波留が人工島国際空港に降り立ったのは、11月16日になろうとしている時間帯である。履歴上ではかろうじて15日中に辿り着いた事になる。
 14日夜からバスと列車と乗り継いだ挙句に夜間の国際航空便と言う道程である。体力的には相当に強行軍だったが、考えられる限り最速の最短ルートではあった。そもそも行きも大体同じような時間で走破している。ならば、これが乗り継ぎの理想的なスケジュールなのだろう。
 それにしても、予定無しのいきなりの発券だと言うのに無駄のない乗り換えを組み込んできたあの秘書はやはり優秀なのだろう。波留はそんな風に彼女を思い起こすと、半ば苦笑していた。
 しかし、彼女からのあの問い掛けは、彼の心の何処かに引っ掛かり続けている。
 世界中の誰もが、この島を「楽園」だと言う。
 確かに科学と自然が調和しているこの島は、とても過ごし易い。無論、それを享受するだけの財産と資格がある人間にしか居住許可が下りない審査の厳しさによって、その安寧は保たれているのは確かである。
 しかしあの秘書にとって、この島は最早楽園ではないそうだ。何故かと問えば、彼女にとって大切な人間が島に居ないからなのだろう。そんな島に意味を見出せないのだろう。
 ――同じく、大切な人間を喪った立場として、彼女は僕自身にもそれを問い掛けたかったのだろうか?
 波留はそんな事を思う。
 しかし彼は、この島の事を「楽園」とかそう言う次元では考えていない。
 彼はこの島に、別に住みたくて住んでいる訳ではない。50年の眠りから目覚めたらこの島が完成していて入植が始まって20年が経過しようとしており、島の支配者の一員に名を連ねていた親友の手により居住資格を与えられていた身分なのだから。
 かと言って、彼はこの島やその住民達が嫌いな訳ではない。むしろ、7月末の危機から守り切った満足感と共に、好意を抱いていた。だからこそ様々な依頼をこなすのだ。
 仮に何らかの要因があれば、自分はこの島を離れる事は厭わないだろう。たとえば、今回の独断での調査のように。
 しかし、そうでないなら――特に立ち退く事情がなければ、とりあえずは住み続けてもいいとは思っている。いずれの事と思い唐津の資料を集めてはいるが、それとて別に急ぎではない。地球温暖化は徐々に進行しているらしいが、あの海は未だ健在だと聴いていた。
 ――波留はそう、自身の心中を纏め上げる。彼はその結論で納得しようとした。
 しかし、あの秘書が訊きたかったのは、果たしてそう言う話なのだろうか?
 そんな疑問が沸いてきて、彼の心の何処かにやはりささくれを残す。しかし、彼は敢えて今はそれについては無視に徹する事に決めた。変に思い悩みたくはなかった。
 ひとまずはこの旅で得た回答を提出しなければならない。やる事はたくさんある。それらをこなしていくうちに、悩みなど消え去るだろう――。
 深夜の空港では人影はまばらである。人工島国際空港は、地球上の大都市空港で見られるような24時間発着の空港ではない。入島審査が厳しい以上、人の行き来は他の大都市より格段に少ないから、航空便の本数はそれ程多く必要としないからである。居住環境を考えての深夜の発着制限の事情もあった。
 波留が到着した便が最終便である。その乗客も少なく、彼らも税関を抜けたらそれぞれの行き先へと散ってゆく。
 彼は結構な寒さがあった大陸から、常夏の島に戻ってきた。そのためにあちらでは纏っていた青いコートは手荷物と化している。着ているシャツは黒の長袖ではあるが、その生地は薄手のこの地方仕様となっていた。
 何せ、まともな宿も取れず、強行軍で戻ってきている。早く自宅に戻ってゆったりと風呂に入りでもして馴染みのベッドに入り眠りたい心境だった。そのまま朝までぐっすり休み、それからやるべき事を成そうと考えた。
 今の彼にはそれ以上を考えられない。とにかく身体が休息を欲している感が酷かった。大陸で経験した様々な事件を鑑みると、酷使された身体が悲鳴を上げていてもおかしくはないと思う。
 そんな彼の耳に、自らを呼ぶ声が届いた。
「――…波留さん」
 静かな声である。何処か戸惑うような、躊躇うような声色だった。それに反射的に波留は顔を上げた。疲れた視線のまま、その方を向いた。
