30分程度経過した頃には、そのふたりは注文した料理を完食していた。彼らが着くテーブルの上に残るのは様々な大きさの皿のみであり、その上には何ら残骸は残されていない。肉料理のソース類もパンなどで綺麗に拭われて美味しく頂かれてしまっていた。 「――波留さん…美味しかったですか?」 ミナモは向かいの青年を伺うように見やっていた。ガラスコップに注がれたミネラルウォーターに口を付けつつ、少し心配げに質問する。 彼女はこの店の常連である。美味しい料理とマスターの人柄に惹かれ、中学生の小遣いには少々割高なこの店に友人達と放課後や休日に溜まっている。 少女にとって、この店は胸を張って紹介出来る飲食店である。勿論美味しい料理が理由の大半を占めてはいるが、その他にもファストフード店とは違ってある程度は落ち着いて楽しめる雰囲気が漂っている事も、彼女の中では好感触だった。だからこそ今日、初めて波留を伴って訪れたのである。 しかし、肝心の招待客にそれらのお勧めポイントが合致したかどうかは、また別問題だった。仮に自らの感覚と招待客のそれとが著しく異なっていたならば、この店を楽しんで貰える保証はないからだ。もしそんな事態に陥っていたならば、ミナモとしては少しばかり寂しい気もする。ともかく少女にとって、そこが心配の種だった。 「ええ。天然ものの食材をとても生かしていると思います。素人ながら僕も見習いたいものです」 果たして波留は微笑み答えた。彼は、パスタソースが僅かに付着した口許を備え付けの紙ナプキンで拭う。それはとても上品な仕草だった。 もたらされたその答えに、ミナモは満面の笑みを浮かべる。胸に手を当て、ほっとした表情になった。どうやらここの料理は彼の口に合ってくれたらしい。その気分のまま、若干前のめりになりつつ、ミナモは波留に言う。 「そう言ってくれると、ここを紹介した私も嬉しいです」 「以前からこのお店のお噂は、僕もかねがね伺っていましたからね。自分ではなかなか出向く機会も作れませんでしたが…」 波留は口許を拭ったナプキンを下ろし、自らの前に折り畳みつつ話している。そんな彼の隣から、すっと影が差した。彼はそれに気付き、ふとその方向を見上げる。 そこは狭い店内にどうにか確保された通路である。今、そこに大柄な髭面にニットキャップのエプロン姿の男が立っていた。つまり、この店のマスターである。彼は笑みを浮かべてお盆を掲げている。そこから何かを取り上げ、テーブルの上へと移動させた。 波留は黙り、それを見送った。少々大きめの容器にアイスやフルーツ類が盛り付けられ、それらをクリームやチョコレートがデコレートしている。その各所にはポッキーが突き刺さっていた。所謂、パフェの類だった。 それを認めると、波留は首を捻る。向かいの少女をちらりと見やるが、彼女もきょとんとした表情を浮かべていた。どうやら、お互い思っている事は同じらしい――青年はその結論に至り、パフェを携えてきたマスターを改めて見た。 「――…これ、僕、頼んでましたか?」 波留は軽く右手で大きなパフェを指し、マスターに怪訝そうに問い掛けていた。 一応は疑問形の様相を呈してはいるが、彼自身にはそのオーダーの記憶はなかった。ならば同席している少女のオーダーかとも考えたが、先程の目配せからはそれは否定されたも同然だった。だから彼は店側の間違いと判断し、やんわりと質問したのである。 その波留の態度に、マスターは目尻を下げる。楽しそうな声を出した。 「いや…これはうちからのサービスですよ」 「…サービス?」 マスターからの答えに、波留は不思議そうな顔をする。その単語をそのまま口の中で繰り返していた。 すると、その店主兼料理人はますます微笑みを深めた。視線を下げ、初対面の客に対して親しげに語り掛ける。 「お客さんについては、こちらのお嬢ちゃんや彼女のお仲間から、常々お話は伺ってましたからねえ」 「…そうなんですか?」 「ええ。波留さんはとても素敵な人だとか」 「――マスター!」 途端、制止するような調子の高い声が飛んでくる。すると、傍らの15歳の少女が真っ赤に顔を染めていた。 そんな少女を見て、マスターはにやにやと笑う。無言で彼はお盆の上にあった長いパフェ用スプーンを取り上げた。ナプキンをテーブルの上に置き、そしてその上にスプーンを並べる――それをまず波留の前に揃え、次いでミナモの前にも置いて行った。 「…え?」 