「――ひとつ、お訊かせ下さい」
 何気ない口調で、波留は問う。隣の男の顔を見た。
 それに、問われた側も応じる。弄ぶ銃から視線を上げ、波留を見やった。
「何でしょう」
「あなたは、あの村の人々を大切に思っていますか?」
 そう問い掛けた波留の脳裏には、あの子供達の笑顔がちらついている。携帯端末には、撮影した村の風景が残されている。真実を知った彼は、それらを今後どう思って見返せばいいのだろうと思った。
 とりあえずの介入を見送る――実験材料扱いされている彼らを消極的に見捨てると決断した時点で、自分からはそんな事を問う資格は失われている。そもそもそれを訊いた所で意味はないし、自分は最早部外者なのだ。波留にはそれが判っていた。
 しかし、彼はこの一点だけは明らかにしておきたかった。
「ええ。あの村は、私にとって大切なリソースですから」
 波留の問いに対し、ジェニー・円は事も無げにそう答えていた。相変わらず淡々とした態度である。
 その言動に、波留は思わず眉を寄せる。彼は自らの研究のために村人を利用していて、最早その真実を言い繕う気がないらしい――そう悟ったからだ。
 そこに、円はやはり淡々と付け加える。
「勿論、人情も沸いては来ています。いずれ子供達が科学者として立志する未来を、私は本心から願っていますよ。君に語ったあの気持ちは、嘘ではない」
 この円の台詞に、波留は眼を瞬かせた。――子供達に外の世界の話をしてやって欲しい。そうやって外の世界への興味を抱かせてやって欲しい――僕にそう依頼してきた彼のあの態度は、嘘ではなかったと言うのか。
 断りもなく人体実験紛いに利用しておきながら、一方でその扱いとは――全くどう捉えていいものか、判らない。波留が内心そんな風に戸惑っていた時に、円の台詞が続けられていた。
「――おそらくは、久島君が人工島やその住民――そして、君と言う存在に抱いていた想いも同一だったのではないかと、今更ながら私は愚考しています」
 ――私にとっては、あれもお前と同じ位大切なものだからな。
 円の言葉を訊いた瞬間、波留の脳裏にその台詞が思い起こされる。それは彼の親友が50年前、建設中の人工島を調査船から眺めながら言った台詞だった。
 波留としては、あの時点では然程深くは考えなかった台詞だった。しかし今になって思えば、あの親友は自分と人工島とを同列に考えていた。地球律の観測装置たる自分と、その観測を実現させるリソースを確保するための舞台たる人工島――その思考実験が、久島の中には50年前から存在したのだ。
 久島は、僕を観測装置として見なしていた。それは紛れもない事実だ。僕もそれを受け容れている。
 しかし、久島がそんな僕をずっと想っていてくれた事もまた、紛れもない事実だ。
 それらは両立したのだ――彼の中で。そして、僕自身の中でも――。
 思考を進めていく中、知らず知らずのうちに波留は唇を噛み締めていた。彼は、自らのその行動に気付く。彼はそれを、自覚なく行っていた。そしてその行為の理由が、まるで判らなかった。
「――私からも、ひとつ伺っても宜しいでしょうか?」
 そこに投げかけられたジェニー・円からの問い掛けに、波留は思惟を中断した。噛み締めていた口を意識して軽く開き、溜息めいた呼気を漏らす。そのついでのように、促した。
「ええ――」
 波留の返答に、円は頷いた。そして、問う。
「今回の眠りに就いた後――久島君とはまた会えましたか?」
 その質問を受けた波留は、思わず円を改めて見ていた。きょとんとした表情が彼の顔に浮かぶ。
 彼はそれを唐突な質問だと思った。何故ここで久島が出てくるのだろう。
 あの7月末の超深海ダイブの最中に辿り着いた海の深層にて、波留は久島に出会った――それを事実と捉えて書かれたレポートを、ジェニー・円は閲覧している。そして今回、波留はメタルダイブ中にリンクラインを切断され、あわやそのメタルに自意識を解き放つ所だった。
 今回も限界を超えたダイブを行いメタルに解けかかったのだから、また久島と会ったのではないのか。
 君は、またそんな夢を見たのではないのか。
 ――そう言う論法だろうかと、波留は判断する。何せこの円は、波留のレポートを真実だと信じていない――限界ぎりぎりのダイブの果てに垣間見た夢だと解釈しているのだから。
 その思考に行き着いた波留は、苦笑を滲ませた。確かに彼が以前に体験したそれは、夢物語と思われても仕方のない代物である。やけに当て擦られるものだとは思うが、諦めの境地に入っていた。
「…いいえ」
 そして波留は苦笑を浮かべたまま、それを否定した。それは意趣返しではなく、彼にとって事実を答えたまでである。
 ――残念ながら、今回の僕は久島を見ていない。今回は全く別次元のメタルだったが故に、海の深層には至るルートがなかったのだろう――海の深層の実在を信じるならば、そう推測する他ない。
 対するジェニー・円は意外そうな表情を浮かべていた。彼にとっては想定外の回答がもたらされたようだった。
 そんな彼に、波留は微笑む。その笑みは苦笑ではなくなっていた。
「しかし、別の安らかな感触が僕を包んでくれました」
 波留は柔らかく笑い、そんな事を言っていた。彼は意識していないが、その笑顔は照れ笑いにも似ていた。
「帰還した今では不明瞭な記憶となってしまいましたが、それだけは覚えています」
 彼はその感覚を脳内に思い出そうとしたが、早々にそれを諦めていた。今回はどうにもぼんやりとしている。誰と何を語り合ったのか、それとも何かを見たのか――それが思い出せない。前回、海の深層にて久島と語り合った殆どの内容は今でも記憶していると言うのに。
 しかしそれでも彼の中には安らかな感覚が残っている。今回、メタルに解けかかった際、彼はそんなものを心中に感じていた。何処か暖かく、懐かしいような感覚。そんなものに包まれたような気がした――。
「…それが、今の君の願望と言う訳ですかな」
 顎に右手を当て、考え込むような仕草を見せた状態で円はそんな感想を漏らしていた。相変わらずこの手の波留の体験に眉に唾をつけて訊いている彼は、そこに現実的に解釈を加えようとしているらしい。
「願望――なのでしょうか。やはりあれは」
 その円が口にしたその単語と彼自身の態度とに、波留は苦笑いする。鮮明な記憶として彼の脳裏に遺されている前回の「海の深層」とは違い、今回はあくまでも感覚的なイメージに過ぎない。ならば、その単語で言い表した方が如何にもしっくりくるような気がしていた。
 今回ばかりは、自分は本当に何かを体験したのか、それとも本当に現実と夢の狭間の感覚なのか。波留自身にもどちらとも断言出来なかった。全く、心許ないと感じる。だから、自然に苦笑が湧き上がって来ていた。
 その波留に釣られるように、円も喉の奥で笑った。
 しかし、同じ笑いと言う動作を行ったにせよ、そこで彼らが同一の感情を共有したのかは、当事者達にすら判らない。
 
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