短い声を発した。どうやら彼にとって、それは予想外の告白だったようである。 暫く空けていた家に帰宅しても、特に誰かに室内を荒らされた形跡を彼は発見していなかった。そもそも玄関の施錠ログも確認していない。する必要を全く感じていなかったからである。 波留はメタルダイバーの端くれとして、メタルを利用する施錠システムに気を遣っている。自宅のセキュリティは生半可なハッキングでは破る事など出来ないだろうと踏んでいた。もっとも物理的な破壊の前には、一般家屋の門扉では限界がある。しかしそんな事をされたならば、流石に痕跡が目に見えて残っているはずだった。 とすると、予想外の高レベルハッキングを受けたか。それとも正攻法に賃貸業者経由で開錠キーを入手されたか。 波留には、前者の可能性は限りなく低いとの自負がある。後者ならば、自分に業者から事後通知があって然るべきである。しかし現実には、何ら通知はなかった。そのように考えを深めて行くと、波留にも自ずと結論は見えてくる。 「ホロンさんと一緒に、波留さんを探しに行ったんです」 「はあ…」 頭を下げ続けてのミナモからの告白を受ける波留は、生返事だった。スプーンを容器に差し込んだまま、左手で頬杖を突く。彼は自宅への侵入については、あまり重要視はしていない様子だった。発する台詞からもそれは判る。 ――賃貸業者は、プライバシーの侵害どころか不法侵入と言う犯罪の片棒を担いでおいて、入居者から事後承諾も取らないのだ。つまり、入居者からのクレームよりも余程恐ろしい相手からの開錠キーの発給要求を受けたのだろうと想像がついた。そして民主主義であり人権を重んじるはずのこの人工島において、個人を蔑ろにする事が可能な組織など、波留にはたったひとつしか思いつかなかった。 「いや…そもそもホロンにも電理研にも、僕は自宅住所を教えていないつもりだったんですが」 思考はどうあれ淡々とした波留の台詞に、ミナモはその夜の出来事を脳裏に回想する。しかし、波留が疑問視した件についての解決方法は、彼女自身も良くは判っていない。15歳の少女ではメタル技術にも調査方法にも馴染みがないからである。だから彼女なりに把握している行動を簡潔に述べる事にした。 「ホロンさんは、色々調べて判っちゃったみたいです」 「そうなんですか…流石優秀な秘書型アンドロイドだと評価すべきなんでしょうか」 簡潔に過ぎる答えを受け、波留は呟いていた。視線を上に向ける。思惟に耽る様子を見せた。彼としては住所を教えていないだけであり、普段から何処に住んでいるのか隠蔽工作をしていた訳ではなかった。そんな人間の行動ログを洗っていけば、糸口を掴む事など容易かったのだろう――そう想像はついた。 が、波留がそんな思考に耽ったのも数秒である。すぐにミナモに視線を戻した。口許に微笑みを湛え、言う。 「――ああ、ミナモさんはお気になさらず。そもそも何の断りもなく姿を消した僕が悪かったんですよ」 そう告げた後、波留はスプーンから手を離した。頬杖を解く。そして両手を膝の上に揃えた。口許を引き、笑みを消す。 「むしろ、この度はミナモさん達に本当に御心配おかけしました。謝るべきは僕の方です。申し訳ありません」 真面目な声と共に、青年は深く頭を下げた。後ろに纏められた長い髪がさらりと首筋に流れ落ちる。 「――いえいえいえいえ!」 その態度を引き出したミナモは大慌ての体だった。両手を胸の前で大きく振りまくる。腰を浮かせて制止しそうな勢いだった。 ミナモは肩で息をつく。すると、顔を上げた波留と視線がかち合った。青年の瞳には微笑みの色が垣間見える。それを認め、少女はどうにか落ち着いた。腰を席に下ろす。 パフェに突き刺した格好の自らのスプーンに目をやる。その後方に指を絡ませた。アイスの冷たさが伝わってきているのか気のせいなのか、ともかく彼女は金属の冷たさを感じ取った。 その感触から、少女は冷静になってゆく。そして今、彼女が一番気になっている事を眼前の青年に訊いた。 「波留さん…今、どうしてますか?」 それは、とても漠然とした問いである。しかしその少女からの問い掛けに、青年の瞳から笑みの印象が掻き消えた。視線を落とし、ミネラルウォーターの水面を眺める。そこに映る自らの顔を見やっていた。 そして彼は口許に右手を当てて苦笑した。指先に唇の形を感じ取りつつ、口を開いた。 「まあ…――謹慎のような日々ですかね」 波留は、多少苦い響きを持つその単語を口端に乗せる。その言葉は必ずしも真実を言い当てている訳ではない。しかし現状の彼にしてみたら、それは当たらずとも遠からずと言える表現だった。 |