「じゃあ、おふたりでごゆっくりどうぞ」 ミナモの怪訝そうな声を前にしつつ、マスターは愉快そうな表情を浮かべて一礼した。そしてスキップしそうな軽やかな足取りで去ってゆく。 その頃には、ミナモは自分の前に出されたパフェがどういう意味を含んでいるのか悟っていた。それを理解すると、少女はますます頬を赤くする。 「――これは…独りで頂くには少々量がありますね。とりあえず、一口頂きます」 彼女の表情の変化をよそに、波留は相変わらず朗らかな声を上げていた。彼はスプーンを持ち上げ、それでパフェの上部を掬う。スプーンの上には白いクリームにチョコレートが彩られており、彼はそれを口へと導いた。 「…ああ、美味しいですね。これも人工的ではない、上品な甘さです」 スプーンを口から引き抜き、波留はそんな感想を漏らす。口の中でクリームを転がし、その味を感じ取りつつも甘みを楽しんでいる。生クリームはきめ細かく泡立っているようで感触は心地よく、含まれた砂糖の量も絶妙である。そこに混ざり合ってくるチョコレートの甘さと僅かな苦みが、また別のフレーバーを与えてきていた。 「いつも召し上がっておいででしょうが、ミナモさんも如何ですか?」 波留は微笑み、スプーンでパフェを指示しつつミナモに呼び掛ける。しかし、そうやって勧められてもミナモは無言のままだった。彼女は黙って俯いている。その頭からは湯気でも立ちそうな感だった。 「これは…ユキノさんなら、おひとりで召し上がる量なのでしょうか?」 そんなミナモをよそに、波留は長閑な声で目の前のパフェの感想を発していた。再びスプーンをパフェに伸ばし、今度はバニラアイスを掬い取る。冷凍庫から室温に出されて程良い固さとなっていたようで、球形を容器に沈めていたクリーム色の固体は過剰な抵抗もなく青年の操るスプーンへと削り取られて行った。 「…知りません」 一方、ミナモは憮然とした声で、波留からの問いかけに答えていた。その間も膝の上に両手を揃え、俯いたままである。 「ミナモさん?」 波留は不思議そうな声で少女に呼び掛ける。彼も流石に、ミナモの反応が何やら妙だと思い至っていた。 そもそも彼はミナモの友人達とは個人的な付き合いはない。ミナモの世間話から伝え聞いたイメージから補強されている部分が大きい。だから、今回彼が話題に出したユキノ云々についても、イメージ先行である。しかし年頃の少女に対して「大喰らい」の評は、流石に失礼が過ぎただろうかと彼は思ったのだった。 瞬間、ミナモはがばりと顔を上げた。勢いよく、自分の手元に置かれたスプーンを掻っ攫うように掴む。 そしてそのままスプーンを繰り出し、パフェを大きく掬った。小さなスプーンの上に、程良い固さのバニラアイスが型取られる。そこにクリームとチョコを付着させつつ、彼女は一気に口に含んだ。 そのパフェは1人用の量ではない。確かに波留が評価したように、多少の大食いの人間ならば平らげる事も可能な量ではある。それこそ彼が出した個人名の少女が適任だろうと、ミナモは思う。 実際に、自分の目の前でこの手の大きめのパフェを連日普通に注文して普通に平らげるのが、その伊東ユキノと言う少女なのだ。少なくともミナモの中ではそういうイメージが凝り固まっていた。だから、波留からの評価は全く間違っていない――ユキノ当人はどう思っているかは、当人がこの場に居ないのだから訊きようがない。 しかし、今日こうしてパフェをサービスしてきたマスターには、そんな意図はなかっただろう。ミナモにはその推測がついていた。何故なら、同じような容器に盛り付けられた巨大パフェであっても、いつもとは違って用意されたスプーンは2本なのだ。更に、それらは席に着いていた人間ふたりの前に置かれたのだから。 つまり、マスターはこれをふたりで突付けと言いたいのだろう。そして単なる客へのサービスならば、ふたり分のパフェを用意してくれても良かったはずである。そこで敢えてひとつのパフェをふたり用としてサービスしてきたのは、何も容器の節約の意図があっての事ではないのは、明白だった。 ――それに気付いたのは、どうやら自分だけらしい。ミナモはその事実に、釈然としない思いがある。一方で、そう気付いてしまう自分がどうにも場違いのようにも思えた。 そんな彼女の思いをよそに、口の中では甘みが広がってくる。アンティーク・ガルのデザートは、相変わらず天然もの100%の美味しい代物だった。 |