 そこには褐色の髪の少女が立っていた。頭にはトレードマーク状態の赤いリボンが位置している。こんな夜も更けていてもリボンは傾きもせず、きちんと整えられていた。
「…ミナモさん」
 彼の口から呆然とした感の声が漏れてくる。ほぼ半月ぶりにその少女の顔を眺めても、思考が着いてこなかった。
「何故こんな夜遅いのに、あなたがいらっしゃるのですか」
 波留は首を傾げた。中学生の少女が起きて歩き回っているような時間帯ではない。本来ならば咎めるような口調になってもおかしくはないのだが、幸か不幸か彼はそこまで思考が回らない。非難がましく思うのではなく、彼女がここに居る事実に驚くばかりだった。
 そんな彼を見て、ミナモは少し微笑んだ。肩から提げている小さな鞄の紐を掴み、位置を整える素振りを見せる。流石に深夜と言える時間帯のため、制服ではなく落ち着いた印象の私服だった。それでもミニスカートには変わりはない。
「…波留さんから戻ってくるってメール、貰ったじゃないですか」
「ええ」
 ミナモの言葉に、波留は頷く。
 彼は北京国際空港に到着すると、航空便に搭乗する前の僅かな時間を費やして有線でのメタル接続ポイントを利用した。そこに携帯端末を繋いで回線を確保し、今まで不義理を働いた人工島の面々へとメールを送信したのだった。
 とは言え、長々と文章をしたためる時間もなかった。だから、とりあえず現在は北京に居る事、そしてこれから帰る事――それらを簡潔に述べた上で、各々に謝罪の弁を記載していた。
 その面々の中に、蒼井ミナモも含まれていた。むしろ彼が真っ先にメールを出したのは彼女だった。送信メールのタイムスタンプを見比べれば一目瞭然である。
「なら、迎えに行きたくなっちゃいました」
 そのメールを受け取った少女ははにかむように笑って言った。その態度に波留はぽかんとする。が、すぐに同様の笑みを浮かべていた。
 面と向かうと、どうにも照れ臭い。しかし、波留は右手で前髪を掻き分ける。そのまま軽く頭を下げた。苦笑を浮かべたまま、口を開く。
「――…あなたにはつくづく御迷惑をお掛けしてしまって…」
「いえ、私こそ、何か波留さんには色々と…――」
 黒髪の青年に謝罪されてしまっているミナモは、首を横に振る。彼女も照れ臭そうな笑みを浮かべていた。
 互いが互いにやってしまった事は、正直あまり笑えるような代物ではない。それは互いに今までに充分痛感している。
 しかし、それは済んだ話だった。今ではそう言い切れる。相手の事も推し量れる。
 そう思うとあんな事をしてしまった過去の自分がどうにも痛痒いし、何故だかここまで照れ臭い――。
 ふたりは、暖かな空気を何処かから感じてゆく。それに似た感覚をつい先日体験した覚えがあるのだが、互いにとってそれは確実には言い切れない曖昧な記憶だった。
 そして、どちらからともなく、ふたりは手を差し伸べた。そしてそのままその手を重ね、指を絡め合う。しっかりと、握手を交わした。
「――おかえりなさい」
「只今戻りました」
 苦笑を浮かべたまま、彼らはそんなやり取りを行う。
 一方、彼らを遠巻きに見ている蒼井ソウタとホロンには、どうにも割って入っていく隙が見出せない。彼らも波留からメールを貰った立場なのだが、すっかり蚊帳の外だった。ソウタは手持ち無沙汰に腕を組み、所在無げに軽く足踏みした。
 このふたりもミナモ同様に波留からメールを貰い、この少女のように私服でこの空港に出てきている。
 彼らは電理研の所属ではあるが、人影が少なくなっているこの界隈ではあまり目立ちたくはなかった。そもそも波留が失踪している事実は隠さなくてはならないのだ。ならば、大っぴらに出迎える訳にもいかない。
 それでも人間たるソウタにとっては、目の前で繰り広げられている妹と機密を持ち逃げしたメタルダイバーのやり取りには、悪い気分を呼び起こされなかった。妙に甘酸っぱい気分はしないでもないが、それは無視した方がいいのだろうと彼は考える。
 彼の隣ではホロンが微笑んでいる。このアンドロイドは、電理研の制服姿の際とは違うフレームの眼鏡越しに、人間達の微笑ましい姿を認識していた。
 深夜の空港には、静やかな空気が流れてゆく。
 
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